「チャブ屋」 ってご存知だろうか。
「チャブ屋」とは、かつて横浜にあって、主に外国人客の出入りするダンスホールと売春宿を兼ねたような店で、今回の舞台で
ある「エンパイアダンスホール」は、このチャブ屋をモデルにして、場所の設定を横浜から九州のとある港町に置き換えた。
当時、しばしばそこに出入りしていたという俳優の殿山泰司さんは「値は高いだけにオンナもうんとよかった。お女郎さんとは
比較にならない。同じ体を売る女でも、これほど差があるものか」と、その署に書いている。
さて、『たとえば野に咲く花のように』は、 1951年朝鮮戦争勃発の翌年、真夏。九州の港町の寂れた「エンパイアダンスホー
ル」が舞台である。
朝鮮戦争が突然起こったワケではないが、当時これが”糸へん金へん景気”ともいわれた「特需景気」をもたらした、という
時代背景がこのドラマのバックにある。
大戦の疵の癒えない男と女、特需に違和感を抱く若い在日コリアン、ふたたび機雷の除去に身を投じる男。祖国を離れて
生きる哀しみと、たくましく生きる人々の泣き笑い。
どんなにシリアスでも、笑えるし、どんなに笑えてもやっぱり人は哀しいね…… そんな鄭さんのお家芸で、いろんなことが詰ま
っているお芝居である。
右上から ともさかえ 山口馬木也 右下から 村川絵梨 石田卓也
鄭義信作品には、それが何気ない場面でも「言葉のウラにある会話」がある。それが時代であったり、戦争であったり……
今回は初演とは配役も一新し、よりエネルギシュに、アンサンブルもよくなった。
ともさかえ(満喜): 凛とした美しさがあり、あきらめと希望をうまく表現した。
山口馬木也(康男): 小劇場の貴公子。舞台経験が豊富なだけに、演技力は抜群であり、口跡の爽やかなのがいい。説明
的な台詞もこの人が演ずるとリアリティを帯び、説得力がある。
大石継太(諭吉): 蜷川作品の常連組。初演では太一役。今回はオカマっぽいダンスホールの支配人役。はじめはナヨナヨ
したオンナっぽい仕草があったが、後半はフツーウの男に戻った。マツコまでいかなくとも、しぐさ、語り口が女性っぽく通して
ほしかった。この芝居のひとつのアクセントになるのだから。
石田卓也(直也): 初演は山内圭哉だった。芸達者な人だけに、掴みどころのない役を、あれやこれやと一人芝居の感があ
った。石田は何の気負いもなく素直にストレートに演じた。それが逆に共感もてたのは確か。康男の弟分で母親は実の父を殺
した、それだけしかホンには書かれていない難役である。
池谷のぶえ(珠代): 初演はベテラン女優の梅沢昌代。この役をかなり勉強したのが見ていてわかる。しかし梅沢昌代のコピ
-にすぎなかった。池谷の珠代を見せてほしかった。
黄川田将也(淳雨): 仮面ライダー出身のイケメンだけに、いささかの甘さはあるが、満喜の弟で血走った当時の憲兵くずれ
の若者を熱演した。もう少し翳の部分がほしかった。
今回の再演で感心した場面が二つある。
1つは、康雄の婚約者・あかね(村川絵梨)は、心変わりした康雄を憎みながらも、恋心を断ち切れずにいる。そんなあかねを
ひたすら愛し続ける直也。互いに出口を見付けられないあかねと直也の葛藤のシーrンが3場に用意されている。
床に倒れこんだ直也、あかねは直也に馬乗りになって、ボトルを直也から奪い、ラッパ飲みする。そして、こんどは、口移しで
直也に吞ませるスリリングなシーンは圧巻である。計算されつくした鈴木治美さんの演出のキレ味が光る。
もう一つはラストシーン。
そもそも鄭さんは、”虹”がお好きらしい。
満喜のせりふに、「虹の向こうに国が、あんた、あると思うと?」とある。
文学座の『大空の虹を見ると私の心が躍る』、兵演協の『ピビンパウェディング』にも”虹”が登場する。
つまり、鄭作品によくある、どちらかといえば叙情に流されやすいところを、ダンスホールのいつものメンバーが、珈琲パーティ
らしく円卓を囲み団らんの場で終幕にした、鈴木治美の演出の妙を評価したい。西欧演劇っぽい幕切れでもある。
ともかくワタクシ的には、、鄭義信・三部作の中で、いちばん好きな作品であると申し添えたい。
(2016・4・29 県芸術文化センターにて所見)