Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

秋の夜長に聴く カーメン・マクレエ

2011-10-26 | ジャズ



カーメン・マクレエを知ったのは、銀座にある「サンボア」というバーだった。

店のカウンターで、ひとり"ハイボール”のグラスをかたむけながら聴いていた。

冷たいような甘いような、けだるいような、なまぬくいような・・・・。

地下にある深夜のBarの雰囲気によく似合っていた。


後に彼女は、女性ジャズシンガーのカーメン・マクレエであることを知った。

歌っていたのは『サムシング・アイ・ドリームド・ラストナイト』というパラードだった。

これはケンカをして夫(愛する人)が家を出て行ってしまったあとの話。


カーメンは、おさえた表情に哀しみをにじませて歌う。

次第に感情がたかまり、ついに哀願のクライマックスとなる。

カーメンは実にすばらしい。

まったくナチュラルなビート感!!ちよっとしたフレーズにもジャズの心を感じさせるのです。

全体的にジャズのフィーリングとテイストが満ちていると思うんです。


もしカーメンの一曲だけを聴いてみたいかたには、迷わずこの曲をお奨めします。

『ブック・オブ・パラード』(←画像/左下)のアルバムに入っています。

まちがいなく彼女の傑作の一つだと思います。 

 

           


あらためて云うまでもなくカーメン・マクレエはキャリアの長い歌手。

アルバムの数も多いし、どれもこれも”カーメンならでは”というおおきな魅力があります。

たとえば『ブルームーン』のフエイク気味の自在なフレージング。

『ラフイング・ボーイ』の優しさのあふれた語り口。

『イフ・ラヴ・イズ・グッド・トゥ・ミー』のさりげない”こぶしまわし”の効果も見逃せません。


さて今夜は「カーメンのどの曲を聴こうかな・・」

なんだか夜の愉しみがふえたような気がしてなりません。

 

コメント

世紀を越える天才ジャズ・ヴォーカル 小林圭のアルバム  -So nice- 

2011-08-14 | ジャズ

 

日本にはなぜか本格的な男性ジャズ・シンガーがあらわれなかった。
ところが彗星のごとく本格派の男性歌手が誕生した。

それが小林 圭くんです。

今回紹介したいアルバムは、東芝EMIでの第1作『ソー・ナイス』(←画像)です。
彼は1979年生まれだから、このアルバムをレコーディングした当時は弱冠20歳の若者だった。
友人のススメで大分前に買ったのですが、長いことCDボックスで眠っていた。

今度あらためて聴いてみると、彼のフイリング、のりのよさ、スキットでも歌えるジャズのセンス。
それに歌詞を通しての表現のよさ。

聴き手は安心して彼の歌にスムーズに入っていける。
しかも躰全体がジャズになっているのです。
アルバム『ソー・ナイス』は著名なトランペッターやサックス奏者と共演しています。
なのに少しもおくすることなく、堂々と歌っている。

彼の父はジャズピアニスト、母親はジャズ・シンガー、祖父もジャズ・ミュージシャン。
並の環境ではない。
どうりで彼のジャズ・フィリングも天才的なものを感じるのです。

お気に入りは「ヴァーモントの月」

ジャズのスタンダートといえば、圧倒的に愛や恋が多い。
そうでないのがアルバムの4番目に収録の「ヴァーモントの月」です

先日でしたか某局のラジオ番組で、この曲が採りあげられたとき・・・・。

ハウスヴァーモントカレーだよね」

「ちやう ちやう」

アナウンサーも大阪弁で必死に否定してましたが・・・・(笑)。

このヴァーモントというのは、アメリカの北東部、カナダとの国境に近い州をさしています。
ヴァーモントは、豊かな自然に恵まれ避暑地として有名です。
夏はサマーキャンプ、冬はスキーやりんご狩りで観光客が目白押しだそうです。

私がヘタに説明するよりも小林 圭くんの曲を聴けば、行ったことのないヴァーモントがどんなに美しい所かおわかりになる。
冬のヴァーモントの夜空に凍てつく月。
そして・・・寄り添う若い男と女。
同じ月を、もし同じ場所で見られたら唄がもっと近くなる気がするのです。
最後の詞章がいい。

           You and I and moonlight in Vermont

これを小林 圭くんの歌唱で聴くと、もう最高のラブソングなのだ。
アルトサックスの美しい音色が、とつとつと、ヴァーモントの月を輝かしてくれるのです。

                                 

                                                                                                                             「ヴァーモントの月」の洋盤を銀座の山野楽器から取り寄せたのだが(←画像/上)、さほど感銘はしなかった。

小林 圭くんの「ヴァーモントの月」の歌唱には、アメリカの黒人ミュージシャンに似たピート感がある、と思った。

 

コメント

ジャズ喫茶論

2010-05-15 | ジャズ



『ジャズ喫茶論』ーといっても決して堅苦しい研究書とか学術書ではない。
全国各地のジャズ喫茶を巡る紀行文の体裁をとりつつ、そこには鋭い観察と分析力ゆたかな思考がちりばめられている。

かと思えば、いたるところ「脱線」の連続で、あたかもジャズの即興演奏のように綴られていく。


若者は「ジャズ喫茶」に行かなくなった!
近年、「スターバックス」や「ドトール」、「サンマルク」などの味気ないチェーン店を除けば、若い人たちが喫茶店そのものに入らなくなったのも事実です。

若者のジャズ喫茶離れは、レコード(CDを含めて)とオーデイオ装置の音源が、はるかに購入しやすくなったこともあるでしょう。
それと、ilpodやケータイのような音源も忘れてはならない。
さらにインターネットによって気軽に音楽をダン・ロードもできる。

わざわざ「ジャズ喫茶」に足を運ばなくても幅広いジャンルの音楽を聴くことができるからです。

「ジャズ喫茶」全盛時代のジャズは”行動”だった!
ひところ、ジャズ喫茶像の根底に、ジャズは切実な<同時代の音楽>であり、<安保闘争>にも密着しており、そして何よりもジャズは”行動”だった。

ジャズを聴き、そのエネルギーを吸収して、デモに出かける学生。
文学作品を生み出した若い作家や詩人。

「ジャズ喫茶」が、インスピレーションとエネルギーを与えてくれる”場”であったわけです。

80年代以降の「ジャズ喫茶」は博物館になった!
ネット時代を迎えて、いよいよ衰退しつつあるジャズ喫茶。
今日の「ジャズ喫茶」はもはや、「文化の拠点」でも「フーテン(←死語)の溜まり場」でもない。

かつての常連客にとって、今日のジャズ喫茶」は懐かしい<場所>であり、過去を連想させてくれる「場」になった。
あの隆盛を誇った「ブルーノート」でさえ、若者の姿はなく、中年のサラリーマン客、かつてのジャズ喫茶に入り浸った高齢者が目立つ。
もしジャズ喫茶に行ったことのない若者が、今日初めて訪れたら、どこかの「老人ホーム」という施設にでも迷い込んだと勘違いするだろう。

80年代以降のジャズ喫茶は「博物館」同様になった。
保存されているのは、ジャズ喫茶という消えつつある<空間>。
古いジャズ・レコードという貴重な<物>だけになってしまった。

そして・・・
老いていくジャズ喫茶常連客自身の<過去>でもある。

作者は結んでいる。

ジャズ喫茶を含め青春時代を振りかえるとき
甘美な懐古感に浸かりたくなる
ジャズ喫茶が消滅していくこと自体が
まるで自分の死期を暗示しているかのように・・・



                                 『ジャズ喫茶論  -戦後の日本文化を歩くー 』
                                 マイク・モラスキー 
                                 筑摩書房
                                 本体価格;2600円
コメント

やるせない官能のひびき   ーオーネット・コールマンのジャズー

2010-03-17 | ジャズ



久しぶりに「ジャズ」の更新です。
今回、ご紹介するのはフリー・ジャズの開祖といわれたオーネット・コールマン。

コールマンを知ったのは原田康子の『殺人者』という小説でした。
北海道・小樽の山荘で療養中のヒロインが、そこで裏切った女を射殺した青年と出会い、警察から匿まうことに熱中するのですが・・・・


わたしは曲目をえらばずにジャケットを抜きとってレコードをかけた。
アルト・サックスのねばりのある音がうねるように流れだし、ドラムがつづき、トランペットがからみ、ベースが入った。
コールマンだ、とわたしは知った。
このなまなましく深い官能的なサックスのひびきはコールマンの音だ。
プラスチックのサックス、彼だけのサックス。          (『殺人者』より)


付け加えますと、彼女が聴いたのはコールマンの《フェイセス・アンド・ブレイセス》。
曲名にふさわしくベースの音がたっぷり入っています。
ソロに変わると、ベースのひびきにつれて、部屋の空気がふるえているようです。
それは蚕が絹糸を吐き出すように、次から次へと魅力的なメロディーがコールマンのアルトから紡ぎだされるのです。

小説『殺人者』の扇動的でスリリングなシーンにうまく癒合していますし、ヒロインが殺人犯である青年を好きになってしまうという心理描写にも心憎いほどこの曲は効果的です。
コールマン以外の曲などは考えられません。

ジャズとは「何でもあり」の音楽。
結果として良ければいずれ理解され、そのやり方がアタリマエになる。
アドリブは自由な気分を反映させ、まさにフリーなもの。
ですから一見ラクなように思ええるのですが、聴くに堪えるものに育て上げるとなると別問題です。
ガイドラインのない即興で聴き手を飽きさせないのがオーネット・コールマンの真髄ではないでしょうか。

みなさんもオーネット・コールマンをぜひ聴いていただきたい。
以前には味わったことのない感動が、そこにあるかも知れません。
コメント (1)

   魂のテナー、情念のテナー   ー川嶋哲郎のアルバム『哀歌』-

2009-06-07 | ジャズ



               


     梅雨入りも近いせいか、雨の日が多くなってきました。
     そんな憂鬱な雨の日に、ぜひ聴いていただきたいCDをご紹介します。

     42歳の若さで、いまや日本を代表するテナー・サックス奏者の川嶋哲郎の
     『哀歌(AIKA)』(画像)というアルバムです。

     『哀歌』はその名の通り、川嶋のテナー・サックスがしみじみとした情感こめて歌っています。
     技巧を弄さず、ひたすらエモーションを音に託して、心情の吐露に向かっているのです。
     『哀歌』にこめられた情感の深さが、聴き手の心を揺さぶるのです。
     そこにあるエモーションは哀しみ一色ではありません。
     救いがあり、そして”生”への強い肯定があるのです。

     アルバムの中の『かもめ』は、若き日の恋を歌ったポルトガルの名曲で知られています。
     川嶋カルテットの演奏は、パワフルにジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップ』
     ホウフツさせる演奏をくり広げています。
     「これがジャズなんだ!!」
     そう叫んでいるようなダイナミックな演奏です。

     
     このアルバムには仕掛けやアドリブはありません。
     メロディーや曲そのものを大事にする!!
     
     川嶋カルテットは、そんな演奏を目指しているのです。

            
                  【山野楽器銀座本店調べ 哀歌/MYCJ-30481 3,000(税込)】    

コメント