文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

The course of the Wuhan virus is similar to that of the SARS.

2020年06月03日 23時01分16秒 | 全般

The following is a continuation from the dialogue book with Mr. Seki-Hei and Mr. Masaki Miyazaki, who is one of the world's leading Chinese connoisseurs, and not an exaggeration to say that he is Tadao Umesao living today.
The course of the Wuhan virus is similar to that of the SARS.
Miyazaki 
Since the Wuhan virus may not be an animal infection, I would like to mention a little about SARS (according to WHO, the death toll in mainland China was 349).
The course of events is very similar to this time's Wuhan virus. 
In the first place, the SARS infection started with a single doctor.
This doctor was living in Guangzhou, the capital of Guangdong Province in China, when he entered Hong Kong in February 2003 to attend a relative's wedding and stayed at the "Metropole Hotel" in the Kowloon area.
During this stay, his condition deteriorated, and he was admitted to the "Prince of Wales Hospital."
The doctor died on March 4 with the words, "This is no ordinary cold. I want you to quarantine me." (South China Morning Post, March 27, 2003).
It is a similar case to the Wuhan City doctor, Li Wen-liang, who sounded the alarm with the Wuhan virus this time. 
At the hospital where the doctor was admitted, 50 patients, nurses, and doctors in the same room, as well as six hotel employees and guests, were infected with SARS.
 is believed to have spread throughout Hong Kong.
The delay in the Hong Kong government's response has sent the city into a state of panic.
It is because although the Guangdong government announced the SARS epidemic on February 11, the incidence of SARS was reported to administrative agencies about three months before that.
And with the announcement, the Guangdong government explained that the situation had soon calmed down, but the SARS contamination had grown.
Though then-health minister Zhang Wenkang of the Chinese government declares impressively, 'SARS is not a big deal. China claims itself safe.' It is because the spread of the SARS infection is expected to have a significant impact on the Chinese economy as the full dissemination of SARS can disrupt companies' production activities.
It is also similar to the current situation with the "Wuhan virus." 
On May 7 of that year, the U.S. House of Representatives held a high-profile hearing amid the worldwide threat of the SARS epidemic.
At this hearing, Democratic Congressman Doggett expressed concern about the possibility that SARS could be used for biological and chemical weapons.
That concern has rattled the U.S. government. 
ABC News reported that Russian biochemist Nikolai Filatov, director of the Center for Infectious Diseases, said, "Judging from the speed of infection and the evolution of the infection process, human hands manufacture the SARS virus." (ABC News, April 11, 2003), and Professor Sergei Kolesnikov of the Russian Academy of Pharmacy said, "This virus is a synthesis of the mumps and measles viruses and does not exist in nature.
It was then revealed that "This virus leaked out of the laboratory from the laboratory somehow" (Gazeta Daily).
On April 17, Jerry Gerberding, then director of the National Center for Disease Control and Prevention of USA, said at a press conference, 'The SARS virus is not like any other animal virus that we have.'
What's more, the Jamestown Foundation, a Washington-based think tank in the United States, announced that "China has been researching and developing biological and chemical weapons even before it joined the Biological and Chemical Weapons Convention. 
And at that time, the question arose as to why the infected were housed in the People's Liberation Army Hospital in the early stages.
The People's Liberation Army hospital is not the kind of hospital where anyone can be easily treated.
Most of them are military personnel, Communist Party leaders, and their relatives, and they rarely admit ordinary people to the hospital.
Wasn't it because there were facts to hide that kept him from being admitted to a general hospital? 
What is there to hide?
I guess the People's Liberation Army developed the SARS as a biological and chemical weapon.
They didn't want the world to know that. 
I'm sure many readers think that's silly. 
However, think about it.
Why did Xi Jinping initially try to cover up this "Wuhan virus" as well?
I think they didn't want it to be known because it was a biological and chemical weapon that China had been secretly developing.
That may be overthinking it. 
But I think it's worth looking at it that way, as a mental exercise.
Although this is not well known, there have been cases where biological and chemical weapons viruses have leaked outside, and accidents have occurred.
In 1979, Ken Alibek, the scientist in charge of the development, whistle-lowered that a bio-weapon caused personal injury in Speludrovsk, Russia.
Part of it is as described in "Resident Evil" (Nimi Shobo.  Later, "Why Did We Build Biological Weapons? (renamed as "Futami Bunko")
In the Soviet Union, they were making such formidable biological weapons as anthrax, plague, great-pox virus, and Ebola hemorrhagic fever virus.
Then-President Yeltsin acknowledged this.
That's why there are such horrible weapons: biological and chemical weapons. 
Besides, the Beijing government disinformation that the U.S. military distributed the "Wuhan virus" this time, but the Chinese media at that time also reported the "American conspiracy theory" of SARS.
The purpose of the SARS virus was to hit the heart of China's economy and halt economic expansion.
But that's a flat-out accusation. 
In any case, the SARS problem is developing and expanding similarly to the Wuhan virus this time.
The WHO at the time proposed the view that the SARS virus was a natural outbreak, but it must be said that this is entirely incorrect.
So it's said, "Two times what is, is three times what is," but I think it's likely that we'll see similar viral uproar from China in the future.
It is why Japanese companies need to urgently review their supply chains, which have been biased towards China.
This article continues.


中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた…こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません

2020年06月03日 22時10分09秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発症が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥棒が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから大変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。

 

 


中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います

2020年06月03日 22時07分28秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発症が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ軍がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。

2020年06月03日 22時02分48秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。

2020年06月03日 21時59分01秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発…その一端は『バイオハザード』で詳述されている

2020年06月03日 21時56分25秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。それを世界に知られたくなかった。

2020年06月03日 21時52分26秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです

2020年06月03日 21時49分45秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


2003年4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。

2020年06月03日 21時46分51秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから犬変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘

2020年06月03日 21時44分27秒 | 全般

以下は世界有数の中国通であり、今を生きる梅棹忠雄と言っても過言ではない宮崎正弘氏と石平氏の対談本からの続きである。
石平氏は中国人として生まれ北京大学を卒業後神戸大学で、学んでいた折に友人に誘われて訪れた嵐山で、天啓に打たれ、日本に帰化した。
彼とは数年前に紅葉が最盛期に入った東福寺で遭遇して言葉を交わし名刺を交換した事は既述の通り。
本稿は朝日新聞等やNHKを始めとした日本の放送局がジャーナリストの端くれですらない事を証明している。
彼らは「許されざる者達」である。
本稿の読者でNHK等の報道番組の視聴者は皆、彼らに対して心底からの怒りと軽蔑を覚えるはずである。
前文省略。
「武漢ウイルス」の経過はSARSと似ている
宮崎 
動物感染ではないかも知れないという事で、少しSARS(WHOによると、中国本土の死者は349人だった)について触れておきたいと思います。
今回の「武漢ウィルス」と非常に経過が似ています。 
そもそも、SARS感染は一人の医師から始まりました。
この医師は中国広東省の省都、広州に住んでいたのですが、2003年2月に親戚の結婚式に出席するために香港に入り、九龍地区にあった「メトロポールホテル」に宿泊したのです。
この宿泊中に容態が悪化して、「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院しました。
この医師は「これは普通の風邪ではない。私を隔離して欲しい」(サウスチャイナ・モーニングポスト。2003年3月27日付)という言葉を残して3月四4日に死去した。
これは、今回の武漢ウィルスで警鐘を鳴らした武漢市の医師、李文亮氏と同様の事例です。 
この医師が入院した病院で、同じ病室にいた患者や、看護婦、医師たち50人と、ホテルの従業員、宿泊客6人にもSARSが感染して、香港全体に感染が広がったと見られています。
香港政府の対応が遅れ、市内がパニック状態になりました。
というのも、広東省政府がSARS流行を公表したのは2月11日でしたが、その約3ヵ月前にはSARS発疱が行政機関に報告されていたからです。
そして、この公表とともに、広東省政府は間もなく沈静化したと説明したのですが、SARS汚染は拡大してしまった。
中国政府も当時の張文康衛生相が、「SARSは、大したことはない。中国は安全だと宣言する」と大見栄を切ったのですが、この背景には、このSARS感染の拡大という恐怖が蔓延すると、企業の生産活動に支障をきたし中国経済に大きな打撃を怖れた亊があります。
この点も今の「武漢ウイルス」の状況と似ています。 
SARS感染で世界中が脅威に怯えている中、その年の5月7日にアメリカ議会下院が、注目すべき公聴会を開きました。
この公聴会で、民主党のディゲット下院議員が「SARSが生物化学兵器に利用される可能性はないのか」と懸念を表明したのです。
その懸念はアメリカ政府を動揺させました。 
そして、ABCニュースは、ロシア生物化学者で伝染病センター所長の二コライ・フィラトフ氏が「感染スピードや感染過程の進化から判断して、SARSウイルスは人の手によって製造されたものだ」(ABCニュース、2003年4月11日)と伝え、さらに口シア薬学アカデミーのセルゲイ・コレスニコフ教授は「このウイルスはおたふく風邪と、はしかのウイルスを合成した病原体であり、自然界にあるモノではない」と指摘。
そして「このウイルスは研究室から、何らかの拍子で外部に漏洩した」(Gazeta Daily)ことを明らかにしたのです。 
そして、極めつけは、アメリカの国立疾病予防センターのジェリー・ガーバーディング所長(当時)が4月17日の記者会見で「SARSウイルスは、我々が持っているどの動物ウイルスにも似ていない」と発言。
さらに、アメリカのワシントンにあるシンクタンク、ジェームズタウン財団が「中国は生物化学兵器条約に加盟する以前から、生物化学兵器の研究、開発を進めてきた」と公表したのでした。 
そして、その当時、初期段階において感染者を人民解放軍病院になぜ収容したのか、疑問が出て来ました。
人民解放軍の病院は誰でも、簡単に診療してくれるような病院ではないのです。
軍関係者や共産党幹部、その縁故者といった人が中心で、一般庶民を入院させるのはごく稀です。
それは、隠すべき事実があったから、一般の病院に入院させなかったのではないか。 
隠すべきこととは何か。
それは、推測ですが、このSARSは人民解放軍が生物化学兵器として開発してきたものだったのではないかということです。
それを世界に知られたくなかった。 
そんなバカなと、お思いの読者が多いと思います。 
しかし、良く考えてみてください。
今回の「武漢ウイルス」も、習近平は当初、なぜ隠蔽しようとしたのでしょうか。
それは、中国が密かに開発してきた、生物化学兵器だからこそ知られたくなかったのではないでしょうか。
それは、考え過ぎかも知れません。 
でも、頭の体操として、そのように考えて見る価値はあると思います。
また、これはあまり知られていませんが、過去に生物化学兵器のウイルスが外部に漏れて、事故が起きたケースがあります。
1979年、ロシアのスぺルドロフスクで、バイオ兵器による人身事故が発生したと、開発を担当した科学者ケン・アリベックが内部告発をしています。
その一端は『バイオハザード』(ニ見書房。のちに、『生物兵器なぜ造ってしまったのか?』と改題して二見文庫)で詳述されているとおりです。
ソ連では炭疽菌・ペスト菌・大然痘ウイルス・エボラ出血熱ウイルスなどの恐るべき生物兵器を作っていたのです。
この件については、当時のエリツィン大統領も認めています。
だから、生物化学兵器という恐ろしい兵器は存在するのです。 
また、今回の「武漢ウイルス」はアメリカ車がばら撒いたなどとのディスインフォメーションを北京政府が行なっていますが、SARSも当時の中国メディアが「アメリカ陰謀説」を伝えていました。
SARSウイルスは中国経済の中心地を攻撃して経済拡大を食い止めることが目的だったという訳です。
でも、それはまったくの言いがかりです。 
いずれにしても、SARS問題は、今回の「武漢ウイルス」と似たような発生・拡大の展開をしているのです。
当時のWHOは、「SARSウイルスは自然界で発生したもの」という見方を提示しましたが、これは相当にあやしいと言わざるを得ません。
だから、「二回ある事は三回ある」と言われますが、同しような中国発ウイルス騒動が今後も発生する可能性が高いと思います。
だからこそ、中国に偏っていたサプライチェーン(供給網)を日本企業は早急に見直す必要があるのです。
石平 
「武漢ウイルストが生物兵器かどうかは、正確な事は専門家の今後の研究をまたなければなりませんが、前述のモニタニ氏が言うように、自然発生したウイルスではないかも知れない。
中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明氏はそんなことは絶対ないと否定しましたが、これも怪しいね。              
ようするに、武漢病毒研究所が何かの目的のために作り出した合成ウイルスという公算が強いと思います。
あるいは、病毒研究所がコウモリとか生物から採取したうえで、人工的に加工を施したウイルスという可能性も否定できません。 
しかも、「武漢ウイルス」問題について北京政府が、とんでもないことを言ったのです。
先ほど宮崎さんが少し触れたように、SARSと同様に「武漢ウイルス」に関して、アメリカの陰謀によるものだという発言をしているのです。
外務省の趙立堅副報道局長が3月12日、ツイッターで「アメリカ軍が新型ウイルスを武漢市に持ち込んだのかもしれない」と発言しました。
さらに、耿爽報道局長も3月16日の記者会見で、トランプ大統領が「もっと早く(中国から)連絡があれば良かった」、
「ウイルスは100%、中国から来た」という発言に対して、「中国と新型ウイルスとを結びつけて、中国に汚名を着させることに、われわれは強く憤慨し、断固反対する」、そして「アメリカは中国への不当な訃難をやめるべきだと」と居丈高に語っています。
宮崎 
その発言で、アメリカはさらに怒った。
それは、中国がしょっちゅうやる手口です。
これまでの流れを見ていると、石さんが指摘するように、泥忰が逃げるときに、「泥棒」と叫びながら逃げるようなものですね。
泥棒を追いかけている振りをして泥棒は逃げるじゃない。
それと、まったく同じパターンだ。
石平 
中国は昔からそういうパターンを繰り返してきた。「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく」という諺があって、賊が泥棒という意味。
咸というのは、叫ぶ、捉というのは捉える。
泥忰が逃げるとき「あいつが泥棒だ」と叫ぶ。
仲間が逃げた時は、逃げた反対の方向を指して、「向こうに逃げた」という。
こんな中国が今回の「武漢ウイルス」で世界に対して、真相を述べたり謝るなんてことはまずありません。 
それと北京政府が行っている事で許せないのは、中国国内で「武漢ウイルス」は峠を越して、収まりはじめたという幻想を作り出し、すべての中国国民を騙していることです。
それと同時に、世界中の人々に「中国は収まった」と宣伝しています。
習近平は3月10日に武漢市を視察して「ウイルスの蔓延の勢いは基本的に抑え込んだ。状況は徐々にいい方向に向かっている」と事態の収束に自信を見せました。
これは、前述したとおり、明らかに「終息宣言」に向けた布石、イメージ操作です。 
そして、それにお墨付きを与えるかのように、その翌日の3日11日にWHOが、新型コロナウイルス(COVIDー19)は「パンデミック」だと宣言した。
そのココロは……中国はなんとか収まりつつあるけど、諸外国はこれから大変だというわけです。
宮崎 
習近平の思うとおりに、WHOは動いている。
傀儡もいいところ。
この稿続く。


However, the 'civilization' of the European Union and the 'uncivilization' of China are incompatible

2020年06月03日 18時51分52秒 | 全般

The following is a chapter that I discovered and transmitted online on April 10, 2014.
Baron Danetan of Belgium.
Can Belgium again see through the barbarity of China?
April 10, 2014, MSN Sankei News
I was under the impression that the etymology of the word "panda" was "propaganda," which also meant to induce international public opinion.
The "panda diplomacy" that Chinese President Xi Jinping, 60, displayed in Belgium at the end of March during his visit to Europe was eerie enough to be misunderstood.
The classification of "good" as "white propaganda," which is based on factual information, and "bad" as "black propaganda," which lurks false information, reminds me of the panda with its black and white features.
Japan has experienced this, but the adorable pandas are so close to China that they arbitrarily foster a peaceful impression.
However, Belgium is the country that produced Baron Albert Danetan, a special envoy to Japan, not swayed by black propaganda.
I hope that once again, they will see through the barbarity of China hiding behind a panda, slaughtering minorities, and taking away the freedom of its own people.
I would like to see the dignity of a modern European nation that is sensitive to human rights oppression.
Baron Dhanetan's Wise Eyes
Baron Danetang lived in Japan for many years (1893-1910).
In the meantime, he completely discerned and trusted the behavior and propensities of the Japanese.
During the Sino-Japanese War (1894-95), he had the foresight not to be misled by the black propaganda that drove the Japanese Empire into a crisis of international isolation.
The crisis was mainly caused by the proliferation of fabricated stories in the U.S. newspapers.
During the occupation of Lüshun Military Port, "The Imperial Army massacred 60,000 non-combatants, women, girls and infants in the Qing Empire. Only 36 people were able to escape," he reported.
The baron who knew the Imperial Army's military discipline must have intuited the obvious phantasm in the figure of 60,000, even in light of the area and population of Lüshun.
Start an investigation and send a report to the home country.
《Japan considers victims, the Red Cross does its job entirely under the patronage of Her Majesty (Japan joined in 1886 to protect victims in the land war), and complies with the Geneva Convention Has been.》
He was told directly by Viscount Labrie, a French military officer present at the scene, that it was a soldier who had taken off his military uniform who was killed, and it was not true that the woman and girl were killed. The inhabitants were evacuated before the occupation, and the only people left were soldiers and arsenal workers. The Japanese soldiers, looking at the carcasses of their brutally treated comrades, managed to keep the enemy as prisoners of war.
Qing Guo generals killed Imperial Army generals, cut their bodies, and hung them on trees and eaves.
To be sure, the Imperial Army officers continued to fight, dragging their rage at the humiliation.
Meanwhile, the Qing Guo generals who had begun their crushing run stripped off their military uniforms and broke into private houses to change into civilian clothes.
It is 'soldiers disguised in civilian clothes.'
Soldiers disguised in civilian clothes, holed up in a private house, sniped an imperial army officer, looking for an opportunity to escape.
Dr. Nagao Aruga (1860-1921), an international jurist who served as a legal advisor to the Sino-Japanese Army, pointed out that "the Qing government does not observe the laws of war at all.
And he also declared gun down to be legal in the Regulations of Land Warfare of the Universal War Gazette during the Sino-Japanese War.
Some foreign newspapers misreported that the fire on soldiers disguised as non-combatants and disguised in civilian clothes was a "massacre."
China posted a big lie about Uotsuri Island.
On the eve of the Russo-Japanese War (1904-05), European newspapers reported that "the Japanese people's hatred of foreigners is increasing, and if Russia and Japan fight, foreigners in Japan will be slaughtered, but he also sent out a rebuttal to this.
'The hatred and hostility towards foreigners do not exist in Japan. Foreign women are traveling around Japan, either alone or with maids. Foreigners in Japan will be just as safe in wartime as they were in the Sino-Japanese War.'
Even after the war outbreak, he issued a report correcting false reports that Russian prisoners of war were being mistreated.
'Six hundred one prisoners of war from a ship sunk in a naval battle were rescued by the Japanese.  The two dead were buried following Russian Orthodoxy. It was officiated by an adjutant priest of a ship that the Japanese immediately set free following the Geneva Conventions.'
More than a hundred years later, in 2012, the Chinese ambassador to Belgium posted an article in a Belgian-French language newspaper titled 'Why is Uotsuri Island called Chinese territory?'
Although the Senkaku Islands, including the Uozuri Islands, are Japanese territory, the article begins with the fact that the ambassador "found a map drawn by a colonel of the French Joint Chiefs of Staff at the Schwilden bookstore in the Galerie Bortje in Brussels."
The map proves that China had already discovered and had jurisdiction over Uotsuri Island in the early 15th century.
He patches and darned the historical facts to expand the big lie in the following endlessly.
Of course, the parlor trick course includes "The Chinese Massacre" and "Yasukuni Shrine enshrining Hitler."
However, the closing sentence, "A moving anecdote about a Chinese woman who was studying abroad during World War II," was an extremely effective production, although it is unclear whether it was black or white propaganda.
The story is that a woman used her courage and wisdom to save 97 civilians held hostage by the Gestapo (secret police) in retaliation for the assassination of a high-ranking German military official.
Embedded Europe
In this way, Europe will convince itself to lessen its humanitarian and security concerns about China and will be swept up in China's attractive economic and financial power.
Mr. Xi visited the Belgian plant of Volvo, a Swedish automaker, which was acquired by the Chinese automaker in 2010.
It also concluded a purchase agreement with France for a total of 2.57 trillion yen, including the purchase of 70 Airbus planes.
The nightmare of Europe's arms embargo on China, which has continued since the Tiananmen Square incident in 1989, being lifted without the consent of Japan and the United States is just around the corner.
Inwardly, Mr. Xi must be mocking Europe's efforts to shake off its guilt," he said in a speech in Belgium, justifying the national outrage by saying, "We don't copy other countries' systems.
At the headquarters of the European Union (EU), which he visited for the first time as President of China, he said, "China and the EU are the two great civilizations (?). He called for "strengthening cooperation between the two countries.
However, the 'civilization' of the European Union and the 'uncivilization' of China are incompatible.
At the 2013 Belgian painting competition held in January, "Unnecessary Death," which depicts the persecution of the Chinese qigong group Falun Gong, won the first prize.
This film tells the heartbreaking story of a mother's eyes as she holds her daughter, who died in persecution.
Falun Gong has its critics, but the author's sharp criticism must be introduced.
'Falun Gong members have been illegally arrested, beaten, abused, and severely punished. That period is long and cruel. The rift (painted in the background of the painting) symbolizes a future in which the Chinese Communist Party will self-destruct in the process of committing crimes.'
The painter's spine reveals the DNA of Baron Danetan, buried in Tokyo's Zoshigaya Cemetery.
I can't wait to 'self-destruct.'
(Hiroyuki Noguchi, Specialist, Political Department)


Inwardly, Mr. Xi must be mocking Europe's efforts to shake off its guilt,

2020年06月03日 18時50分10秒 | 全般

The following is a chapter that I discovered and transmitted online on April 10, 2014.
Baron Danetan of Belgium.
Can Belgium again see through the barbarity of China?
April 10, 2014, MSN Sankei News
I was under the impression that the etymology of the word "panda" was "propaganda," which also meant to induce international public opinion.
The "panda diplomacy" that Chinese President Xi Jinping, 60, displayed in Belgium at the end of March during his visit to Europe was eerie enough to be misunderstood.
The classification of "good" as "white propaganda," which is based on factual information, and "bad" as "black propaganda," which lurks false information, reminds me of the panda with its black and white features.
Japan has experienced this, but the adorable pandas are so close to China that they arbitrarily foster a peaceful impression.
However, Belgium is the country that produced Baron Albert Danetan, a special envoy to Japan, not swayed by black propaganda.
I hope that once again, they will see through the barbarity of China hiding behind a panda, slaughtering minorities, and taking away the freedom of its own people.
I would like to see the dignity of a modern European nation that is sensitive to human rights oppression.
Baron Dhanetan's Wise Eyes
Baron Danetang lived in Japan for many years (1893-1910).
In the meantime, he completely discerned and trusted the behavior and propensities of the Japanese.
During the Sino-Japanese War (1894-95), he had the foresight not to be misled by the black propaganda that drove the Japanese Empire into a crisis of international isolation.
The crisis was mainly caused by the proliferation of fabricated stories in the U.S. newspapers.
During the occupation of Lüshun Military Port, "The Imperial Army massacred 60,000 non-combatants, women, girls and infants in the Qing Empire. Only 36 people were able to escape," he reported.
The baron who knew the Imperial Army's military discipline must have intuited the obvious phantasm in the figure of 60,000, even in light of the area and population of Lüshun.
Start an investigation and send a report to the home country.
《Japan considers victims, the Red Cross does its job entirely under the patronage of Her Majesty (Japan joined in 1886 to protect victims in the land war), and complies with the Geneva Convention Has been.》
He was told directly by Viscount Labrie, a French military officer present at the scene, that it was a soldier who had taken off his military uniform who was killed, and it was not true that the woman and girl were killed. The inhabitants were evacuated before the occupation, and the only people left were soldiers and arsenal workers. The Japanese soldiers, looking at the carcasses of their brutally treated comrades, managed to keep the enemy as prisoners of war.
Qing Guo generals killed Imperial Army generals, cut their bodies, and hung them on trees and eaves.
To be sure, the Imperial Army officers continued to fight, dragging their rage at the humiliation.
Meanwhile, the Qing Guo generals who had begun their crushing run stripped off their military uniforms and broke into private houses to change into civilian clothes.
It is 'soldiers disguised in civilian clothes.'
Soldiers disguised in civilian clothes, holed up in a private house, sniped an imperial army officer, looking for an opportunity to escape.
Dr. Nagao Aruga (1860-1921), an international jurist who served as a legal advisor to the Sino-Japanese Army, pointed out that "the Qing government does not observe the laws of war at all.
And he also declared gun down to be legal in the Regulations of Land Warfare of the Universal War Gazette during the Sino-Japanese War.
Some foreign newspapers misreported that the fire on soldiers disguised as non-combatants and disguised in civilian clothes was a "massacre."
China posted a big lie about Uotsuri Island.
On the eve of the Russo-Japanese War (1904-05), European newspapers reported that "the Japanese people's hatred of foreigners is increasing, and if Russia and Japan fight, foreigners in Japan will be slaughtered, but he also sent out a rebuttal to this.
'The hatred and hostility towards foreigners do not exist in Japan. Foreign women are traveling around Japan, either alone or with maids. Foreigners in Japan will be just as safe in wartime as they were in the Sino-Japanese War.'
Even after the war outbreak, he issued a report correcting false reports that Russian prisoners of war were being mistreated.
'Six hundred one prisoners of war from a ship sunk in a naval battle were rescued by the Japanese.  The two dead were buried following Russian Orthodoxy. It was officiated by an adjutant priest of a ship that the Japanese immediately set free following the Geneva Conventions.'
More than a hundred years later, in 2012, the Chinese ambassador to Belgium posted an article in a Belgian-French language newspaper titled 'Why is Uotsuri Island called Chinese territory?'
Although the Senkaku Islands, including the Uozuri Islands, are Japanese territory, the article begins with the fact that the ambassador "found a map drawn by a colonel of the French Joint Chiefs of Staff at the Schwilden bookstore in the Galerie Bortje in Brussels."
The map proves that China had already discovered and had jurisdiction over Uotsuri Island in the early 15th century.
He patches and darned the historical facts to expand the big lie in the following endlessly.
Of course, the parlor trick course includes "The Chinese Massacre" and "Yasukuni Shrine enshrining Hitler."
However, the closing sentence, "A moving anecdote about a Chinese woman who was studying abroad during World War II," was an extremely effective production, although it is unclear whether it was black or white propaganda.
The story is that a woman used her courage and wisdom to save 97 civilians held hostage by the Gestapo (secret police) in retaliation for the assassination of a high-ranking German military official.
Embedded Europe
In this way, Europe will convince itself to lessen its humanitarian and security concerns about China and will be swept up in China's attractive economic and financial power.
Mr. Xi visited the Belgian plant of Volvo, a Swedish automaker, which was acquired by the Chinese automaker in 2010.
It also concluded a purchase agreement with France for a total of 2.57 trillion yen, including the purchase of 70 Airbus planes.
The nightmare of Europe's arms embargo on China, which has continued since the Tiananmen Square incident in 1989, being lifted without the consent of Japan and the United States is just around the corner.
Inwardly, Mr. Xi must be mocking Europe's efforts to shake off its guilt," he said in a speech in Belgium, justifying the national outrage by saying, "We don't copy other countries' systems.
At the headquarters of the European Union (EU), which he visited for the first time as President of China, he said, "China and the EU are the two great civilizations (?). He called for "strengthening cooperation between the two countries.
However, the 'civilization' of the European Union and the 'uncivilization' of China are incompatible.
At the 2013 Belgian painting competition held in January, "Unnecessary Death," which depicts the persecution of the Chinese qigong group Falun Gong, won the first prize.
This film tells the heartbreaking story of a mother's eyes as she holds her daughter, who died in persecution.
Falun Gong has its critics, but the author's sharp criticism must be introduced.
'Falun Gong members have been illegally arrested, beaten, abused, and severely punished. That period is long and cruel. The rift (painted in the background of the painting) symbolizes a future in which the Chinese Communist Party will self-destruct in the process of committing crimes.'
The painter's spine reveals the DNA of Baron Danetan, buried in Tokyo's Zoshigaya Cemetery.
I can't wait to 'self-destruct.'
(Hiroyuki Noguchi, Specialist, Political Department)


He patches and darned the historical facts to expand the big lie in the following endlessly.

2020年06月03日 18時37分49秒 | 全般

The following is a chapter that I discovered and transmitted online on April 10, 2014.
Baron Danetan of Belgium.
Can Belgium again see through the barbarity of China?
April 10, 2014, MSN Sankei News
I was under the impression that the etymology of the word "panda" was "propaganda," which also meant to induce international public opinion.
The "panda diplomacy" that Chinese President Xi Jinping, 60, displayed in Belgium at the end of March during his visit to Europe was eerie enough to be misunderstood.
The classification of "good" as "white propaganda," which is based on factual information, and "bad" as "black propaganda," which lurks false information, reminds me of the panda with its black and white features.
Japan has experienced this, but the adorable pandas are so close to China that they arbitrarily foster a peaceful impression.
However, Belgium is the country that produced Baron Albert Danetan, a special envoy to Japan, not swayed by black propaganda.
I hope that once again, they will see through the barbarity of China hiding behind a panda, slaughtering minorities, and taking away the freedom of its own people.
I would like to see the dignity of a modern European nation that is sensitive to human rights oppression.
Baron Dhanetan's Wise Eyes
Baron Danetang lived in Japan for many years (1893-1910).
In the meantime, he completely discerned and trusted the behavior and propensities of the Japanese.
During the Sino-Japanese War (1894-95), he had the foresight not to be misled by the black propaganda that drove the Japanese Empire into a crisis of international isolation.
The crisis was mainly caused by the proliferation of fabricated stories in the U.S. newspapers.
During the occupation of Lüshun Military Port, "The Imperial Army massacred 60,000 non-combatants, women, girls and infants in the Qing Empire. Only 36 people were able to escape," he reported.
The baron who knew the Imperial Army's military discipline must have intuited the obvious phantasm in the figure of 60,000, even in light of the area and population of Lüshun.
Start an investigation and send a report to the home country.
《Japan considers victims, the Red Cross does its job entirely under the patronage of Her Majesty (Japan joined in 1886 to protect victims in the land war), and complies with the Geneva Convention Has been.》
He was told directly by Viscount Labrie, a French military officer present at the scene, that it was a soldier who had taken off his military uniform who was killed, and it was not true that the woman and girl were killed. The inhabitants were evacuated before the occupation, and the only people left were soldiers and arsenal workers. The Japanese soldiers, looking at the carcasses of their brutally treated comrades, managed to keep the enemy as prisoners of war.
Qing Guo generals killed Imperial Army generals, cut their bodies, and hung them on trees and eaves.
To be sure, the Imperial Army officers continued to fight, dragging their rage at the humiliation.
Meanwhile, the Qing Guo generals who had begun their crushing run stripped off their military uniforms and broke into private houses to change into civilian clothes.
It is 'soldiers disguised in civilian clothes.'
Soldiers disguised in civilian clothes, holed up in a private house, sniped an imperial army officer, looking for an opportunity to escape.
Dr. Nagao Aruga (1860-1921), an international jurist who served as a legal advisor to the Sino-Japanese Army, pointed out that "the Qing government does not observe the laws of war at all.
And he also declared gun down to be legal in the Regulations of Land Warfare of the Universal War Gazette during the Sino-Japanese War.
Some foreign newspapers misreported that the fire on soldiers disguised as non-combatants and disguised in civilian clothes was a "massacre."
China posted a big lie about Uotsuri Island.
On the eve of the Russo-Japanese War (1904-05), European newspapers reported that "the Japanese people's hatred of foreigners is increasing, and if Russia and Japan fight, foreigners in Japan will be slaughtered, but he also sent out a rebuttal to this.
'The hatred and hostility towards foreigners do not exist in Japan. Foreign women are traveling around Japan, either alone or with maids. Foreigners in Japan will be just as safe in wartime as they were in the Sino-Japanese War.'
Even after the war outbreak, he issued a report correcting false reports that Russian prisoners of war were being mistreated.
'Six hundred one prisoners of war from a ship sunk in a naval battle were rescued by the Japanese.  The two dead were buried following Russian Orthodoxy. It was officiated by an adjutant priest of a ship that the Japanese immediately set free following the Geneva Conventions.'
More than a hundred years later, in 2012, the Chinese ambassador to Belgium posted an article in a Belgian-French language newspaper titled 'Why is Uotsuri Island called Chinese territory?'
Although the Senkaku Islands, including the Uozuri Islands, are Japanese territory, the article begins with the fact that the ambassador "found a map drawn by a colonel of the French Joint Chiefs of Staff at the Schwilden bookstore in the Galerie Bortje in Brussels."
The map proves that China had already discovered and had jurisdiction over Uotsuri Island in the early 15th century.
He patches and darned the historical facts to expand the big lie in the following endlessly.
Of course, the parlor trick course includes "The Chinese Massacre" and "Yasukuni Shrine enshrining Hitler."
However, the closing sentence, "A moving anecdote about a Chinese woman who was studying abroad during World War II," was an extremely effective production, although it is unclear whether it was black or white propaganda.
The story is that a woman used her courage and wisdom to save 97 civilians held hostage by the Gestapo (secret police) in retaliation for the assassination of a high-ranking German military official.
This article continues.

 


以下はリアルタイムのベスト10である。2020/6/3, pm 6:15

2020年06月03日 18時14分34秒 | 全般

1

中国科学院は関係部署に妙な伝達をメディアを通じて出した…「全国の病毒関係の研究所、実験室は病毒管理を強化しなければならない」

2

But oddly enough, even though there was a name, the biography, etc., had been erased.

3

武漢病毒研究所で働いていた黄燕玲さんという女性研究員が第一号の感染者ではないか…この女性の何らかの手違いにより武漢病毒研究所から漏れたという説が出てきた

4

奇妙な事に名前があっても、経歴などが消されていました。それで、武漢病毒研究所はもう一回、声明を出して「この研究者は確かにいました。しかし、今はもういません。別の地方に配属されました」という

5

I didn't know why the doctor died so early, but that's what it was.

19PV

6

No sabía por qué la doctora murió tan temprano, pero eso es lo que era.

7

その狙いは武漢病毒研究所が発生源であるという「黒い噂」を晴らすためのものでした。ですから記者は事実を確かめるよりも、ネット上の噂を消すことを目的にしていたのです。

8

Non sapevo perché il dottore fosse morto così presto, ma era quello che era.

9

平時有事を問わず、北京の号令一下で動員を掛けることが可能な中国の国防動員法の存在に思いを致せば…いつなんどき、彼ら留学生が北京に忠誠を誓って豹変するのか、得体の知れない不気味さを感じる

10

何千人、何万人も研究員がいる研究所ではなく、せいぜい、百数十人の研究所で、「そのAがいるかいないか、知らない」というのは、不可解だというのです

 

 


In the meantime, he completely discerned and trusted the behavior and propensities of the Japanese

2020年06月03日 18時10分31秒 | 全般

The following is a chapter that I discovered and transmitted online on April 10, 2014.
Baron Danetan of Belgium.
Can Belgium again see through the barbarity of China?
April 10, 2014, MSN Sankei News
I was under the impression that the etymology of the word "panda" was "propaganda," which also meant to induce international public opinion.
The "panda diplomacy" that Chinese President Xi Jinping, 60, displayed in Belgium at the end of March during his visit to Europe was eerie enough to be misunderstood.
The classification of "good" as "white propaganda," which is based on factual information, and "bad" as "black propaganda," which lurks false information, reminds me of the panda with its black and white features.
Japan has experienced this, but the adorable pandas are so close to China that they arbitrarily foster a peaceful impression.
However, Belgium is the country that produced Baron Albert Danetan, a special envoy to Japan, not swayed by black propaganda.
I hope that once again, they will see through the barbarity of China hiding behind a panda, slaughtering minorities, and taking away the freedom of its own people.
I would like to see the dignity of a modern European nation that is sensitive to human rights oppression.
Baron Dhanetan's Wise Eyes
Baron Danetang lived in Japan for many years (1893-1910).
In the meantime, he completely discerned and trusted the behavior and propensities of the Japanese.
During the Sino-Japanese War (1894-95), he had the foresight not to be misled by the black propaganda that drove the Japanese Empire into a crisis of international isolation.
The crisis was mainly caused by the proliferation of fabricated stories in the U.S. newspapers.
During the occupation of Lüshun Military Port, "The Imperial Army massacred 60,000 non-combatants, women, girls and infants in the Qing Empire. Only 36 people were able to escape," he reported.
The baron who knew the Imperial Army's military discipline must have intuited the obvious phantasm in the figure of 60,000, even in light of the area and population of Lüshun.
Start an investigation and send a report to the home country.
《Japan considers victims, the Red Cross does its job entirely under the patronage of Her Majesty (Japan joined in 1886 to protect victims in the land war), and complies with the Geneva Convention Has been.》
He was told directly by Viscount Labrie, a French military officer present at the scene, that it was a soldier who had taken off his military uniform who was killed, and it was not true that the woman and girl were killed. The inhabitants were evacuated before the occupation, and the only people left were soldiers and arsenal workers. The Japanese soldiers, looking at the carcasses of their brutally treated comrades, managed to keep the enemy as prisoners of war.
Qing Guo generals killed Imperial Army generals, cut their bodies, and hung them on trees and eaves.
To be sure, the Imperial Army officers continued to fight, dragging their rage at the humiliation.
Meanwhile, the Qing Guo generals who had begun their crushing run stripped off their military uniforms and broke into private houses to change into civilian clothes.
It is 'soldiers disguised in civilian clothes.'
Soldiers disguised in civilian clothes, holed up in a private house, sniped an imperial army officer, looking for an opportunity to escape.
Dr. Nagao Aruga (1860-1921), an international jurist who served as a legal advisor to the Sino-Japanese Army, pointed out that "the Qing government does not observe the laws of war at all.
And he also declared gun down to be legal in the Regulations of Land Warfare of the Universal War Gazette during the Sino-Japanese War.
Some foreign newspapers misreported that the fire on soldiers disguised as non-combatants and disguised in civilian clothes was a "massacre."
This article continues.