文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

イエスが大工の子、ホッブズが酔いどれ牧師の子、カルヴァンが川の渡し守の孫、ルターが鉱夫の子、アーレントが梅毒もちの電気工事人夫の子、

2024年10月10日 06時22分38秒 | 全般

以下は9/26に発売された月刊誌WiLLに、p292から3段組みで掲載されている、世界有数の学者である古田博司筑波大学名誉教授の連載コラム「たたかうエピクロス」からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

加藤陽子自伝「周到にしなやかに」(朝日新聞掲載)を読む
左翼学者の蜥蜴の尻尾切り 
朝日新聞8月1日付「オピニオン&フォーラム」に、歴史学者で東大教授の加藤陽子氏の「自伝」らしきものが載った。
加藤氏の今までの言説中では、珍しく正直だったので、私はこれを自伝と受け取ったのだが、多くの人々は学者の「愚痴・泣き言」と見なしたようである。 
順にみていくと、自分は夫婦別姓論者だが、夫の「加藤」姓を私の「野島」姓に加えて用いている。
「私の配偶者は予備校で日本史を教えています」。
私は東大教授だが、予備校の夫を尊敬して加藤姓も名乗っている、ということだと思われる。
そこをインタビュアー田中聡子氏(に名を借りた編集委員・高橋純子氏)に突っ込まれる。 
「-アナーキーですね。昨年のNHKの番組『100分deフェミニズム』では関東大震災後、憲兵隊に虐殺されたアナキストの伊藤野枝の著作を紹介していました」と、無規範、無秩序だとなじられた。 
返す理由は、「家庭のケアは女性が行うべきだとの社会的規範が昔も今も多くの女性を苦しめています」、そんな中で社会運動をよくやってきた野枝は立派じゃないですか、といっているのである。ところが番組では、上野千鶴子氏に馬鹿にされた。じつに心外である。 
「一緒に出演した旧知の間柄の上野千鶴子さんには『なぜ緻密で周到な加藤陽子が、粗野な運動家の伊藤野枝を選ぶのか』と不思議がられた」。
野島陽子は、じつに不愉快だったといっている。
私はあくまで「周到」なのだ。 
ところがこれには根拠があり、日本の社会学者はほぼ全員だと思われるのだが、「家族は擬制である」と、信じているのである。
これは、筑波大学の社会学の学者たちに私がじかに確かめたことがあった。 
そしてその論理的根拠はと尋ねると、一番親切な樽川典子先生が、西洋人の本を持ってきてくれたのだが、一瞥して余りに馬鹿々々しかったので、書名も著者も忘れてしまった。
結局は、この人たちの「学問」の黙契のようなものなのであろう。
社会学者でフェミニストの上野氏にとっては、こんな「フェイク」のために育児や家事労働に追われた野枝は、粗野な運動家だということになる。
上野千鶴子フェミニズムこそ、ただのフェイクなのだが、……。
本連載の2022年5月号の第34回から第36回までと、とんで38回、47回に論理的かつ詳細に書いておいた。
ほんとうのことを知りたい方は、是非ご覧いただきたい。

使えない学問が淘汰される 
日本の大学の文系の縮小改組はすでにきまった文科省の方針である。
その方針に沿って、「使えない学問」が淘汰されていく。
この過程は、『使える哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年)、第三章「『使える学問』と『使えない学問』」にすでに書いておいた。
これは、大学行政の一端を担った実務家としての私の体験談である。
ネットで筑波大学の大学院、国際公共政策専攻の教員一覧を見てほしい。
そこに旧社会科学系の半分の専攻教員が分類別になっているはずである。
ポリティカル・アスペクトとか、カルチュラル・アスペクトとか、教員をアスペクト別にしたのが私の業で、こうすると素人目には教員がどう減っているのかわからないが、玄人にはどこのポストが埋まっていないか一目瞭然なのである(「詳細」のところをタッチのこと)。 
今これを見ると、政治学も半分近くいなくなり、文化人類学など虫の息だ。
だがまずいことに、日本の社会科学中、最も使えない、社会学があまり減っていないのである。
これは、社会学教員が一丸となって自己防衛しているのであろう。 
東大は、この淘汰圧に研究室を解いて専攻をばらばらにすることで応えたが、社会学研究室が固まって残っている。
上野氏などのOBが他分野「左翼の尻尾切り」で、牽制球を投げているからかもしれない。
あるいは自家の者たちを脅しているものか。 
他に、東大朝鮮史研究室は半壊状態だが、進歩史観の信者ばかりなので、教員の定年を待って、あとポストが埋まることはないだろう。
ついでに、重村智計氏(早稲田大学名誉教授)が、『Hanada』誌8月号で、「悲しいことだが、日本では″一流‘の論者やジャーナリストは韓国・北朝鮮問題にかかわらない。'一流‘とは、有名人という意味ではない。人間的に優れ、見識と知恵のある人間のことだ(212頁)。と、勇気をもって真実を報じているので、ここは真摯に応えておきたいと思う。
小此木政夫・慶應義塾大学名誉教授は天才・神谷不二先生の弟子だったが、反発して朝鮮戦争を米韓の「北侵」に拠るとする戦争起源説をとっていた。
即ち左翼である。
だが、1991年に、ソ連邦が崩壊し、金日成の南侵の問いに、スターリンがGOサインを出した所謂「スターリン電文」が流出すると、翌年、学生たちに「もう研究はやめた。これからはテレビに出る」といったそうである。
これは、日韓文化交流基金元職員で、当時小此木ゼミにいた秋鹿女史から直接聞いた。 
その後の彼の研究論文は、弟子たちに書かせたものである。
鐸木(すずき)昌之氏(元尚美学園大学教授)が7本、倉田秀也氏(現防衛大学校教授)が5本、平岩俊司氏(現南山大学教授)が3本代筆した。
以上は直接本人らに取材した。
「手は拔いたか」と聞くと、「それがいざ書くと、力が入っちゃうんだよね」と鐸木が答えていた。
彼は師よりも研究ができたのである。 
小此木の出版に関する事務は一番弟子の鐸木が支え、学会に関する事務は弟子でもない古田が支えた。
彼は、実務もできなかったのだ。
ここまで弟子たちを使役しても就職の世話を全くしなかったので、反発が起きたが、人使いがうまかった。
これを倉田一人への贔屓に転じて内紛を誘い、彼らを学界から散らしたのであった。
現代韓国朝鮮学会は、古田が作ったが、小此木氏の後にこれを支える人材たちは、すでにいなかった。
学会賞は小此木賞と命名された。

加藤陽子氏の先生 
8月19日、歴史学者で、東大名誉教授の伊藤隆先生が合併症で死去された(読売新聞8月27日付)。
このかたも不思議なかたで、自身は右派なのだが、学問が出来る出来ないは、左右を問わないのである。
何か読むとすぐ分かるらしく、2013年に拙書『「紙の本」はかく語りき』(ちくま文庫)をお送りすると、即座に「あなたのすごさが分かりました」という葉書が届いた。
どこが良かったかは、さっぱり分からないが、私にとっては時々木の下闇を照らしてくれる、月影のような人だった。 
最後の著作、『歴史と私』(中公新書、2015年)を読むと、戦前の昔気質の学者を数倍気難しくしたような「永遠の学徒」であり、「自分が拠って立つ論理がなければ実証研究は成り立ちませんし、以後もだいたいこの図式に沿って研究を展開しています」
(56頁)といって、簡単な図式が提示されているのだが、私は少しだけ眉に唾をつけた。 
私に近い世代の人たちも何人か出てくる。
藤原信勝さんは本当は好きだったタイプのようである(96頁)。
文春オンラインのインタビューなどを見ると、ケンカっぱやくてまいったみたいなことが書いてあった。
西部邁さんとは通じ合うものがあったようである。 
そんなところからの類型化であるが、この人は、私が「数学頭」と呼んでいる人たちに属するのではないかと思う。
西部邁、藤原信勝、柄谷行人、高橋洋一氏等々。 
ここだけの話であるが、数学頭の人たちは、ほんとうは右でも左でも出来てしまうのである。
ただ文系である以上、世問的にどちらかにしないと信用されないこともよく知っていて、どちらかにしている。
直観と明晰さと、論理と汎用性の経験主義の勝負だろうか。
「理科頭」の、大森荘蔵、岡田英弘、平川祐弘氏らとは、少し違う。
こちらはもっと頻繁に飛ぶし、理に強引であるが故に右だ。
岡田英弘先生は自然科学の神を信じていた。 
『歴史と私』の冒頭、「まえがき」を見ると、平成に改元されてから、しばらくして赤坂御所に御呼ばれし、陛下に日本近代史を講じたという、「夢のような話」が描かれている。
私が大いに驚いたのは、このようにシャーマニックな文章を、伊藤隆先生がお書きになれるのだという、事実だった。
菊の御紋の入った煙草をいただき、まずかったとおっしやるのだが、私はうまいと思った。

加藤陽子氏の家の話 
前にも書いたが、加藤氏の東大着任は、伊藤隆先生が1993年に東大を去ったあと、待っていたかのように1994年に行われた。
加藤氏の自伝にもどろう。
話はそこから生家に及ぶ。 
「自己決定権を持たない女性の姿は家族の中で見てきましたので」「父は先妻を病気で亡くしたのですが……『義祖母』が同居していました」「家の中には常に緊張感がある。自分の居場所を自分では決められなかった彼女らを可哀想だと思っていた」「義祖母と母は父の意向に従うしかなかった」「自己決定権の行使には賞味期限がある。義祖母や母は問に合わなかった。すみません。なんで涙が出てくるのだろう……」「また1931年生まれの母の兄弟2人は大学に進学できても、姉妹4人は行かせてもらえなかった時代でした。ならば私は、学問の力で人生の選択肢を増やしていこうと早くから決めていました。今思えば、とても優等生でしたね……」。 
JR東海名誉会長だった故・葛西敬之氏によれば、加藤氏の実家は電車の車輪を作る埼玉の鋳物工場の工場長だったという。
そう打ち明けられた葛西氏は、「なんだ、じゃあ僕らのお仲間ですね」と返したそうである。 
女の自己決定権云々や父の意向が女たちの人生を捻じ曲げたやらは、すべて今の価値観を過去に持ち込み、今の時点に立って眺望的に批判したものである。
朝ドラの「虎に翼」の脚本家・吉田恵里香氏が、昭和30年代にゲイ・カップルを登場させ、今の時点から眺望的に、つまり過去を見渡すように愛でているのと同じである。 
筆を職とするものは、こういうことをしてはいけないのである。
さもないと、歴史が放埒になり、韓国人のようになってしまう。
韓国時代劇などは全部これだからである。 
昭和30年代に、今の価値観をもちこまず、意識を飛ばして着地し、辺りを見まわせば、加藤氏の実家は「下」の階級としては、至極穏やかなものである。 
前にも縷々述べたように、横浜芸者町の質屋であった私の生家などはこんな平穏なものではなかった。
「下」の階級もろであり、無知と無明が支配し、土蔵からは悪徳があふれ出していた。
3番目の本物の姉は、親戚にもらいだされ、長じて家族を裏切り、叔母の遺産を持ち逃げした「托卵」の姉の方は、去年の9月に某所で死体で発見された。
去年の猛暑で、肉汁が床をそめていた。

知識人における階級の恐ろしさ 
そこからの加藤氏の記述は、「『奥歯男』に殴られた話」「修士のときに女は大学に就職できないから俺と結婚して米国に行こうと誘われた侮辱」など、どんなに男性に憎しみを募らせてきたかを、フェミニズムの神に報告する、忠誠競争に費やされる。
結局この人は、自分に自信がないのだ。 
「怒りを忘れないように年月日をメモしつつ、『研究教育職のポストに就けた日』『初めてアメリカを研究調査で訪れた日』なども併せて記録し、ガッツポーズを決めたりしていました」。
「幼い頃から自分のことを『特別な任務を背負っている』人間だと気負って生きてきたせいか、過去の女性も同時代の他の女性たちをも、きちんと見てこなかった」。 
そう、その通りである。
「自信がないのに自意識過剰だった」。
本連載、2021年11月号第28回で述べた、明治の元勲の孫・森有正に出会う前の栃折久美子、2023年9月号第50回のハンナ・アーレントが上流階級のヤスパース夫妻に受け入れられる前の、それと変わりないではないか。 
「下」の階級のものは、「良き人」を見たことがないのだ。
「下」の階級のものは、第51回の小見出し「知識人における階級の恐ろしさ」で書いたが、どんなにつらくても、侮辱的ではあっても、上流階級のものとの交わりを持たなければ、人生行路のいつかの時点で、己の「階級的品格のなさ」があふれ出してしまうのである。 
イエスが大工の子、ホッブズが酔いどれ牧師の子、カルヴァンが川の渡し守の孫、ルターが鉱夫の子、アーレントが梅毒もちの電気工事人夫の子、シュライェルマッハが貧しい従軍説教師の子。
みな神官の家、ジェントリー家、修道院、上流家庭で躾け直された。 
だから西洋では、ノーブレス・オブリージュというものがあるのである。
竹田恒泰氏には、動画チャンネルで「日本は一君万民で、階級なし」などとは言ってほしくない。
階級で苦労したものからのお願いである。
この稿続く。

 


2024/10/6 in Umeda, Osaka

 


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