久しぶりに骨太のかなり食べ応えのある芝居を観た。
モスクワ近郊ののどかな田園地帯にある幸せそうな家庭の風景。
そこからこの芝居ははじまる。
しかしその裏に隠されたロシアの社会的背景が。
一見チエホフ劇を思わせる豪華な屋敷で、家族と穏やかに暮らすロシア革命の英雄コトフ大佐(鹿賀丈史)のもとに、ある夏の日、ひとりの男ミーチャ(成宮寛貴)が一家を不意に訪れる。
彼はコトフ大佐の妻マルーシャ(水野美紀)の幼馴染であり、かつては将来を約束した恋人であった。
彼の突然の生還を一家は歓迎するが、コトフ大佐とマルーシャは彼の帰還に不穏な空気を感じていた。
最初はまた先日見た『嵐が丘』のようなミーチャによる復讐劇かと思った。
そうではなかった。
舞台はロシア。しかもスターリンの大粛清時代(←大規模な政治弾圧を「大粛清」と呼ぶ)。
ですから復讐という単純な感情論でなく、もっと深い思惑と揺らぎのない策謀がミーチャにあったのだ。
脚本を手がけたミハルコフは「私は政治を描こうとは思わない。田園地帯に生きる人々の心の葛藤を描きたい」と。
だからこれは政治劇ではない。日本人好みの引き裂かれた男女の悲劇でもない。
スターリンによる絶対主義は、国民一人ひとりの人間性を剥奪した。
それが奪われたとき、人はどれほどの存在として在るのか。
いわばこの「不条理」の中で生きるしかなかった壮大な人間ドラマなのだ。
表向きはそうであっても、スターリンの大粛清という時代背景は日本人にはあまりにも理解しがたい。
それが舞台としてもイマイチ咀嚼しきれておらず、人間ドラマとして奥行までは伝わらなかった。
その一例が、ラストでミーチャのピストルによる自害すら納得しがたい。
正直に云って、全体に「難解」なお芝居だった。
ロシアの小説を読まれた方はおわかりになるだろう。登場人物の名前を覚えるだけで一苦労ですよね
でも、ナマの役者がうまかっただけに愉しかったのも事実です。
主人公のミーチャには成宮寛貴(←画像/左)。
私が見たのは、渋谷コクーンの「キッチン」以来。 今回の舞台は4年ぶりとか。
不気味さと、持ち前のニヒルさもあって好演した。
表向きの明るさとは別の陰のある役が成宮にはよく似合う。
コトフは鹿賀丈史(←画像/右)。
さすが安定感があり、男として、夫として、軍人としてその存在感が抜群でした。
妻マルーシャには水野美紀(←画像/中央)。
往年の秋吉久美子を思わせた。
清楚感のなかに妖艶さも覗かせた。
でもあくまで日本的な若妻にしか見えなかったのは私だけであろうか。
竹内都子のメイドが茶目っ気があって面白い役作り。
奇妙なことに、この芝居には三婆が同居している。三婆に那須佐代子、今 陽子、鷲尾真知子らベテランキャストが脇をかためている。
ことに青年座の那須佐代子は出ただけで舞台が引き締まる。たいした女優さんだ。
今 陽子がいい喉を披露する”おまけ”が付く。
成宮寛貴の舞台衣装
(2011年8月21日 県立芸術文化センター中ホールで所見)