昼の部に上演された『暗闇の丑松』は私にとって思い出のある狂言である。
昭和58年2月。忘れもしない横浜の青少年ホールで自作の公演があり、中華街での打ち上げも中途で退
席してタクシーで東銀座の歌舞伎座に駆けつけた。
初代辰之助の丑松で『暗闇の丑松』を見るためである。
そのときの配役を紹介すると、丑松に辰之助ほか、お米に菊五郎、お熊が菊蔵、四郎兵衛に先代の
権十郎、お今に田之助、祐次に海老蔵(故団十郎)、妓夫三吉は岩井半四郎。
今から思えば夢のような超豪華キャストであった。すでに故人になられた歌舞伎俳優さんも多いが、端
役に至るまでアッと驚くような布陣だった。
それでも当時は「歌舞伎低迷」の時代で、空席が目立った。八月にはいつも「三波春夫ショー」で貸館してい
た時代であった。
「暗闇の丑松」は、昭和9年に六代目の丑松で東京劇場で初演されたらしいが、長谷川伸の『瞼の母』、『一本刀土俵入』などよりも上演回数は少ない。
わたくしは長谷川伸作品のなかでこの『暗闇の丑松』がいちばん好きな作品である。2番目が『中山七里』。
『中山七里』は大阪の新歌舞伎座で初代松緑と山田五十鈴で見ている。あのときの舞台がいまも心に刻み込まれているのであります。
ところで『暗闇の丑松』は講談をその素材にした作品ですが、主人公丑松の気風がよくて、一本気なところが実にうまく描かれているのと、「天保の改革」
という江戸の暗い時代を背景に市井(しせい)の風俗描写が登場人物とからまって見事に活写されていることである。
『 暗闇の丑松』
松緑の丑松は初演。つい熱が入って大芝居になるところがあるが、きりっとしまって一本気で、苦み走った
男を力演した。
しかも音羽屋系らしく小悪党でも小ざっぱりした、粋な江戸っ子の板前である。
序幕鳥越の二階での、幕切れの遠くをさす指のキマリ、四郎兵衛の家に下手から出るイキ、湯屋の裏手
から殺気を帯びて出てくる凄味。欲をいえばもう少しサスペンス性があってもいいのではないか。
一番いいのは、ラストの花道の団扇太鼓の引っ込みがうまい。切羽詰まった顔つき、まっすぐな芸。
父・辰之助の引っ込みを凌ぐ、いい出来であった。
対するお米は梅枝。一座のなかで一番の適役だと思ったが、感情の起伏に乏しく、陰翳が微塵もない。
この人はやはり時代物か。それでも世話物で宇野信夫の『神田ばやし』の小娘はうまかったのに。
死ぬ決心をする絶望感、それゆええの哀れさが見る側に伝わってこないのである。
団蔵の四郎兵衛は、いかにも女を手籠めにしてから売り飛ばしそうなニンに適った菊五郎劇団の重鎮。
お今の高麗蔵もうまくこの役を生かしてはいるが、長谷川伸がわざわざト書きで指摘している{粋な女だが得手勝手な気象}にはやや乏しい。
ほかに、お米の養母お熊の萬次郎がいい。老後を左団扇でくらしたい魂胆が見え見えなのが萬次郎らしい芸でおもしろい。
現・権十郎の浪人だが、あまりにも善人すぎる。もっといやらしさがあっていい。
今回いちばんいいのは、やはり橘太郎の三吉だろう。丑松に酒をすすめられて口が軽くなっていくところのテンポがすばらしくいい。いわゆる長谷川伸の
世界に匂いを感じさせてくれる。
匂いといえば、松太郎の板橋の使いのあのとぼけた味も貴重。亀三郎の岡っ引きも気質、動きが舞台に厚みを加えた。
演出は大場正昭。昨日品川で見たみつわ会の『雨空』『三の酉』も大場さんの演出であった。
あとひとつは、菊之助で『妹背山御殿』。