久し振りに「芝居日記・歌舞伎」の更新です。
今回の「七月大歌舞伎」(大阪松竹座)は、「関西・歌舞伎を愛する会」の30周年記念と銘打って、節目にふさわしく、心にしみ入る演目で昼夜を彩っている。
夜の部の
『双蝶々(ふたつちょうちょう)』は、大阪の匂いを強く漂わせた上方の芝居。
のみならず上方役者の体質に最も合った狂言立てである。
様式と写実を巧みにからませた
「角力場」は今回割愛されたが、三段目
「新町・井筒屋」、四段目
「米屋」、五段目
「難波裏」を続けて見せ、義太夫狂言の名作といわれた
「引窓」へと繫ぐ。
芝居用語でいう「通し」でなくて「見取り狂言」である。
まずは
「新町・井筒屋の場」
大阪の代表的な遊郭であった新町のうち、新町堀の西にあたる九軒町の揚屋が舞台。
『双蝶々』の中心人物である十次郎兵衛と傾城都(←後のお早)とのいきさつ、濡髪と放駒の達引と和解、そして物語の中核となる侍殺しがはっきりとわかる。
艶もあり、滑稽味もある一場である。
昭和28年以来の上演だそうだ。
愛之助の与五郎は、とぼけた味に欠けている。
当代一の「つっころばし」役を得意にしている役者さんだが、今回は芝居と現実のけじめがいささか曖昧。
対する
春猿の吾妻は上出来。
近頃の吾妻は女郎か芸者かわからない役どころが多いが、着付けにどことなくゾロッとした工夫があり、クドキも手順もあざやか。
ですからキャピキャピした女郎に身請け争いが起こるのも肯ける。
欲をいえば、上方の匂いに乏しいことだ。
上方の匂いといえば、「上方歌舞伎塾」出身の
千志郎が井筒屋の若い者で出ているが、なんだか武家屋敷の中間に見えてしまう。
こういう端役こそ、ちょっとした動作で九軒揚屋のフンイキが出る。
『双蝶々曲輪日記 難波裏』 染五郎の濡髪
「米屋」
「米屋」はもともと原作がよくない。
長吉
(翫 雀)の姉おせき
(吉弥)が弟の喧嘩を止めようとして講中の人たちとひと芝居打つ。
そのひと芝居がいかにもあざといからである。
ただ濡髪が後の「引窓」でなぜ母親に逢いたくなるのか。
長吉が姉に愛されているサマを見るからだろう。
染五郎の濡髪は、上手の障子の前でじっと体を殺して長吉とおせきの芝居を見なければいけない。
肝心の濡髪は、他人事のように二人の芝居を見ている。
これでは気持ちが実感として伝わって来ない。
返しは
「難波裏」
いつもなら簡単な殺し、つづいて「だんまり」がフツウだが、今度はその殺しを丁寧に見せる。
それと本舞台に濡髪、花道へ与五郎と吾妻、長吉が入る。
これがはっきりしていていい。
『引窓』 段治郎の三原伝造
大団円は
「引窓」
仁左衛門の与丘衛は、出来もよく、さすがに一頭地をぬいている。
三度のキマリもきっぱりしている。
当然のことだが、濡髪のいる二階が肚にあるのがいい。
「河内へ越ゆる抜け道・・・」は世話味を加えてやや下手へ行っていうセリフはジーンと来た。
芸に彩り、人物に深みが出ている。たいしたものだ。
竹三郎のお幸がいい。
ことさら大芝居しないでも、いかつい感じがするが、これはこの人のガラだから仕方がない。
ノリになって引窓の縄で濡髪を縛る「心の闇」には、この人なりの、つまりお幸の人間像を見せたのはいい。
孝太郎のお早は今度で5回目らしい。
幕開きの二階に月見の飾り物など、女形の入れ事の多い役。
だが、すべて動作がぞんざいである。
猿弥の平岡丹平は平凡。
感心したのは
段治郎の三原伝造である。
声ガラがよく、せりふ廻しがしっかりしている。濡髪の詮議を頼みに来たという緊張感もある。
引っ込みの花道七三で「兄を(濡髪に)殺された肉親の情」をきっぱり見せた。
このところテレビの時代劇を見ているような二人侍が多い。
これぞ「歌舞伎」の面白さを見せたのは、やはり義太夫の肚がしっかりしているからだろう。
ほかに染五郎の『竜馬がゆく・風雲編』と30周年記念の口上めく『道頓堀芝居前』を幹部俳優総出演で。
【2010年7月15日 大阪・松竹座 夜の部所見】