「それじゃまるで新派だね」。「それって、新派ぽいね」。
平成の今でも、「新派」という言葉だけは生きている。
いまの若い人は長谷川一夫や鶴田浩二の名前を知らぬ。ましてや水谷八重子なんて知るわけもない。
いわんや喜多村緑郎など団塊の世代でさえ、まずご存知ではないだろう。
初代喜多村緑郎は明治から昭和にかけて、庶民の哀歌を描く「新派」の写実芸を作り上げた俳優である。
さらに云わせてもらえば、初代喜多村緑郎の舞台は映像でしか知らないが、とにかく強情な人で、舞台装置はもとより小道具の位置ま
であれこれ注文した。
たとえば「湯島の境内」でお蔦が障子紙を落とす場面で、その障子紙を落とす位置まで注文したという伝説がある。
その喜多村緑郎の名跡を市川月乃助という歌舞伎役者が二代目として襲名したのである。
「婦系図」お蔦(初代喜多村緑郎) 昭和21・東劇
新派の代名詞でもある「婦系図」を知らない人でも、『月は晴れても心は闇だ』 『切れるの別れるのって芸者の時に言うものよ』、湯島の
境内での名セリフぐらいはご存知であろう。
その「婦系図」が夜の部で上演され、順を追って私見を述べてみたいと思う。
二代目喜多村緑郎
(左から) 波乃久里子 水谷八重子(二代目)
(左から) 尾上松也 春本由香 市川春猿 市川猿弥
飯田町・早瀬主税宅
久里子のお蔦と喜多村の主税の二人は、飯田町に新所帯を持っているが、身を隠さねばならない事情が見えてこない。
これは一瞬のイキと間とからみ合いの面白さがうすい。だからもう一つ舞台が盛り上がらない。
たとえば、序幕のラストで久里子のお蔦が湯支度をして2階を見上げ、女中に半纏をなげて「チョン」と柝が入る見せ場だが、うまく
キマらない。
これはあまりにも先代の”かたち”ばかりを意識するために、「気持ち」が入っていないのである。
田口守の魚屋「めの惣」は江戸前のそれらしく、いかにも時代の雰囲気を表したのはさすが。
春本由香の酒井妙子は初舞台だから是非もないが、少々硬さはあるが、初々しく初役とは思えない出来。
川崎さおりの女中も目立たずしっかり芝居を運んでいる。
この幕のピカイチは河野菅子の春猿。弟の結婚の身元調べでちょっと出るだけだが存在感があり舞台を締めている。
ことに花道七三でピタリときまっている。平成13年4月の国立劇場で見た成田屋の升寿がよかったが、それに劣るものではない。
本郷薬師縁日
この場のポイントになる古本屋はともかく、、カルメラ焼き屋、小間物屋、揚饅頭屋、手遊屋、易者など、どれ一つカットするでなく、こま
かに舞台を飾ったのは評価したいが、けだし当時の縁日の匂いが、下町情緒が伝わって来ないのである。
この場ではじめて登場する柳田豊の酒井俊蔵に重圧感がなく、威厳さが不足。タダの明治のオッサンである。
だから対する喜多村の主税はオドオド感がうすい。
さらに河野栄吉(喜多村一郎)につきまとう芸者は、瀬戸摩純、畼原桂、山吹恭子と新派若手の美人揃いである。これに松也一門の
徳松あたりを年増芸者で起用すると、古風な味が出て面白いのではないか。
古風といえば,河野栄吉が芸者たちに「あとで洋食をご馳走するから」ではなく「あとで精養軒でご馳走するから」ではないのか。
些細なことだが明治のフンイキを大事にしたい。
前後するが、この場で書いておきたいのは、松也のスリ万吉。ニンに申し分はないと思うが、これでは歌舞伎の『め組の喧嘩』である。
つい最近、歌舞伎座で千本櫻「小金吾討死」の松也の立ち回りを見て、渡辺保先生が「あれはアスリートだね」と評されたのを思い
出す。
柳橋 柏家
この場から八重子の小芳が出る。初代喜多村緑郎は、晩年この小芳を勤めた。
初代喜多村は、主税との別れ話を聞いているときに火鉢をいじるが、観客の見えない火鉢の中で火箸を、台詞にそえてすとんと落とし
た。喜多村はそんな細かな所作までやってのけたという。
柳田の酒井俊蔵は、この場も印象がうすく、対する八重子の小芳も単調で、新派らしい情緒たっぷりの場がアッサリすんでしまうのは残
念である。
石原舞子の芸者綱次だけが、新派らしい風情を遺している。「苦界だわ」のセリフだけが、ここは聞かせどころと意識したのか、ヘンな間
があいてしまったのが惜しい。
ついでにいえば往年の英つや子の綱次がじつにうまかった。いまも心に遺っている。昭和31年3月の新橋演舞場であった。
湯島境内
てんめんたる情感のこもった湯島境内の場……梅の花びらをそぼろに散らした揉紙の感触を、わたしはこの一幕に感じるのである。
しかし、お蔦主税のわかれの哀しみがいま一つ共感を呼ばない。舞台が盛り上がらないのは、どうしてであろうか。
それにテンポもよくない。
新派なりの”かたち”にこだわる反面、お蔦主税のからみがなんだかギコチなくなる。さりとて大芝居をしなくて、サラサラなんのことなく
芝居をしていて、観客の心をつかむことが出来るだろうか。
”かたち”にとどまらず、その”かたち”の面白さを追及すべきではないだろうか。
清元「三千歳」の「門の外には丑松が」にて出になる松也のスリ万吉。いきなりベ羽織を盗んで逃げようとするのだが芝居が面白くない。
つまりリアルであってリアルでないのが新派芸の泣き所だと私はおもう。
もう一つ。主税は、自分もやはり隼の力と異名をとっていた若い頃の秘密を、スリの万吉に打ち明けるくだりが、歌舞伎でいう”物語”に
なってしまった。
(物語とは、劇中で主役が過去の事件や心境の述懐など、周囲の者に物語る場面をいう『歌舞伎事典』より)
対する松也のスリ万吉も微動だにしない歌舞伎芸になっている。
八丁堀 めの惣
この場は、新派劇団員だけでまとめたせいかアンサンブルがよい。久里子、八重子、春本由香の三人をめぐって廻りも充実している。
屋台外には、祭の若い衆、郵便屋、俥夫と、どれもカットなく、しかもその時代のことこまかな市井の空気がただよう。
感心したのは、大野梨栄の子守がしっかりとそれらしく芝居をしていることだ。
久里子のお蔦は、ことさら大芝居をしないで、師匠初代水谷八重子の型どおりに演じた。
「めの惣」の場には、長唄『勧進帳』の下座音楽が効果的に使われている。たとえば、妙子の髪を梳くときの「人の情の盃を」はあまりにも
有名。
「これやこの…」で花道から出る春本の妙子は、可憐で初々しい。
水谷八重子の小芳が電話を掛けに出掛けるときに「ついに泣かぬ弁慶も、一期(いちご)の涙ぞ…」にて戸口を出る。一番おいしいとこ
ろであり、小芳のしどころなのだが、芝居にコクがなく物足りない。
めの惣は田口守、髪結い女房に伊藤みどり。
静岡・馬丁貞造小屋
大きな三日月を背に月明かりの幻想的な場面である。
春猿の河野菅子が色気たっぷりで抜群にうまい。
終戦直後の話だが、夫のある河野菅子が長襦袢ひとつで早瀬主税に言い寄る場面にしたところ、GHQの検閲でカットされたとか。
春猿の菅子はれっきとした着物姿でも、長襦袢ひとつで言い寄るのに匹敵するくらいの迫力があった。
さらに、河野とみ子の高橋よしこが風情のある存在感で、ちょっと出るだけだが、この人が加わると新派らしい雰囲気が漂うのが不思議。
猿弥の河野英臣も手堅い。
こう書いてくると、全幕中この場だけがいちばんの出来で、皮肉なことに客演である澤瀉屋一門のチームワークのよさで舞台が盛り上が
った。
めの惣の二階座敷
『残菊物語』をコピーしたような大詰で、さしたることもない。
(2016・9・21 大阪松竹座 夜の部所見)