この石が、芥川の、心眼を開かせてくれた。
そうしたら、急に、鯉が現れた…これは前章の鯉ではありません。
平安神宮でも、南天が、芥川を、これ以上ない歓待で、迎えてくれたことを、お伝えします。
これは、3番目の池で、…芥川に、「ようこそ、芥川さん、2日間、お待ちしていましたよ」、と、現れたのです。
同時に…2番目の池で、やっと、心眼が開いた芥川に、…よくぞ、気が付いてくれました、
私達のお礼です、と…庭師が…或いは、池の皆が、ご褒美に、プレゼントしてくれたんだと
芥川は思った。…それが証拠に、この後には、一匹の鯉が、まるで、話しかける様に、現れたのです(笑)…これ以上ないぐらい、本当に素晴らしい美人だった。
700年代から800年間、(決して日本の全てを網羅していたものではなかったが)日本の為政者であった人々の、庭、に存在するものは、例えば、この明鏡止水であると言っても良い。
為政者の心が、絶えず、動いているようでは、国の統治なぞは、覚束ない。
かれらの庭は、絶対的な静謐、不変=普遍の心の在り様が必要である事を、為政者という、これ以上ない立場に在る者の責任として、これらの庭は必要だったのだと芥川は断言する。
そのために、日本最高の庭師が、その技術の粋を尽くして、築きあげたもの、造ったものなのである。
その伝統は、今にも生きていて…昭和には、平安神宮の庭園…上記の庭の静謐さだけではなしに、現代に繋がるモダンさ、豪快さも併せ持つ庭を作った人。
最も、至近で言えば…芥川が、断然、当代最高の建築家の一人だと確信していて、秘かに尊敬もしている原広志さんの、京都駅。
昨日、心身ともに素晴らしい朝だった法金剛寺から妙心寺に向かった。
…妙心寺は、遥か以前に、京都に住んでいた時、理由も無く、好きな寺だと思っていたので…退蔵院の素晴らしい庭を見て…次に向かいたかった平安神宮~南禅寺金地院に、間髪を入れず、行けば良かったものを、…全てを見尽くすのが芥川の流儀とばかり…この時、頭の中には、梅棹たいじんが、去来していた(笑)
此処を一周するぐらい、当然だろうと…これが足に応えた。
京都駅に戻り、遅い昼食を食べた時に、待ち時間に、久し振りに、生ビールを飲んだのも、応えた。
11階の飲食街から、今日は、もう帰ろうと、伊勢丹のエスカレーターに乗った…ここから乗ったのは初めてだった…いつもは、地下の食料品売り場に降りるだけだったから。
乗って程なくして気が付いた…これは凄い、これほど美しいエスカレーターが、どこに在ろう…これは間違いなく日本一だ、と。
2階で降りて、煙草とコーヒーを飲んでいる時に、気が付いた。
原広志さんは、現代最高の庭師でもあると…僕が、出来た時から、本当に好きな京都駅…京都は、この駅が出来たから、現代に蘇ったのである…これは、現代最高の庭であることに、突然、気が付いたのだ。
芥川の第二章の為に、この2ヶ月間、既に30回以上は、訪れたはず。
毎週末に…今は、毎日、京都の庭園という庭園を見続けている、芥川だから気が付いたのである…実は、原さんと同等の頭脳を持って生まれた芥川だからでもあるのだが(呵々大笑)
これらの写真を、これから順繰りに、gooに、アップします。
アメーバ、FC2で、ご覧の方には、恐縮ですが、gooで、見て下さい。
今日、12月30日の、寒い曇天(昼から雨が確実な)日に、2時間も、平安神宮の庭園に居て、一心不乱に、写真を撮り続ける(見尽くし続ける)様な人間は、日本に、1,2億人がいても、芥川一人でしょう。
その結果、ここで撮った写真だけでも200枚!縮小ソフトのおかげで、縮小までは良いのですが、gooだけが有している100枚まとめて画像ダウンロード機能がなければ、とても、無理…おまけにアメーバは、どうしてもサムネイルサイズにしかならない…パナビジョンの映画は、サムネイルでは見れない。
芥川は、映画とは、素晴らしい写真が連続したものとも考えているのです。
©芥川賢治
政治家になったり、政治を語ることを職業としたり、税金で飯を食う事を選択しておきながら、国民を、己の為に食いものにしたりする者たちには、例え、エリートであっても安穏はない。
エリート道から離れて、闇の中の魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界で生きることにも安穏はない…何故?…そこは邪気と餓鬼が、ごまんと居る世界だからである。
仏教は、邪気にも、餓鬼にも、救いを与えようとする宗教だと芥川は思う。
百八つの鐘は、本来は、地上に蠢(うごめ)く、邪悪なるものを、この世から霧散させるものだったろうと芥川は思う。
現代の季語のようなものとは違って、原始仏教では、切実な、邪気払い、邪悪払いだったのではなかろうかと芥川は思う。
安穏があるのは、己のためでなく、温故知新の道を邁進している者たちにのみであると芥川は思う…様々な人たち、様々な研究等に取り組んで一生を終えるもの…日本にとっても世界に取っても有用な、素晴らしい企業で、活躍し、自国を富ませ、あるべきビジネスマンとして一生を終えるひとたち…これらの人たちには、安穏があるのだと芥川は思う。
共通していることは、己のためでなく、世界のために、或いは、人間のまっとうな営みのために、自分の人生を終えるひとたちであること…家族や、一生を終えるには、十分な、報酬とうは、結果であって、彼らの目的ではない。
芥川にとって、2010年を、もっとも象徴したものは、数週間前の、週刊現代かポスト(だったと思う)の記事にあったこと…市民政治家を標榜して来た者、…それだけが、唯一の存在理由だったと言ってもいいのではなかったか…
そのような人間が、己の地位を死守するために、某・大物保守政治家を、自分の思惑に、引き入れるために…これこれしかじかのことは大御心であると言ったと、この週刊誌は書いていた(この事の真偽は、その週刊誌にまかせます)
その文脈、内容、から言えば、間違いは無いのだろうと芥川は思った。
このようにして、日本の20年には、許されざる偽善…そして間違いが、まかり通ってしまった。
下々の世界に、嘘八百(この季節ですから、百八つの邪悪と言いましょう)が、まかり通るのも、むべなるかな、だと芥川は思う。
芥川の文章も…写真も、邪気や邪悪に影響を受けている時には、書けない、撮れない…何故か?…それらは、無心の心…自然と…石と、数々の植物と、水と、花との対話、交感の結果だからである。
フェノメナン(天賦の才)は、真っ白な心にしか宿らないのだ。
たしか明恵上人は、それを明鏡止水と表現した。
芥川は、アルヘリッチの響きと、完全に、一体だった。…それこそが、芥川の人生。
大江たいじんよ、第二章では、かなり、パルレ・バッソ(声低く語れ)から、離れるかもしれない。
日本で、最も、学問的にも、知性を深めるのが、あなたの役割だったけど、芥川の役割は、
人生行路が全く違った様に、あなたの役割とは、当然ながら、ちがうものなのだから。