一発の銃声が響き、このドラマは終局をむかえる。
息子・クリス 「 お母さん、僕はこんなことになろうとは思ってなかった 」
母・ケイト 「 いいんだよ。お前の責任じゃない。つとめて忘れること、そして,生きぬいてゆくことですよ・・・・・」
みごとな終幕である。
この芝居の中で起きる出来事は、戦争という大きな枠組みの中で起こったドラマである。
そしてこの枠組みを越えて、人はいかに生きるべきか、人はいかにあるべきか、という普遍的な問いを観客に投げかけている。
『みんな我が子』はアーサー・ミラーのデビュー作。
この非凡なミラーの力量が、二年後に20世紀を代表する『セールスマンの死』という傑作を生み出すことになる。
ミラーのテーマは、いつも父と息子の対立、葛藤である。
舞台は第二次世界大戦のアメリカ。
戦争特需で事業を成功させた父・ジョ-に長塚京三。
次男ラリーの戦死を受け入れられず苦悩する母に麻美れいという配役。
問題を抱えながらギリギリのバランスで保たれたケラー家族の関係が、戦死したラリーのかつての恋人・アン(←朝海ひかる)の来紡によって不協和音を奏ではじめる・・・・・・・。
次男ラリーが亡くなる日に恋人・アンに宛てた一通の手紙を、敢えてラリーの母であるケイトに見せる。
その手紙こそ、ラリーの真相が明らかにされる。
ラリーは行方不明でも戦死でもなく、自殺していたのである。
「ぼくはこれ以上生きるのに耐えられない」と。 (画像はその一場面)
戦争で一財産を築きながら、妻や息子たちの思いに翻弄され、人間の業(ごう)や悔恨をむきだしに見せつけた長塚京三(←画像/左)はさすがにベテランの境地。
事実を直視できない人間の脆さをしかと表現した麻美れい(←画像/右)。
ケイトが昨夜の夢について語るシーンなどは、異様な緊張をはらんだ盛り上がりを見せる。
しかも哀愁のトーンをにじませて好演。
っ
今や蜷川作品の常連になった田島優成(←画像/左)は正義感の強い実直な青年を演じきった。
朝海ひかる(←画像/右)は『ローマの休日』を見て以来だが、可憐なたたずまいはこの人の真骨頂。
それはいいのだが、もう少し芯の強さを感じさせてほしかった。
今回一番よかったのはアンの兄・ジョージを演じた柄本 佑(←画像)だ。
登場するなり異様な空気を持ち込む。
と同時に、それぞれが抱える秘密や疑惑が、徐々にあぶりだされていくのである。
柄本 佑はNHKの朝ドラ『おひさま』の”タケオ”くんでお馴染。俳優柄本明の長男。
本作品ではいわば「招かざる客」なんだが、ニンがピタリと合っている。
彼の登場により、ありふれた日常の家庭劇が、ラリーの生死をめぐる衝突が起こり、ついには衝撃の結末をむかえてしまう。
出演者の全身からあふれる熱演で、心のヒダを感じさせる見応えのあるドラマに仕上がっていた。
最後にひとつ苦言を。
堀尾幸男の舞台美術に疑問が残る。
正面だけの白壁のカントリー調の建物にウッドデッキがある広い庭。全幕いっぱいセットである。
上・下手は黒幕で仕切られている。
原作のいうポプラの木々が密生した,ある郊外の邸宅とはほど遠い。
しかも裏庭の片隅には、昨夜の嵐で折れたりんごの木の切り株があまりにも貧弱すぎる。
この木はドラマの重要なモメントでもある。
なぜなら、パイロットとして戦場に行き、行方不明になっている次男ラリーを記念して植えられたものである。
この木は、ジョー(長塚京三)の犯した犯罪を無口のうちに告発し続けることになるのだから・・・・・・・
(2011年12月20日 サンケイホール・ブリーゼで所見)
お芝居がハネて劇場を出ると、街はクリスマスのイルミネーション。
肌寒い夜であったが
スバラシイ芝居を観たあとは、心は温かい。