「家族熱」は,美しい後妻が家族に加わったことで、平熱を保てなくなった、ある"家族” の物語である。
原作である向田邦子の『家族熱』はもともと連続テレビドラマで、10数回続いたらしく、登場人物はしこたまだったという。
舞台「家族熱」は、美しい後妻・朋子と先妻の長男・杉男のふたりだけに絞り、原作の3年後という設定で、合田直枝が翻案、自ら
演出もしている”ふたり芝居”だ。
”家族”という制約から解放された継母・朋子と息子・杉男のこころの揺らめきが主題になっている。
家族という体裁に納まりきれなかった二人は、今後どこに向かうのかを観客に投げかける。
「対話劇」というより、むしろ「心理劇」だというべきだろう。
朋子・ミムラ 杉男・溝端 淳平
台本・演出 合田直枝
ミムラは、ミムラ名義最後の舞台である。(現在の芸名は、美村里江)。
「家族」という枠に翻弄され、発散することの叶わなかった微熱……。
3年越しに煮詰まった熱い想いを、衒うことなく、素直に演じきった。
幾重もの三角関係がはりめぐらされた中で、「大事なことだから 口にしない」
サムライの如く抑制力がきいた朋子(ミムラ)の台詞にも痺れた.。上演時間90分が、アッという間に終わった感じだった。
対する息子役の杉男には溝端淳平。
前作の「管理人」とは真逆の役柄だが、今回はハマリ役。
ひとまわりしか齢が違わない継母の、言葉とはうらはらな、ほんとうの気持ち……。
ゾッとするほどリアルな女性心理…。それに翻弄されながら、息子として、男として対峙する端正な一青年を演じる。
この難しい役柄に臆することなく、真剣に取り組んでいた。
昼メロ調にならなかったのがいい。
欲を言えば”男の匂い”が、もう少し欲しかった。
それに杉男は駆け出しの麻酔医だが、どう見ても、そうは見えて来なかった。
舞台版「家族熱」は、過去と現在を行き来する構成になっている。
しかも、そこには向田邦子が描いた血の繋がらない男女の微妙な距離感がある。
芝居にはほとんど舞台転換がなく、ふたりとも出ずっぱりである。
照明と音響がじつに効果的だ。、なんの違和感もなくスムーズに芝居の流れを運んでいる。
二人の会話に動きがついてくると舞台に奥行が出て、風景が立ち上がってきた。
向田邦子作品といえば、どうしても名プロジューサーと呼ばれた久世光彦が創り上げた「向田調」がある。
「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」など、向田フアンでなくてもタイトルだけはご存知であろう。
今回の舞台は、「向田調」を脱して、向田邦子の世界に新しい風を吹き込んだのがよかった。
向田邦子没後40年。
舞台版「家族熱」は、台詞ひとつ一つが生きており、向田邦子が仕掛けたエスプリがいっぱい詰まっている。
ふたりだけの芝居に、人間の「深淵」をのぞき見したような舞台であった。
(2018。06.12 兵庫芸術文化センターで所見)