すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

最期の夜

2007-05-20 23:00:55 | ひとりごと
 18日私は公休だった。実は友人との約束があっての希望した公休だった。しかし、クリがいい状態ではなかったので、キャンセルした。友人も賛成してくれ、一日クリに付き添うことができた。
 足は全くたたない。嘔吐と下痢が続く。紙おむつを履かせて寝かせた。水は欲しがるがすぐに嘔吐するので、少しずつ喉に流し込んだ。
 夕方から家族で付き添った。寝室から居間に来た父は、クリの頭を撫でながら
 「おらより先に死ぬなって言うたのに!」
と嗚咽した。母も泣いた。私もこらえきれず泣いた。
 父が寝室に透析に向かう頃、息づかいが激しくなった。
 「病院やったら、酸素室で点滴だって・・・。」
そう私がつぶやくと、父が自分の酸素を外してクリにあげようとする。そっかその手があったんだ。父を止めて、使い古しのカニューレを携帯酸素につなぐ。そしてクリの鼻に近づけた。上手に吸えた。そして幾分呼吸が楽になる。気休めと分かっていても、少しでも苦痛が減ればとの思いだった。
 夜親友が来て、しばらく一緒についてくれた。苦しい息の下でも何とか外で排泄しようと敷物を力無く掻く。睡眠不足の私の体力も限界だった。翌日の仕事のためにも、少しは身体を休めなくては・・・とどこかで思う。横で寄り添いながら酸素の警報が鳴れば酸素を近づける、様子を見るを繰り返した。
 そして23時50分クリはついに息をしなくなった。涙が後から後からあふれ出る。でも、私にはするべき事があった。
 身体を綺麗に拭いてやる。苦しい息の下で苦悶の表情では昇天出来ない。舌を収めて目を閉じさせる。お布団にくるんで寝かせてから、両親に伝えた。
 父はこらえて「そうか・・・」とだけ言った。母は居間まで来て、取り乱した。
 「ひとりは寂しい。母ちゃんついとる。そばにおる。」
そう言ってなきじゃくる母を子供を叱るようにして、寝室に戻した。
 夜明け・・・。父は実にしっかりとした足取りで居間に来た。クリの顔を見て
 「良かった。ええ顔じゃ。」
と安堵の声をもらした。それほどにクリの表情は柔らかだった。
 葬ったのは父の寝室と大好きだった庭の見える場所。ツツジの花の根本だ。
 ありがとう。あなたを忘れない。あなたのお陰で父も頑張れた。母も癒された。私も救われた。あなたの声、匂い、表情、仕草、どれもひとつひとつが愛しかった。もう苦しまなくていいから、安らかに眠ってね。

みなさま・・・応援ありがとうございました。
コメント (2)
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