Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

若手七人衆(松也・巳之助・歌昇・種之助・右近・米吉・隼人)の奮闘    ー3月 南座の花形歌舞伎ー

2015-03-30 | 歌舞伎

 

 観たのは千穐楽の前日で、夜の部の『弁天娘女男白浪』と舞踊劇の『闇梅百物語』の二本の狂言である。

正直にいって、「弁天」はあまりにも淡白である。

「まるで新派みたい」とは作家の松井今朝子さんの弁。「今までに見たこともない浜松屋」、「いつもの浜松屋」ではなかったと、音羽屋に

詳しいはなみずきさんが、自身のブログでつぶやいている。たしかに、ダシの効いてないうどんを啜っているような舞台であった。

かつて観た「地芝居」のほうが余程おもしろかった。素人芝居にせよ熱気が漲っていた。そこには観客との交流があった。

今回は7人揃って、1か月の本公演ははじめての経験(松也、歌昇などは声を涸らしている)。かなり萎縮しているのではないか。

出演者がよく口にする「世話物は難しい」にせよ、期待していた「若さ」「熱っぽさ」、加えて歌舞伎味がほとんどなかった。

 

いかに松也を座頭格に、平成生まれの若手俳優を揃えたのが興業の目玉だとしても、今回の公演で「上置き」がいなかったということだ。

「上置き」とは、座頭と同等以上の実力俳優が特別出演することである。

もちろん白波五人男は若手にやらせ、浜松屋の主人か番頭か、鳶の頭に出演してもらえばよい。とすれば、「浜松屋」がもっと締まった

芝居になる。

 

まず幕開きは「浜松屋」の店先で4~5人の接客をしているところ。これがすべて男客。双蝶々の「角力場」ではあるまいし、老舗の呉

服屋に立役ばかりが群がるのはいかがなものか。番頭のいう「よいといちでも来ないものか」の伏線のつもりであろうか。

 

さて「弁天」は松也。もともと「女方」を修業して来た役者さんだけに期待していたが、花道の出から面白くない。

つまり花道へ出たところの娘姿の初々しさ、可憐さ、愛嬌、そして座頭格の大きさが、弁天の見せどころだが、すべてが裏切られた。

「弁天小僧たァ おれがことだ」の力みすぎ。サラッと自然に襦袢がすべって桜の刺青が目に入る、そのイキさがこの芝居の大事なところ

だが、いかんせん段取りが見えみえで、ながれがイマイチ冴えない。

 

南郷の巳之助だが、亡き父三津五郎もこの役に手慣れた人だけに、お鉢が回ってきたのであろう。

「待て待て」からのセリフだけは見事だ、

ただ弁天とのやりとり、呼吸感にいささかズレがあるように見えてならない。

巳之助はどちらかといえば鳶頭のニンではなかろうか、私だけの思いかもしれない

 

歌昇の日本駄右衛門は出からよくない。障子の隙間から様子を伺っているのだが、現在の若者が覗き見してるのと変わりがない。

せりふにある「千人あまりの領分」の貫禄がない。「子供カブキの領分」である。

 、、、

弟の種之助は鳶の頭。父又五郎に教わった通りにやっているのであろうが、、この場の雰囲気を締めるには程遠い。

この難役を当てられたのは気の毒である。余談だが、過去に弁天の鳶頭には幸四郎、菊五郎、梅玉丈ら、いわいるご馳走役でやることが多い。

 

欠点ばかり書きつらねたが、「浜松屋」でよかったのは、米吉の倅宗之助と吉六の按摩である。

米吉は、ことさら出しゃばらずに、役の領分を心得ている。吉六の按摩は素直に、ことさら芝居をしないのがよい。それでいて要所だけは押さえている。

「弁天」のあんまは、いままで多く見てきたが、こんなにうまい按摩ははじめてである。きけば彼は国立劇場新人賞をもらったことがあるとか。たのしみな役者である。

 

2番目が舞踊劇の「闇梅百物語」。

「弁天」とはうって変って、演者が水を得た魚のようにリズミカルに演じている。踊りの面白さを堪能したし、1時間ほどの幕が15分ほどに感じられるほどであった。

それに徳松菊三呂の奥女中が揃ってうまい。菊三呂が花道で、真山青果の『御浜御殿』の浦尾のようなせりふまわしをやるが、これもご愛嬌。

ラスト近くに現われたのは勇将に扮した松也。なんだか「石切」の梶原風だが、本来の松也に戻った感じがした。

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海老蔵の『助六』にもの申す!!      ―新装の歌舞伎座葺落とし ③ ―

2013-06-29 | 歌舞伎


今月のいちばん目玉の記事が、いちばん最後になってしまった。お許しを乞う。

さて、6月公演第3部の『助六』を見たのが、杮落とし公演の3月目である。

はじめは父団十郎が助六を勤める予定であり、海老蔵は福山かつぎの配役で早くから宣伝のチラシが届けられていた。

それが、団十郎丈の急死で、父に代わって海老蔵が「助六」を勤めることになり、福山かつぎは菊之助に配役変更された。


ご承知のように『助六』は成田屋の”家の芸”であり、歌舞伎十八番の名作中の名作である。

舞台は吉原の「三浦屋」の店先のたった一場で、2時間10分の長丁場。殆んどの役者が、それも当を得た配役で、宵から、廓の夜がふけていくまでを

大勢の役者が次から次へと出入りして、芸を楽しむというより、登場する役者を見ているだけで2時間はすぐにたってしまう。

 


そもそも歌舞伎とは、いろんな約束ごとがあって、ほかのリアリズム演劇とはやはり一線を画するものである。

それが大前提であるはずなのだが・・・・。

今回の海老蔵の『助六』には、そうした歌舞伎本来の伝統がいささかも守られてはいなかった。

端的なことをいえば、助六のさがりの位置がどうもおかしかったし、大詰め紙衣に着替えてからの衣装の着崩れの激しいのが気のなった。

たしかに「助六」の出場の「カタリ」」には、「めぐる日なみ」で哀愁の実感、「約束の」で青春がにじむなど、雰囲気だけはただよわせていたが、セリフはあ

まりにもリアルに誇張するあまり、この「助六」が本来もっている歌舞伎のおおらかな味が損なわれたのは、これからの歌舞伎の方向を考えると淋しい。

勘三郎、団十郎をはじめ大物を亡くし、これはあまり知られてはいないが、とかく若い役者に「口うるさい」といわれた各門の番頭さんがいなくなったことで

ある。

「お前さんね、先代はここはこうしたのよ!!」 いわゆる歌舞伎の生き字引といわれた人々である。

役者を叱るというか、支えるというか、そうしたサポートがだんだん少なくなった現実がある。

それらのことが顕著に露見した、このたびの『助六」』であった。

 

 とはいううものの、揚巻の花道行列の最後に出る時蝶、それと手紙を揚巻に届けにくる文使い白菊の歌江の2人がわずかの登場だが、古劇の歌舞

伎味を見せてくれた。嬉しい限りである。

まず皮きりの松本幸四郎の口上に、今回いろんな物議を醸し出したようである。

普通は下手からの登場が、板付きだったこと。しかも下手へ入るのが、上手へ退場したこと。

「河東節の御連中に失礼ではないか」とか、歌舞伎評論家の渡辺保氏などは「どっちでもいいでしょう」と仰る。

さては、「下手からだと他家(成田屋)のご贔屓の目の前を横切ることになるので遠慮したのではないか」という意見もある。

 

    

   今回の「助六」拾い物もいくつかある。まず正面暖簾口から壱太郎、右近、米吉、児太郎の「並び傾城」

   の登場。            

   平成生まれも混じる綺麗どころを揃えた。そのなかでリーダー格の壱太郎が、セリフといい、芝居の大き

   さといいさすが。壱太郎は上方の役者。江戸吉原のおいらんの風情がないのは無理もない。

   いつもなら傾城になる巳之助松也だが、こんどは意休の子分。この2人は立役のほうが私的にはニン

   に適っているように思える。   

   吉右衛門のかんぺら門兵衛は、江戸っ子らしいしゃれた味。又五郎の朝顔仙平のモサ言葉のうまみ。

   良かったのは七之助の白玉。白玉は菊之助、亀治郎(現猿之助)、福助、玉三郎とみてきた。

   このたびの七之助がやはりいちばんよかった。

   

苦界に生きるる花魁らしい。私の好きなせりふ「ほんの莟の藪椿」がこの人こそドンピシャリだと思うし、またキッパリと決めた。

 
最後にあと2人だけ書いておきたい、。東蔵三津五郎である。

東蔵の満江は安定している。しかも「さようなら公演」よりも格段の進歩。

廓の夜も更けて、くるわ騒ぎもヤロメたちの喧嘩もなく、静かな舞台。兄の十郎を従えて花道の引っ込み。 私の『助六』でいちばん好きな場面だ。

曽我十郎と五郎を育てた母としての貫目が充分あり、花道七三での決まりも歌舞伎味をだして楽しませてくれた。

もう1人は通人の三津五郎。さようなら公演は亡き勘三郎であった。

例によって、テレビのCMや流行語で大いに笑わせる「股くぐり」。おそらく「助六」を見る人の大半はこの「股くぐり」に期待してるのではないか。

私の見た日は、海老蔵に第二子が産まれるらしい。それも男の子。

三津五郎が花道へ行ってからこのネタを暴露したのである。

「この子が、歌舞伎座の舞台で『助六』をやるまで皆さん生きていましょうね!!」

海老蔵丈のブログから盗用したネタだった。

 

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新装歌舞伎座の屋上庭園    ― 新装の歌舞伎座葺落とし ② ―

2013-06-26 | 歌舞伎


岸田國士の戯曲に『屋上公園』という一幕物がある。

7年前に別れた恋人同士が、デパートの屋上公園で再会する話であったように思う。

新しく開場した歌舞伎座の目玉の一つに回廊式の屋上公園がある。

劇場部分の屋根の上につくられている。

枝垂れ桜を中央にシンボルツリーとして、灯籠などが配置されている。

ビルに囲まれた借景は、いかにも銀座のオアシスだ。 

 


庭園内でお茶席が開かれるように設計されているという。

お茶席といえば、銀座通リのど真ん中で天王寺屋さん(中村富十郎丈)がお茶席をひらいた。

まだうわてがある!!

ご存知だろうか? 故森繁久彌のご婦人。

サワラ砂漠でお茶席を開き、当時はマスコミ界が大騒ぎした。

お茶席というより、一大イベントの色が濃い 。


この屋上公園に便乗したのが、海苔の老舗「丸山海苔店」。

約3000本の竹を使い、日本茶カフエなる喫茶スペースをつくった。

もちろん屋上庭園が一望でき、和の空気を感じながら極上のお抹茶を!!

というのがキャッチコピー。


柚子煎茶が900円に消費税。

これまさに銀座料金。客はお店のテナント料まで払わせられているのである。

テナントいえば、歌舞伎座の上階に聳える銀座ビル。

松竹さんは年間数億円の家賃収入を当て込んでいるのに、、空室だらけでいまだ借り手が無いという。  

これ『獲らぬ狸の皮算用』。    

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松緑の「丑松」一本気な性格を大熱演!!  ―新橋演舞場「三月花形歌舞伎」―

2013-03-28 | 歌舞伎

  昼の部に上演された『暗闇の丑松』は私にとって思い出のある狂言である。

  昭和58年2月。忘れもしない横浜の青少年ホールで自作の公演があり、中華街での打ち上げも中途で退

  席してタクシーで東銀座の歌舞伎座に駆けつけた。

  初代辰之助の丑松で『暗闇の丑松』を見るためである

  そのときの配役を紹介すると、丑松に辰之助ほか、お米に菊五郎、お熊が菊蔵、四郎兵衛に先代の 

  権十郎、お今に田之助、祐次に海老蔵(故団十郎)、妓夫三吉は岩井半四郎。

  今から思えば夢のような超豪華キャストであった。すでに故人になられた歌舞伎俳優さんも多いが、端

  役に至るまでアッと驚くような布陣だった。

  それでも当時は「歌舞伎低迷」の時代で、空席が目立った。八月にはいつも「三波春夫ショー」で貸館してい

  た時代であった。

 

「暗闇の丑松」は、昭和9年に六代目の丑松で東京劇場で初演されたらしいが、長谷川伸の『瞼の母』、『一本刀土俵入』などよりも上演回数は少ない。

わたくしは長谷川伸作品のなかでこの『暗闇の丑松』がいちばん好きな作品である。2番目が『中山七里』。

『中山七里』は大阪の新歌舞伎座で初代松緑と山田五十鈴で見ている。あのときの舞台がいまも心に刻み込まれているのであります。


ところで『暗闇の丑松』は講談をその素材にした作品ですが、主人公丑松の気風がよくて、一本気なところが実にうまく描かれているのと、「天保の改革」

という江戸の暗い時代を背景に市井(しせい)の風俗描写が登場人物とからまって見事に活写されていることである。 

 

   『 暗闇の丑松』

   松緑の丑松は初演。つい熱が入って大芝居になるところがあるが、きりっとしまって一本気で、苦み走った

   男を力演した。

   しかも音羽屋系らしく小悪党でも小ざっぱりした、粋な江戸っ子の板前である。

   序幕鳥越の二階での、幕切れの遠くをさす指のキマリ、四郎兵衛の家に下手から出るイキ、湯屋の裏手

   から殺気を帯びて出てくる凄味。欲をいえばもう少しサスペンス性があってもいいのではないか。

   一番いいのは、ラストの花道の団扇太鼓の引っ込みがうまい。切羽詰まった顔つき、まっすぐな芸。

   父・辰之助の引っ込みを凌ぐ、いい出来であった。

   対するお米は梅枝。一座のなかで一番の適役だと思ったが、感情の起伏に乏しく、陰翳が微塵もない。

   この人はやはり時代物か。それでも世話物で宇野信夫の『神田ばやし』の小娘はうまかったのに。

   


死ぬ決心をする絶望感、それゆええの哀れさが見る側に伝わってこないのである。

 

団蔵の四郎兵衛は、いかにも女を手籠めにしてから売り飛ばしそうなニンに適った菊五郎劇団の重鎮。

お今の高麗蔵もうまくこの役を生かしてはいるが、長谷川伸がわざわざト書きで指摘している{粋な女だが得手勝手な気象}にはやや乏しい。

ほかに、お米の養母お熊の萬次郎がいい。老後を左団扇でくらしたい魂胆が見え見えなのが萬次郎らしい芸でおもしろい。

現・権十郎の浪人だが、あまりにも善人すぎる。もっといやらしさがあっていい。

今回いちばんいいのは、やはり橘太郎の三吉だろう。丑松に酒をすすめられて口が軽くなっていくところのテンポがすばらしくいい。いわゆる長谷川伸の

世界に匂いを感じさせてくれる。

匂いといえば、松太郎の板橋の使いのあのとぼけた味も貴重。亀三郎の岡っ引きも気質、動きが舞台に厚みを加えた。

演出は大場正昭。昨日品川で見たみつわ会の『雨空』『三の酉』も大場さんの演出であった。

あとひとつは、菊之助で『妹背山御殿』。

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哀悼  中村勘三郎丈  あなたはあまりにも走りすぎましたね!!

2012-12-08 | 歌舞伎

 

「・・・・・・また新しい歌舞伎座でいっぱい夢を見せて貰いましょうよね。・・・・・それではしばしの間、

          歌舞伎座とはさようなら・・・エヘン」


勘三郎さんが歌舞伎座さようなら公演の最終月、第3部『助六由縁江戸櫻』の通暁という通人に出たときのセリフである。

勘三郎にとって、これが歌舞伎座での最後の舞台となった。

平成9年から続いた「さようなら公演」は盛況だった。わけても最終月の演目『助六』の千穐楽は、チケットが早くから完売だった。

有楽町の金券ショップで、1等席が20万で売り出されているとの噂もあった。

私は松竹の関係者に「そこをなんとか・・・」と嘆願して、千穐楽の3日前にチケットを入手した。

歌舞伎座建て替えの最後の夜に、超満員の客席で「勘三郎」を見られたことを幸せに思っている。


「まだお若いのに」

誰もが口にするあまりにも若すぎる旅立ちであった。

満席の客を残し、早すぎる幕であった。

歌舞伎界のパイオニアと呼ばれ、時代に呼応した歌舞伎を夢見て走り続けた勘三郎だった。


夜中の2時に、松竹の永山会長宅に押し掛け「こんぴらで歌舞伎をやらせてくれ!!」と直訴した。

前永山会長はパンツ一つで玄関口に出てきたそうだ。

 
今日のように陽春4月には、四国こんぴら歌舞伎大芝居が慣例になっているが、これを再興させたのも、この時の勘三郎さんのおかげである。

また串田和実さんと組んで、若者の街渋谷コクーンで、「コクーン歌舞伎」を定着させた。

さらに仮設劇場の「平成中村座」を立ち上げた。「平成中村屋」の旗はニューヨーク、ニューギニアの海外にまではためいた。

安芸の宮島で、またあるときは鳥も通わぬ鹿児島の孤島で『俊寛』を上演するという快挙もあった。


勘三郎は交友関係も広い。銀座のバーで、ある時は浅草の居酒屋で―。

「ねえ、ねえ  歌舞伎のホン(台本のこと)書いてよ!!」 勘三郎さんの口癖だった。

「書いてくれる!?  書いてくんないの!?」

「書いてくれるんなら ビールもう一本!!」 


現在演劇の牽引役である野田秀樹、三谷幸喜、渡辺えり、宮藤官太郎らに脚本を依頼して、時代の変化に対応する歌舞伎づくりを目指していた。

なかでも成功させたのが、野田秀樹さんという演劇界の奇才と組んで、最高傑作と誉れの高い『野田版 研辰の討たれ』である。

この作品こそ歌舞伎の演目として”古典”になりうるだろう。


 
このあたりで少々余談を。

歌舞伎に「白化け」ということばがあります。つまりあけすけに正体や真相を暴露するという意味である。

野田秀樹の『研辰の討たれ』にその「白化け」がいくつかあった。

主人公の研辰(勘三郎)が道場にいわわせた武士才次郎「(←当時勘太郎、現勘九郎)をからかう場面の一コマである。

研辰「坊ちゃま、坊っちゃまの事はわたくし、なぜかお兄様よりよっく存じております。あなた、お小さい時夜明けにタバコをた

べたことがあるんですよ。

この子はバカじゃないかと思いました(才次郎キッとなる)いや、それで私はびっくりして口の中からタバコを取り出してさしあげ

ようとしたら、あなた、私の手
を噛んだんだ。しょうがないから私、逆さにして洗面所でふってあげたんだ。そのまま水に浸けて

殺しちまえばよかったんだ。そんな小さい時から知って
いるあなた方が私を殺す?  冗談おっしゃっちゃいけませんよ」

(注)この時の兄貴の九市郎は「阿修羅」で稼ぎまくっていたころの染五郎である。

 

勘三郎の”夢”はまだまだあったようだ。

一つは新しく出来上がった歌舞伎座で、親子、そして孫、中村屋三代で何か演りたい。

それと、中村屋総勢で『助六』をやってみたい。

「ギリシャ悲劇」を歌舞伎でやってみたい。

残念ながら、それらのの”夢”はかなわなかったけれど・・・・・。  残念無念はわれわれとて同じこと・・・・・。

でも、あの『研辰の討たれ』のように、歌舞伎座の二階席のうしろから―

「ばあァ・・・・・こんちわ」

と、出てくるような気がしてならない。

中村勘三郎って、そんな役者であった。

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