以下は前章の続きである。前文略。
『朝日新聞』の社説(2006年)
過去の戦争について責任はもっぱら日本側にありとする新聞やテレビ・ラジオなどの報道、また教科書が述べてきたその種の見方は、東京裁判史観と俗に呼ばれるが、「あの戦争」の責任についても次のような極端な論説を述べる人が大新聞社内には今でもいる。
日本は「国内的にはA級戦犯に戦争責任を負わせることで他人を免責した。その中には昭和天皇も含まれていた」。
これが『朝日新聞』の2006年の社説の一節である。
しかしこのような社説を掲げると新聞が売れると考えたのならば、それは問題だろう。
同紙の売上げは、そして権威も、平成年間を通じて確実に低下した。
1989年、昭和天皇御大葬の際に米国大統領以下が参列した。
そのことを思うと、歴史の判決は国際的にもすでに下されたと見るべきではないのか。
天皇裕仁を戦争の開戦責任者として糾弾するのは、英国の夕ブロイド紙『サン』などと日本の『赤旗』と『朝日新聞』の一部論説委員とNHKの一部職員ということになる。
彼らは昭和天皇を裁く「女性国際戦犯法廷」の放映を企画した。
この種の昭和天皇を悪者とする見方は少数派で、英国の高級紙『インデペンデント』は「日本軍による残虐行為と裕仁天皇と関係があるよう結びつける試みがなされているが、これはいってみればジョージ6世が第2次大戦中非人道的なドイツ爆撃を指揮したと言い立てるようなものである」(1988年11月一日)という記事が出た。
そのようにたしなめられたにもかかわらず、昭和天皇責任論はその後も内外で執拗に再生産されている。
ところで様々な歴史認識が出て来た近年だが、いわゆる東京裁判史観なるものは、今後もこのまま通用するのだろうか。
また昭和天皇は悪者でなかったとして、日本国は悪者だったのだろうか。
そもそも日本のA級戦犯はすべて悪者だったのだろうか。
悪者だったとして原爆投下を命じた者よりさらに悪者だったといえるのだろうか。