今月のいちばん目玉の記事が、いちばん最後になってしまった。お許しを乞う。
さて、6月公演第3部の『助六』を見たのが、杮落とし公演の3月目である。
はじめは父団十郎が助六を勤める予定であり、海老蔵は福山かつぎの配役で早くから宣伝のチラシが届けられていた。
それが、団十郎丈の急死で、父に代わって海老蔵が「助六」を勤めることになり、福山かつぎは菊之助に配役変更された。
ご承知のように『助六』は成田屋の”家の芸”であり、歌舞伎十八番の名作中の名作である。
舞台は吉原の「三浦屋」の店先のたった一場で、2時間10分の長丁場。殆んどの役者が、それも当を得た配役で、宵から、廓の夜がふけていくまでを
大勢の役者が次から次へと出入りして、芸を楽しむというより、登場する役者を見ているだけで2時間はすぐにたってしまう。
そもそも歌舞伎とは、いろんな約束ごとがあって、ほかのリアリズム演劇とはやはり一線を画するものである。
それが大前提であるはずなのだが・・・・。
今回の海老蔵の『助六』には、そうした歌舞伎本来の伝統がいささかも守られてはいなかった。
端的なことをいえば、助六のさがりの位置がどうもおかしかったし、大詰め紙衣に着替えてからの衣装の着崩れの激しいのが気のなった。
たしかに「助六」の出場の「カタリ」」には、「めぐる日なみ」で哀愁の実感、「約束の」で青春がにじむなど、雰囲気だけはただよわせていたが、セリフはあ
まりにもリアルに誇張するあまり、この「助六」が本来もっている歌舞伎のおおらかな味が損なわれたのは、これからの歌舞伎の方向を考えると淋しい。
勘三郎、団十郎をはじめ大物を亡くし、これはあまり知られてはいないが、とかく若い役者に「口うるさい」といわれた各門の番頭さんがいなくなったことで
ある。
「お前さんね、先代はここはこうしたのよ!!」 いわゆる歌舞伎の生き字引といわれた人々である。
役者を叱るというか、支えるというか、そうしたサポートがだんだん少なくなった現実がある。
それらのことが顕著に露見した、このたびの『助六」』であった。
とはいううものの、揚巻の花道行列の最後に出る時蝶、それと手紙を揚巻に届けにくる文使い白菊の歌江の2人がわずかの登場だが、古劇の歌舞
伎味を見せてくれた。嬉しい限りである。
まず皮きりの松本幸四郎の口上に、今回いろんな物議を醸し出したようである。
普通は下手からの登場が、板付きだったこと。しかも下手へ入るのが、上手へ退場したこと。
「河東節の御連中に失礼ではないか」とか、歌舞伎評論家の渡辺保氏などは「どっちでもいいでしょう」と仰る。
さては、「下手からだと他家(成田屋)のご贔屓の目の前を横切ることになるので遠慮したのではないか」という意見もある。
今回の「助六」拾い物もいくつかある。まず正面暖簾口から壱太郎、右近、米吉、児太郎の「並び傾城」
の登場。
平成生まれも混じる綺麗どころを揃えた。そのなかでリーダー格の壱太郎が、セリフといい、芝居の大き
さといいさすが。壱太郎は上方の役者。江戸吉原のおいらんの風情がないのは無理もない。
いつもなら傾城になる巳之助と松也だが、こんどは意休の子分。この2人は立役のほうが私的にはニン
に適っているように思える。
吉右衛門のかんぺら門兵衛は、江戸っ子らしいしゃれた味。又五郎の朝顔仙平のモサ言葉のうまみ。
良かったのは七之助の白玉。白玉は菊之助、亀治郎(現猿之助)、福助、玉三郎とみてきた。
このたびの七之助がやはりいちばんよかった。
苦界に生きるる花魁らしい。私の好きなせりふ「ほんの莟の藪椿」がこの人こそドンピシャリだと思うし、またキッパリと決めた。
最後にあと2人だけ書いておきたい、。東蔵と三津五郎である。
東蔵の満江は安定している。しかも「さようなら公演」よりも格段の進歩。
廓の夜も更けて、くるわ騒ぎもヤロメたちの喧嘩もなく、静かな舞台。兄の十郎を従えて花道の引っ込み。 私の『助六』でいちばん好きな場面だ。
曽我十郎と五郎を育てた母としての貫目が充分あり、花道七三での決まりも歌舞伎味をだして楽しませてくれた。
もう1人は通人の三津五郎。さようなら公演は亡き勘三郎であった。
例によって、テレビのCMや流行語で大いに笑わせる「股くぐり」。おそらく「助六」を見る人の大半はこの「股くぐり」に期待してるのではないか。
私の見た日は、海老蔵に第二子が産まれるらしい。それも男の子。
三津五郎が花道へ行ってからこのネタを暴露したのである。
「この子が、歌舞伎座の舞台で『助六』をやるまで皆さん生きていましょうね!!」
海老蔵丈のブログから盗用したネタだった。