豪華なキャスト、美しい衣装、それに音楽も個性的。西洋の堅牢な建築を
思わせるアクリルの舞台美術。
そして日本の演劇界に常に刺激を与えているロバート・アラン・アッカーマン
の演出。実力派をそろえた舞台でした。
しかし何か足りない。意外とつまらない。
どこが悪いというわけでもないが、見ていてワクワクするような躍動感がない。
期待していたのに。なんで?という失望感。
それは高級フランス料理フルコースで、見た目はすごく豪華なんだけど、
いざ食べてみると味がイマイチだった、そんな経験とよく似ています。
この『ストーン夫人のローマの春』ですが、1950年に『欲望という名の電車』
『ガラスの動物園』の作者、テネシー・ウイリアムが小説として書き上げたものです。
1961年にヴィヴィアン・リー主演で映画化され、2003年にはオスカー賞を総なめ
にしたヘレン・ミレンで再び映画化。マーティン・シャーマン脚本、ロバート・アラン・
アッカーマン監督でした。
しかも今回、同じコンビで満を持して世界初の舞台化に臨んだ訳です。
まずはストーリーを。
米国で女優として活躍するカレン(麻美れい=画像/左)は、夫のストーンと旅に
でるが、夫が急死し、ローマにとどまる。コンテッサ(江波杏子=画像/右)という
女がカネを巻き上げようと近づき、次々と男娼を紹介する。はじめは冷淡だった
カレンだが若い肉体を誇るパオロ(バク・ソヒ)と出会い、肉欲に溺れる。
カレンの生活は荒み、ついには、パオロに捨てられたのを儚み、始終カレンにつきまとう
若い男(鈴木信二)に家の鍵を投げるという、自らを律することもできず、破滅に向かう・・・。
『ストーン夫人のローマの春』は、春というより陽の傾きかけた夏の午後。
石畳から照り返しが眩しい陽炎のような・・。そんな太陽の光溢れる街に集う活気あふれる
情熱的な若者たち。いってみれば、ヒリヒリするような”ローマ”を描いた小説です。
このドラマの舞台は、ナポリでも、ニューヨーク5番街でもなく、”ローマ”なんです。
なので、この舞台に欲しかったのは猥雑さ、敗戦直後のイタリーの虚無感です。
ですが、それが決定的に欠けていました。
次に、アレンとパオロが結ばれるキッカケに説得力がないことです。
それに、ストーン夫人が溺れる若い男娼役がミスキャスト。
男娼のパク・ソヒはプライドの高い気障な男をそれなりに演じていましたが
かなり無理があった。「ローマの美青年」として肉体美だけを強調しても駄目。
正真正銘の”ジゴロ”なんだから、相手が男であろうと女であろうと、いちばん高く
買ってくれるヤツと寝る!
そんな匂いが伝わって来ない。
ストーン夫人に付きまとうホームレスの若者(←300人のオーディションから選ばれたらしい)。
台詞のない役だけに、目が利いていたことだけは認めたい。
で、肝心のカレンだが、ラスト、ホームレス少年に鍵を投げるのも、肉欲ゆえの愚かさ
を表してるんだと思うけど、麻美れいが演るとピザでもたべさせてやるんじゃないか
に見えてしまう。
過去の輝きと現在との落差から生まれる不安、自暴自棄、狂気、それらを払拭したいがための
性(セックス)への依存・・・。
これがテネシー・ウィリアムの”お家芸”ですが、舞台から片鱗すら見えて来ない。
そして哀愁と翳りも・・・。なにかしら、キメ球をもたぬもどかしさをおおいかくせなかった。
「『ストーン夫人のローマの春』の初舞台は、米英演劇界の最大の関心事。それは
この渋谷のパルコから発信します」
なのに、宣伝文句だけが空回りした今回の公演だったと言わざるを得ない。