Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

代役 神山 智洋(ジャニーズ ウエスト)の絶妙の演技   新橋演舞場 「 オセロ― 」

2018-09-29 | 演劇

 

ある演劇評論家が新橋演舞場の「オセロ―」を観て、こう評した。

「蜷川幸雄直系のシェイクスピアを、新橋演舞場に丸めて、糖衣錠にしたような芝居だ」

この発言は的をついている。今回の「オセロ―」をひと言で評すれば、まさにこれにつきる。

さらに私がつけ加えるならば、シェクスピア劇のストレートプレイとは言い難い。

中村芝翫を座長とする「商業演劇」だと云うしかない。

 

新橋演舞場では、シェイクスピア劇の上演は30年ぶりとか。

演出には”蜷川イズム”を受け継いだ井上尊晶

さらに、坪内逍遥のお孫さんだという河合祥一郎が本公演のため新たに翻訳したという。

音楽は「ユーミン」で知られた松任谷正隆。コーラスの入った音楽は芝居を盛り上げた。

美術は中越 司、照明には原田 保とすべてが、かつての蜷川カンパニーである。

 

そして、すべてが蜷川幸雄の真似事。序幕のゴンドラの発想、二幕目では、大階段あり、ホリいっぱいの満月。

三幕目では舞台全体がミラー張りなど、キリがない。

 

オセロ―  中村芝翫

 

デズデモーナ  壇 れい                イヤゴー  神山智洋 

 

芝翫のオセロ―は序幕から終幕まで、うねるような起伏を忌憚なく演じたことは評価したいが、問題は台詞である。

たしかに窮地に立ったとき、オセローは非現実的な台詞を云う。

これは歌舞伎とあいつながるものがある。歌いあげても負けないところがシェイクスピアの凄さであり、台詞の勢いが違う。

昨今、台詞を歌う役者が少なくなった。

私は台詞を謳いあげることに異存はない。

しかし、それが歌舞伎でいう「物語」になっては、いかがなものか疑問がのこる。

だから、あまり歌舞伎を知らない人までが、オセロ―のセリフは”歌舞伎調”だと云うのは是非もない。

 

観客を巻き込むエネルギーが芝翫にはたしかにある。

しかし多くの疑問をのこした芝翫の”オセロ―”であった。

 

俗に「イヤゴー役者」という言葉がある。

つまり「オセロ―」という芝居はイヤゴーが動かしているといってもよい。

従来から、イヤゴー役には”いぶし銀”といわれるような年かさの役者が演じてきた。

今回は若手の神山智洋の起用である。逆にこれが成功した。

初めは今井 翼が配役されていたが、病気療養のため降板。そのための代役である。

 

神山は初日はかなり噛んでいたらしいが、見違えるように”悪の塊”を演じきった。

長台詞の滑舌のよさ、体のキレ、それに大階段を登るときの、神山の「タタタァ」が観ていて心地よく

、そして凄い。

20代という若さもあるが、体幹がまったくブレない。

しかも、あまり小細工はせず、若さで役にぶつかっているところに好感がもてた。

 

壇 れいのデズデモ―ナが秀逸。

従来からデスデモ―ナ―は元宝塚女優がやることになっているらしい。蜷川幸雄の「オセロ―」には黒木瞳だった。

壇れいは、はじめ純白のシンプルなドレスで花道から登場。あまりの雪のような美しさに場内からため息がもれる。

ことに壇れいの唄う”柳の歌”は絶品だった。

後半オセロ―に一抹の不安を抱きつつも最後の最後までオセロ―のことを信じ、愛し続ける。

そんなデスデモーナの心の揺れと、つらぬく愛をみごとに表現した。

 

  

   エミーリア  前田亜季            ヴェニス公爵  田口 守

 

ブラバンショーの辻萬長、複雑な感情をにじませて好演。

歌舞伎の勘九郎の奥さんの妹だというエミリアの前田亜季も、あまり出しゃばらずに脇役に徹し、素直に演じた。

今後に期待したい。

 

 河合 宥季

 

ほかに注目したいのが新派の女形である河合宥季

キャシオ―の情婦であるピアンカ、乳母、棺女、ヴェニスの兵士の4役をこなす。

中でも「棺女」がいちばんよかった。

台詞こそないが、序幕のゴンドラで棺を抱えて泣き崩れる老婆の役。

蜷川バリの役をうまくこなした。お疲れサマというよりほかはない。

 

  

                                      演出の井上尊晶さんにサインしてもらいました

最後になるが、終幕の不可解な演出に疑問がある。

「急ぎましょう、帰国を。重い心でせねばなりません、つらい報告を。」

この終幕に恰好のセリフで緞帳をきるべきだった。

またロドヴィーコーを演じた大石継太も哀しみを刻みながら、おさえた台詞はじつにうまかった。

なのに、突然、上手下手から刺客とおぼしき大勢が乱入して、イヤゴーが蘇生するというシーンが付く。

これは何のためか。まったくの蛇足である。

この不可解な井上演出に、レッドカードをつき付けたい。

 

                                         (2018・9・20     新橋演舞場で所見)    

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心憎いほど女の心理をさぐる二人芝居     向田邦子の 『 家族熱 』

2018-07-05 | 演劇

 

「家族熱」は,美しい後妻が家族に加わったことで、平熱を保てなくなった、ある"家族” の物語である

 

原作である向田邦子の『家族熱』はもともと連続テレビドラマで、10数回続いたらしく、登場人物はしこたまだったという。

舞台「家族熱」は、美しい後妻・朋子と先妻の長男・杉男のふたりだけに絞り、原作の3年後という設定で、合田直枝が翻案、自ら

演出もしている”ふたり芝居”だ。

 

”家族”という制約から解放された継母・朋子と息子・杉男のこころの揺らめきが主題になっている。

家族という体裁に納まりきれなかった二人は、今後どこに向かうのかを観客に投げかける。

「対話劇」というより、むしろ「心理劇」だというべきだろう。

 

    

                      朋子・ミムラ                      杉男・溝端 淳平            

台本・演出 合田直枝

 

ミムラは、ミムラ名義最後の舞台である。(現在の芸名は、美村里江)。

「家族」という枠に翻弄され、発散することの叶わなかった微熱……。

3年越しに煮詰まった熱い想いを、衒うことなく、素直に演じきった。

幾重もの三角関係がはりめぐらされた中で、「大事なことだから 口にしない」

サムライの如く抑制力がきいた朋子(ミムラ)の台詞にも痺れた.。上演時間90分が、アッという間に終わった感じだった。

 

対する息子役の杉男には溝端淳平

前作の「管理人」とは真逆の役柄だが、今回はハマリ役。

ひとまわりしか齢が違わない継母の、言葉とはうらはらな、ほんとうの気持ち……。

ゾッとするほどリアルな女性心理…。それに翻弄されながら、息子として、男として対峙する端正な一青年を演じる。

この難しい役柄に臆することなく、真剣に取り組んでいた。

昼メロ調にならなかったのがいい。

欲を言えば”男の匂い”が、もう少し欲しかった。

それに杉男は駆け出しの麻酔医だが、どう見ても、そうは見えて来なかった。

 

 

舞台版「家族熱」は、過去と現在を行き来する構成になっている。

しかも、そこには向田邦子が描いた血の繋がらない男女の微妙な距離感がある。

芝居にはほとんど舞台転換がなく、ふたりとも出ずっぱりである。

照明と音響がじつに効果的だ。、なんの違和感もなくスムーズに芝居の流れを運んでいる。

二人の会話に動きがついてくると舞台に奥行が出て、風景が立ち上がってきた。

 

 

向田邦子作品といえば、どうしても名プロジューサーと呼ばれた久世光彦が創り上げた「向田調」がある。

「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」など、向田フアンでなくてもタイトルだけはご存知であろう。

今回の舞台は、「向田調」を脱して、向田邦子の世界に新しい風を吹き込んだのがよかった。

 

 

向田邦子没後40年。

舞台版「家族熱」は、台詞ひとつ一つが生きており、向田邦子が仕掛けたエスプリがいっぱい詰まっている。

ふたりだけの芝居に、人間の「深淵」をのぞき見したような舞台であった。

                        2018。06.12   兵庫芸術文化センターで所見)

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女三人のおばちゃん『コーラスガール』の物語   鄭義信作・演出 『リバウンド』

2018-05-27 | 演劇

 

今回の公演のタイトルが「リバウンド」と聞いたとき、ダイエットに失敗を繰り返す大阪のおばちゃん達の話かとおもった。

だが、あらためて舞台を見ると「これって、どこかで見たことがある?」。

このことは、後に詳しく書くつもりだけれど、2010年に東京は杉並区の座・高円寺 という小劇場で公演された「富士見町アパート

メント」の中の、一作品が、この鄭義信作「リバウンド」だった。

当時、4人の劇作家が、同じアパートのセットで、それぞれ1時間の枠の中で新作を書き下ろし、そのすべてを鈴木裕美が演出するとい

う画期的な試みだった。

芸達者な平田敦子、池谷のぶえ、星野園美ら女優3人が、揃っての熱演だったのを憶えている。

 

 

    

(神戸公演のコーラスガール達  左端が鄭義信さん)

 

あれから8年。今回は台詞を関西弁に書きかえ、歌も少々増やした。

さらに地元で活躍している女優さんに合わせて、ホンに手を加えたらしい。しかも作者自身の演出だ。

こうして1時間半の一幕物に『リバウンド』は生まれ変わったのである。

 

今回、上演時間が増えたせいでもないだろうが、いささか散漫になったことは歪めない。

率直に云って、初演のほうが、ことにラストなどは、三人三様の個性がはっきりと浮彫りされていた。

芝居が”濃い„かった。

しかも泣いて、笑って、歌って、踊って、おばちゃん3人組みの舞台は、観客にはうけてはいたが、いささか関西風のドタバタ

喜劇に終始していた感がつよい。

作者の意図は「アハハ…」と笑ってはいるが、その影にさびしさ、わびしさが観客に伝わらなければいけないのだが……。

鄭さんの妄想は、あの「富士見町アパート」の部屋で、鼻歌を口ずさみながら、去っていった仲間を想いながら

下着を部屋干ししている「コーラスガール」を書きたかったにちがいないのだから。

 

初演では、平田敦子、池谷のぶえ、星野園美ら太目の女優を集めた。

彼女達はバンドを立ち上げたがなかなか売れない。

でも好きな唄を歌って、楽しい毎日だった。仲間の一人は婚約者もできた。

そして、20年後のクリスマスイブの日……。バンドの解散。つまりはリーダー格の菊子の父が認知症になり介護のために、実家に帰るこ

ことになる。結婚した瑞穂は夫にしじゅう殴られるような不和状態。もう一人の弥生は不倫を重ねている。

登場人物の抱える問題がステレオタイプではあるものの、そこは鄭さんらしく大いに笑わせながら物語を運ぶ。

役者が達者なだけに、孤独を身体(からだ)に染みこませた動きが、セリフに奥行をあたえ、しかも物語が凡庸な印象になるのを食い止

めていた。

 

(初演の『リバウンド』 東京・座・高円寺で) 

 

「コーラスガール」たちにも、華やかだった過去もある。カウントダウンコンサートのオファー、掛け持ちの日々。

そんなバブル時代を回想しながら、鄭さんオハコのおおいに笑わせ、やがて侘びし過ぎるかなしみ……。「人生ほんまに切ないね」。

それが観客に、すくなくとも東京公演では、鄭義信戯曲の本質がストンと胸に落ちた気がする。

 

 

 (初演 『リバウンド』 のチラシ)

 

 (左から 蓬莱竜太 赤堀雅秋 鄭義信 マキノノゾミ の 各氏)

 

さて、2010年に公演された『富士見町アパートメント』(自転車キンクリートSTORE  鈴木裕美演出)は、蓬莱竜太、赤堀雅秋

マキノノゾミ、そして鄭義信の当代人気劇作家が、同じアパートのセットで、それぞれが1時間の劇作を書き下ろすという意欲的な

試みが、杉並区にある座・高円寺という小劇場で展開された訳である。

ちなみに、『リバウンド』は、Bグループの最初で、休憩をはさんでマキノノゾミ作『ポン助先生』が上演された。

 

このときの『リバウンド』 が、8年ぶりに神戸・新開地の神戸アートビレツジセンターKAVCホールで火の目を見たのである。

                                (2018・5・19  神戸新開地 神戸アートビレッジセンターKAVCホールで所見)

                                 

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大竹マジック全開の舞台  『欲望という名の電車』   -渋谷・シアターコクーン -

2018-01-05 | 演劇

 

私は若いころからテネシーウイリアムズの戯曲が好きで、多くのテネシー劇を見てきたが、なかでもテネシーの最高傑作といわれる

『欲望という名の電車』は、数えきれないほど見ている

これまで日本では杉村春子が1953年にブランチを演じた 文学座公演が最初だった。

残念なことに、この文学座公演は映像でしか見ていないが、杉村以外にも、水谷良重、東恵美子、岸田今日子、栗原小巻、樋口可南

子といった実力派の女優がブランチに挑戦してきた。

変わったところでは、篠井英介がブランチに挑んだことがある。

今回ブランチ役は大竹しのぶである。しかも大竹は15年前に蜷川幸雄演出でやっている。2度目のブランチ役である。

 

 

 ブランチ  大竹しのぶ

   

   スタンリー 北村一輝               ステラ 鈴木杏                 ミッチ 藤岡正明        

大竹しのぶ 達者な俳優だけあって、見るたびに感じる濃厚な”大竹マジック”は健在だ。

後半の狂気に至る部分は鬼気迫る”芸”を感じさせる。

大竹はまるでまばゆい多面体のようなブランチを演じる、かと思うと高慢でナルシステックで鼻持ちならない女に急変する。

また嬌声を上げて男に言い寄る娼婦のようになる。しかも悲痛なトーンだけでなく、喜劇的センスもたっぷりあって、観客に

笑いを呼び起こすのである。

しかし精神の繊細さゆえに現実を受け容れられないブランチという主人公が彷彿と立ち上がってくる気配がいささか

薄いのが欠点といえば欠点だろう。

 

  

 

ステラ役の鈴木杏はこの役をナチュラルに好演している。

肉感的もさることながら、声跡に透明感があるのがいい。

 

 

スタンリー役は映像畑で活躍の北村一輝が意外なほどの健闘ぶりで、しっかりと自分の役にしているのに好感がもてた。

ポーランド系という設定だが、もう少し引きしまった裸体を見せるセクシーな場面があってもよい。

ワイルドな男といった印象がいささか薄い。

ちなみに、前回の蜷川演出では、スタンリーは堤真一だった。この役には美男すぎる気もしたが、セクシーな魅力があった。

 

 ミッチ 藤岡正明

ブランチに惚れ込むミッチ役に藤岡正明

ミッチは、不器用でとても繊細な人 、それでいて男性的な魅力に乏しい。

そんな役どころを充分に計算して藤岡は好演した。

 集金人の若者 石賀和輝    

今回の拾い物は集金人の若者を演じた石賀和輝

すなおにトーンを抑えた芝居で、一場面だけだがその等身大の演技に感動した。

「星の王子さま」にふさわしい容貌で、この若者が登場することで,主人公ブランチの過去が暴かれるのである。

つまり、教え子に手を出して教師をクビになり、娼婦めいた暮らしをしていたブランチの荒んだ過去が、この場でちらっと垣間見せる

のだ。

 

 

今回のフイリップ・ブリーンノ演出はいささか説明的にさえ感じさせるわかり易さを主眼としたものだから、却ってブランチの演技が

「芸」の羅列に見えてしまう憾みがある。

それにしても終幕はみごとな演出だった。

医師と看護婦が紗幕越しに登場するのだが、本舞台のブランチのセリフに合わせるように、同じ歩調で現れる。

そして終幕……ブランチはポーカーの男たちに振り向きもせず、客席の通路を歩いて行く。その後に医師と看護婦が続く。

甘美な泣きじゃくりも、なまめかしいつぶやきも次第に高まっていくのだった。

いままでにない心憎い演出である。

                      (2017・12・14  渋谷・シアター・コクーンで所見)

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見ごたえのある鮮やかな≪舞台幻想≫の深さ  ジロドゥの『トロイ戦争は起こらない』  新国立劇場

2017-10-27 | 演劇

 

 久しぶりに「演劇」らしい「演劇」に出合った。

しかも現在演劇の本丸といわれる新国立劇場で、感銘の深さという点でこれは屈指の舞台だった。

「フランス古典劇」という高いハードルに意欲的に取り組み、有史以来、人類が絶えず直面してきたであろう問題を改めて考えさせられ

る骨太な舞台だ。

 作者ジャン・ジロドゥは、この地上から「戦争」がなくなることのない人間歴史の愚かさを、怜悧にそして詩的に描き出している。

紀元前1200年頃に起こった「トロイ戦争」。といえば「トロイ」対「ギリシャ」の戦争を想定するだろうが、開戦直前のわずか一日に絞って

ジロドゥはこれを劇化した。

 ギリシャ神話『イリアス』をモチーフにしながら、何よりも現代に呼応する舞台を創りあげた栗山民也の演出の功を多としなければなら

ない。

岩切正一郎の翻訳は、台詞にテンポがあり、何ら現代劇と変わらない。「古典劇」だからと敬遠される向きもあろうが、非常にわかり易く

かつ明晰である。

 

「戦争への憎しみが増すにつれ、殺したいという欲望が沸いてくる」 

 

 二村周平の舞台美術が出色だ。

いつの頃からか、ギリシャ劇、古典劇になると、ドームとか階段の装置が定番だった。

今回は回廊を思わせる半円形のセットがシンプルであり、歴史の渦を連想させた。

また、衣装や装飾(例えば王冠など)にも、ギリシャ劇特有の重々しいロープなど時代感のあるものはいっさい排除し、用いる

つもりは、さらさらなかったらしい。

 音楽は、一人だけの生演奏。金子飛鳥のバイオリン独特のスリリングな音色が、不穏な空気とうまくマッチングしていた。

 

      

 

 画像左から、鈴木亮平、一路真輝、鈴木杏、谷田歩 らの演技陣も魅力にあふれていた。

 エクトールの鈴木亮平は、かつて好きだったものが今ではもう好きでないという苦い意識。平和への希求。

徹底的に開戦を避けようとする姿を真摯に演じた。

誠実に吐く彼の台詞は観客の胸をうつ。前作『籟王のテラス』(赤坂ACTシアター)よりもかなりの進歩である。

 

「戦争は終わった。でも次のが待っている」

 

「今まで好きだったものをどうやって嫌いになるの? 聞かせて」

 

 対するエクトールの妻アンドロマックを演じる鈴木杏はエクトールの子を身ごもり、つねに戦争の予感におびえている。

明瞭な台詞、それに切迫感があり、本作いちばんの出来。

 

「鏡を割っても、そこに映っていたものはやっぱりそのまま残るんじゃない?」

 

 絶世の美女といわれたギリシャ王妃エレーヌの一路真輝の超然とし佇まいには圧倒される。

宝塚調をむしろ逆手にとって、洗練された長台詞、"美しい言葉”を朗々と演じたのはさすが。

 ギリシャの知将オデュッセウスの谷田 歩が、本来はシエイクスピア役者だが、今回は冷徹さ一辺倒で舞台の緊張感を高める。

 緊張感といえば、終幕近く、鈴木亮平のエクトールが谷田 歩とのはじめての対面。名目は話し合いだが、実は対決である。

「戦いだ、そこから戦争になるか ならないか」

  真っ赤な太陽を背に、二人だけのシーンは迫力があり、息詰まる瞬間である。

 

画像左 福山康平(トロイ王子) 右 江口のりこ(カッサンドル)

 

 

 終幕には、トロイ王子の福山康平とギリシャ王妃(一路真輝)のラブシーンが印象に残る。

戦争の門がゆっくり開いて、エレーヌがトロイリュスとキスするのが露に……。妖しくも美しい精妙な「なぞ」で私たちを魅惑したのである。

それは、あたかも歌舞伎の遠見を思わせた。

劇詩人ジロドゥの鮮やかな≪舞台幻想≫というべきだろう。

 

 エピローグで、エクトールの妹で予言者の江口のりこが、さめた口調で語る……。

「トロイの詩人は死んだ……これからはギリシャの詩人が語る」

 じつに苦い感動にあふれた終幕だった。

 

(2017・10・19   初台・新国立劇場で所見)  

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