Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

私の好きなティルーム ④    ー東銀座 「 Ken‘s 」ー 

2011-01-30 | 喫茶店めぐり
           



歌舞伎を見た日には、「もう一つの愉しみ」がある。
ken‘s珈琲店に寄ることだ。
その日の終着駅が「ken‘s珈琲店」かもしれない。
ken‘sの店内に入っただけでホッとする。妙に落着ける。

私にとってken‘sは「とまり木」のようなものだ。




ken‘sには、ふしぎな癒しの時間がながれる。
しかも店員さんの優しいい笑顔、温かさ~。
常連客でもないのにマスターまでが、いつも愛想よく迎えてくれる。
なんだか幸せな気分にさせてくれる。

画像は店内コーナーの一部。
一見カラオケルームに見えますが、そうではない。
圧倒的に多い女性客のための”おしゃべり”の空間なのだ。

歌舞伎座、新橋演舞場に近いせいか、カブキ話からアイドル談議~。
そろそろやってくるバレンタインに備えて女性同士がチョコの交換~。

ken‘sには、時節によって特別メニューが用意される。
バレンタインには、生チョコ付ハート・カプチーノという限定メニュー。
クリスマスには、いま流行の「おひとりさま」のために、素敵なイヴ・ランチがあるとか。





最近は味気ない喫茶店が多い。多すぎます。
「分煙」ならまだしも、「全席禁煙」の喫茶店はザラ。
ミルクの容器(←関西はフレッシュ)だって、「失礼します」とすぐにひきあげてしまう。
店員だってマニュアル通りに「ごゆっくり」とはいうけれど、「さっさと出て行け」の顔をしている。
ken‘sは何時間ネバっても、いっさい文句をいわない。

ゴージャスな応接室が私の指定席
いつもここで、熱~いコーヒをのむ
私だけの「至福の時間」。
それを叶えてくれるのが”ken‘sなのだ。






この日はken‘sブレンドコーヒーとken‘sさん自家製のモンブランケーキ。
ken‘sブレンドには、私の好きなモカマタリがブレンドしてある。

いつ行ってもステキなコーヒーカップ&ソーサー。
一杯一杯にマスターの気持ちがこもった優しいコーヒーの味だ





飾られてある額の絵が最近変わった。
ご存知ゴッホの『アルルのカフェ』である。
私もこの絵が大好き!!いまもの待ち受けにしている。

ken‘sの人気メニューに「皇居のはちみつハニートースト」がある。
なんでも皇居の「ゆりの木」から採ったハチミツは世界一食べやすいらしい。
トーストにしっつかり浸み込んで、だれもが夢中になる味だときいている。

次回はぜひ食べてみよう!!

コメント

人気役者が揃った『寿曽我対面』   -新橋演舞場・新春大歌舞伎ー

2011-01-27 | 演劇



劇場における一月の興業が、いわゆる「春芝居」である。
由緒ある”櫓”を新橋演舞場に掲げて初めてとなる新春興業には、昼夜とも初春らしい狂言が揃った。
江戸ではもっぱら、春芝居には「曽我」を演じることが原則とされていたという。
なかでも『曽我の対面』が代表格とされていた。
当代一の人気役者をずらりと揃えた、その『対面』が、昼の部の切狂言にある。






さて昼の部の『対面』が、祝祭劇といわれてきた。
祝祭劇とは、儀式性に加えて、洗練された歌舞伎の祝祭的要素の濃い演目のことである。

しかし今回の『対面』は、いつもとちがっていた。
従来からのカラを破って、音楽的な美学はさることながら、そこにドラマがあり、色気、品位があった。
今回初めて『対面』という狂言の本質を観たような気がする。

工藤は吉右衛門である。意外にも初役らしい。
江戸時代には初役で「工藤」をつとめることを「初工藤」といい、おめでたい正月の季語でもあった。

さて、その吉右衛門の工藤だが、まず座頭としての貫目。
平舞台へ下りてからの「高座御免下さりましょう」のにじみ出る愛嬌。
「やせ浪人の身をもって、この祐経に刃向い立て及ばぬことだ」などの適役としての手強さ。

つまりは、工藤という多面性のある役のすべてを吉右衛門は見事にクリアしていた。
しかも今後の運命を予感させるような不気味な影すら見えてくる。

終幕の絵面の見得も、厳かに、そして歌舞伎の色彩美溢れる舞台面。
見ごたえのある『対面』であった。





対する三津五郎の五郎がまたすばらしい。
平成12年1月、十代目三津五郎襲名での初役以来、2度目の五郎である。
三津五郎はこう言った。

「竹をスパッと割ったような、冬空のようにつき抜けた五郎をやりたいですね」

その通りの荒事の味を十分発揮し、「野放図」さの表現がうまい。
五郎には「子供の気持ちでやれ」という口伝がある。

そもそも工藤が、五郎十郎に討たれるのは、友切丸が出てきたからではない。
工藤が討たれる決心をさせたのは、五郎の激しい情熱のためであった。
これが『対面』という狂言の性根だと私はおもう。

十郎は梅玉である。
こちらは「何回目?」というくらいの持ち役。
襟を抜いた和事の着付け。五郎の強さに対する柔らかさ。五郎の兄だということを常に頭において演じているとか。
申し分のない手堅さである。

さいごに私事で恐縮。巳之助の大フアンなんです。
今回巳之助は化粧坂少将。
失礼だが立女形の芝雀(←大磯の虎)などほとんど見ていなかった。

難をいえば、舞台の並び位置がよくない。
途中で気が付いたのか、下手に移動したが、そこが残念。
どうしても五郎のうしろになってしまう(2,3階席ならカッコよく見えるんでしょうが、1階前方の平席ではムリ)。
しかし巳之助の成長には目を瞠るものがある。

ことに終幕の決まるところは、ナチュラルに、柔らかさと色気がある。
腰をすこしおとすところは、まことに絶品。
当代一の化粧坂少将である。






初芝居といっても中日(なかび)を過ぎれば、晴れ着姿の観客も見かけられず、いつもの月と変わらない。

ロビーに飾られた大羽子板だけが、劇場の中に、かぐわしい春の香りを立ちこめている。


                                                    (2011年1月21日  新橋演舞場 昼の部所見)



           ★ こんな写真も撮りました ★





幕間の松花堂弁当は「篝火」一本槍。
今回は好物のさざえのつぼ焼きがありませんでした。

耳よりの情報です!!
1階ドリンクコーナーで販売してるサンドイッチが美味しいですよ。
「ホテルオークラ特製」一箱1000円。
いつも買って、帰りの新幹線でパクつきます。






歌舞伎座の工事現場をパチリ。
現在は地下の工事中。
日比谷線「東銀座」駅までの直行地下通路ができるらしいです。
平成25年春に完成予定とか(←歌舞伎検定四級の設問に出題されていましたね)。
ワタクシ的には、歌舞伎座の完成よりも海老蔵さんの復帰がいつなのか?
そちらに関心があるのですが・・・(笑)。


コメント

松竹歌舞伎検定二級(歌舞伎上級コース)合格しました!!

2011-01-24 | 演劇



本日、「第3回松竹歌舞伎検定」の合否通知が郵送されてきました。
「松竹歌舞伎検定二級(上級向けコース)」に合格しました!!


昨年末に海老蔵の殴打事件、新年早々に人間国宝・中村富十郎丈の逝去、中村芝翫さんが体調不良のために休演、その娘婿である中村勘三郎さんが過労のため入院、中日(なかび)まで浅草歌舞伎に出演していた片岡愛之助さんがインフルエンザで休演と、まあ歌舞伎界もたいへんな年明けでした。
そのせいではないでしょうが、合否発表が大幅に遅れ、当初は1月上旬に発送予定が、下旬に変更される始末です。

歌舞伎検定も今回で3回目。
3回目にしてやっと問題用紙の持ち帰りができ、昨年末、過去に実施された2級~4級の全問題と正解が検定サイドに発表されるようになりました。
初級コースの四級でも、びっくりするような難問がありました。
設問の難易度が年々上がるのは(←受検料も年々アップ)、どんな試験においても共通しているものかもしれませんが・・・。

初回の受検では、ストレートに問う設問が多かったのですが、中級コースだと、問題はすべて「変化球」です。
2級クラスになると、「ナックル」を投げてきますね(笑)。
ひっかけ的な問題が多いようです。

ローマ帝国の興隆は「交易力」「軍事力」だったといわれています。
唐突に大きくでましたが、過去3回受検して、わたしなりに感じたことは、「歌舞伎力」を身につけることです。
ことに上級クラスになると、「歌舞伎力」がなければ到底クリアできません。
問題をつくる人は、歌舞伎の「プロ」です。生半可な知識や歌舞伎の舞台を年2~3回程度みただけでは太刀打ちできません。

検定2回目から、100問中1問がその年の検定大使の設問があります。
今回は落語家の林家正蔵師匠でした(←前年度は歌舞伎俳優の市川亀治郎さん)。
師匠の二級の設問は、私がブログに書いた「歌舞伎と落語本」詳しくはこちら そのままの問題でした。
たぶん偶然でしょうが、問題をみて思わず笑っちゃいました。


                    

                  【 歌舞伎検定二級合格特典 】

                   「歌舞伎検定オリジナル  注染てぬぐい」


【 新橋演舞場内の喫茶ご利用券 】
※対象商品:コーヒー(HOT,ICE)、紅茶(HOT,ICE)、小倉モナカアイス
・ 新橋演舞場内各処にて上記商品のうち好きなもの1点と引き換えできます。
コメント

銀座・資生堂パーラーのチキンライス  ー『私の資生堂パーラーものがたり』-

2011-01-23 | グルメ



銀座の資生堂パーラーで食事をするとき、いつも、かならず、脳裏に浮かんでくることがある。
それは、わたしがまだ詰襟金ボタンの高校生だったころ、当時、売り出しの作家であった北条誠先生と資生堂パーラーの特別室でお会いしたことである。
私には、初めての「銀座」であり、はじめて訪れた「資生堂パーラー」であった。

いまは9階建ての新ビルを構えて、銀座中央通りの8丁目に移転しているけれど、その当時は銀座4丁目の交差点の角地にあった。
服部時計台の向えであったろうか、あのころ場所をきいた交番だけはいまも健在である。

資生堂パーラーの存在を、

「おどろいたよ。チキンライスが銀の容器に入って出てくるんだぞ!」

と、教えてくれたのは、株屋仲間のK君だった。

食通で知られた作家の池波正太郎さんが何かの随筆に書いている。

兜町で株式仲買店の店員として働いていた池波少年は、丸の内界隈の会社を株券書きかえの手続きで自転車でまわるが、その帰り道には、きまって銀座に出て資生堂で食事をする。
注文するのが、チキンライス!!

次に行っても、

「今日もチキンライス」

だったらしい。
「チキンライス」が銀の容器(いれもの)に入って出てくるのは、いまも変わらない。
池波正太郎さんが昭和50年代になっても食べたという「チキンライス」の写真をみると、容器は同じだが、当時は少々ダサイ。
わたしもはじめは「ステーキ」が運ばれてきたのかとおもった。


歌舞伎の先代・中村勘三郎丈も「資生堂パーラー」ファンだった。
こちらは「薄いチキンカツ」一本槍だったらしい。
しかも勘三郎さんらしく注文がうるさい。
皮のついてないトリ肉でなければダメ。トリ肉の皮はブツブツ毛穴があって、見ただけで鳥肌が立つという。
お店でもよく心得ていて、勘三郎さんには、かならず、皮なしの薄くてカラリと揚がったカツレツが出る。






昭和50年代の資生堂料理の写真をみると、フクシン漬け、らっきょの2種類が、平皿で盛りつけてある。
いまは画像のような4段回転ピクルススタンドに変わっている(画像/上)
しかも4種類あり、4個のピカピカのスプーンがそえてある。






「カレーライス」、「チキンライス」、「ハヤシライス」のメーニュ―には、サラダがつく。
ドレッシングにクセがなく、透き通って、サッパリしており、しかも新鮮なのがよい。

私はいつも「チキンライス」と同時に、レモンティを注文する。

「匂いが ちがう」

これぞ!! 銀座の洋食の匂い!!

いつも、そう思っている。



          ■ 私の『資生堂パーラーものがたり』 ■




資生堂パーラーは、1902年(明治32年)、日本で初めてのソーダ―水やアイスクリームの製造を行う「ソーダ―ファウンテン」として誕生した。

なにも資生堂パーラーの歴史を書くつもりはない。
冒頭に北条誠先生とここでお会いしたと書いたが、いまも鮮明におぼえていることがある。
それは先生の若いころのエピソードだ。

若い頃は、毎日のように「資生堂パーラー」で新橋芸者さんとデートしていた
資生堂パーラーの改築前。
1階のサロンが吹き抜けになっていて、2階席はぐるっとそれをとりまき馬蹄型になっていた。
北条先生がまだ早稲田の学生のころ、毎晩花柳界に行くお金がないので、おけいこ帰りの「しんばし」の芸者さんと、しょっちゅう資生堂パーラーの2階でデートしていた。
ある日、当時は文壇の大御所といわれた菊池寛先生に見つかり、お叱言を食った。

お茶屋以外の場所で芸者と逢うような、そんなみっともない真似をするな、と言うのである。
お茶屋に行きたければ、せっせと人を感動させる小説を書け、とも言われた。
その叱言は身にしみた。

北条誠先生から、じかにきいた話である。


先代・勘三郎さんは「資生堂パーラー」でボーイ漁りをしていた
時効だからバラしちゃいますが、「チキンカツ」一本槍の勘三郎さんにも面白いエピソードがある。
資生堂パーラーのボーイをひっかけては、よなよな銀座の街へ消えていったというはなしである。

資生堂の男性新入社員(ウエイター)は、最初の4年間は清潔感を身につけるために丸坊主にされる習慣が昭和30年代まであった。
そのころのボーイはピッチリした白い上着、詰襟の金ボタンでスマートだったとか。
しかも現在(いま)で云うイケメンが揃っていた。

勘三郎さんが日参していたのは、資生堂パーラーの二階の手すりのところの指定席だった。
そこでボーイを物色して、気に入ったボーイには過分のチップをわたす。(←そのころは客からのチップだけで、らくらくひと月は生活できたというよき時代であった)。
夜になるとそのボーイを誘い出すのが常だったらしい。

「薄いチキンカツ」が資生堂に行く目的なのか、「イケメンボーイ」が目的なのか?
勘三郎さんにとって、もしかして「チキンカツ」は単なる”隠れ蓑”だったのか。

それは、いまだわからない。


(画像/左は大正8年ころの資生堂外観    画像/右は建築家川島理一郎デザインによる店内)
コメント

みかんの「ちぎり絵」

2011-01-15 | 本日の○○

正月3か日なんてアッという間。
正月といえば、みかんと炬燵が茶の間の定番。
みかんをたべながら深夜の3時すぎまでアジアカップをテレビで観戦。
前半戦が終わったら、炬燵の上はみかんの皮の山でした。

そこで今流行ってる、みかんの皮で「うさぎのちぎり絵」をつくってみました(←ヒマですから{笑})。
きくところによると、もともとみかんの皮でいろんな動物のちぎり絵をするのは、奈良県の某老人介護施設が発祥の源らしい。



                 中西哲生さんの作品                 私の作品


なんと!!わたしよりもお先に中西哲生さんも実にお上手に今年の干支のうさぎをつくっておられる!!
べつに中西哲生さんに触発された訳ではないのですが・・・。

年末にさる人からいただいた有田みかん(Lサイズ)1個分の皮を余す所なく使っての「うさぎのちぎり絵]
まず下絵を書いて、みかんの皮をカッターナイフで切って、はめこんでいきました。
考えてみたら、ダイの大人がこんなヘンなことをするなんて・・・。

ちなみに中西哲生さんは、切り方をペンで書かず、爪でむいてつくられたそうです。
なんでも子供のころからみかんをむくのが得意だとか。
さすが「粋」ですよね。

私のは、「メタボの莵」になっちゃいました。
どう見ても「ダサイ」出来上がりです。

まあ今年も相変わらず「ダサイ」一年になりそうです(笑)。
コメント