Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

女三人のおばちゃん『コーラスガール』の物語   鄭義信作・演出 『リバウンド』

2018-05-27 | 演劇

 

今回の公演のタイトルが「リバウンド」と聞いたとき、ダイエットに失敗を繰り返す大阪のおばちゃん達の話かとおもった。

だが、あらためて舞台を見ると「これって、どこかで見たことがある?」。

このことは、後に詳しく書くつもりだけれど、2010年に東京は杉並区の座・高円寺 という小劇場で公演された「富士見町アパート

メント」の中の、一作品が、この鄭義信作「リバウンド」だった。

当時、4人の劇作家が、同じアパートのセットで、それぞれ1時間の枠の中で新作を書き下ろし、そのすべてを鈴木裕美が演出するとい

う画期的な試みだった。

芸達者な平田敦子、池谷のぶえ、星野園美ら女優3人が、揃っての熱演だったのを憶えている。

 

 

    

(神戸公演のコーラスガール達  左端が鄭義信さん)

 

あれから8年。今回は台詞を関西弁に書きかえ、歌も少々増やした。

さらに地元で活躍している女優さんに合わせて、ホンに手を加えたらしい。しかも作者自身の演出だ。

こうして1時間半の一幕物に『リバウンド』は生まれ変わったのである。

 

今回、上演時間が増えたせいでもないだろうが、いささか散漫になったことは歪めない。

率直に云って、初演のほうが、ことにラストなどは、三人三様の個性がはっきりと浮彫りされていた。

芝居が”濃い„かった。

しかも泣いて、笑って、歌って、踊って、おばちゃん3人組みの舞台は、観客にはうけてはいたが、いささか関西風のドタバタ

喜劇に終始していた感がつよい。

作者の意図は「アハハ…」と笑ってはいるが、その影にさびしさ、わびしさが観客に伝わらなければいけないのだが……。

鄭さんの妄想は、あの「富士見町アパート」の部屋で、鼻歌を口ずさみながら、去っていった仲間を想いながら

下着を部屋干ししている「コーラスガール」を書きたかったにちがいないのだから。

 

初演では、平田敦子、池谷のぶえ、星野園美ら太目の女優を集めた。

彼女達はバンドを立ち上げたがなかなか売れない。

でも好きな唄を歌って、楽しい毎日だった。仲間の一人は婚約者もできた。

そして、20年後のクリスマスイブの日……。バンドの解散。つまりはリーダー格の菊子の父が認知症になり介護のために、実家に帰るこ

ことになる。結婚した瑞穂は夫にしじゅう殴られるような不和状態。もう一人の弥生は不倫を重ねている。

登場人物の抱える問題がステレオタイプではあるものの、そこは鄭さんらしく大いに笑わせながら物語を運ぶ。

役者が達者なだけに、孤独を身体(からだ)に染みこませた動きが、セリフに奥行をあたえ、しかも物語が凡庸な印象になるのを食い止

めていた。

 

(初演の『リバウンド』 東京・座・高円寺で) 

 

「コーラスガール」たちにも、華やかだった過去もある。カウントダウンコンサートのオファー、掛け持ちの日々。

そんなバブル時代を回想しながら、鄭さんオハコのおおいに笑わせ、やがて侘びし過ぎるかなしみ……。「人生ほんまに切ないね」。

それが観客に、すくなくとも東京公演では、鄭義信戯曲の本質がストンと胸に落ちた気がする。

 

 

 (初演 『リバウンド』 のチラシ)

 

 (左から 蓬莱竜太 赤堀雅秋 鄭義信 マキノノゾミ の 各氏)

 

さて、2010年に公演された『富士見町アパートメント』(自転車キンクリートSTORE  鈴木裕美演出)は、蓬莱竜太、赤堀雅秋

マキノノゾミ、そして鄭義信の当代人気劇作家が、同じアパートのセットで、それぞれが1時間の劇作を書き下ろすという意欲的な

試みが、杉並区にある座・高円寺という小劇場で展開された訳である。

ちなみに、『リバウンド』は、Bグループの最初で、休憩をはさんでマキノノゾミ作『ポン助先生』が上演された。

 

このときの『リバウンド』 が、8年ぶりに神戸・新開地の神戸アートビレツジセンターKAVCホールで火の目を見たのである。

                                (2018・5・19  神戸新開地 神戸アートビレッジセンターKAVCホールで所見)

                                 

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姫路で江戸前の「うな重」を!ーうなぎの「魚治」ー

2018-05-04 | グルメ

 

「うな重」のお重を開けたときに匂う、あのいい香り。

艶やかなかば焼きの色……。

うなぎ、大好き人間である。

今年の「土用の丑」は、7月20日(金)だが、それまで待てそうにない。

思い立ったら吉日。

近隣の姫路のうなぎ屋「魚冶」へ誰も誘わずにひとりで行く。

「魚冶」の創業は50年余りらしいが、姫路のデパートの地下売場の一区画に出店を構えてから、5~6年にもなるだろうか。

 

 

「魚冶」は、関西では珍しく江戸前のうなぎを食べさせてくれる。

浜名湖育ちの活うなぎを直送して、水槽に1週間ほど生かし、うなぎ独特の臭みを取り除くのである。

身を引き締めてから、背開きで調理し、まず蒸してから特製のタレをくぐらせ、備長炭で丁寧に焼いていく。

(この「焼き」が”火鉢一生”といわれるくらい難しい。)

つまり蒸すことによって、ふっくらとろける食感、皮までお箸で切れる軟らかさ。

これが江戸前の流儀なのだ。

関西では、本格的な江戸前のうなぎを食べさせる店は数少ない。おしなべて、うなぎをコゲ焦げに焼くのである。これは岐阜県などが

そうである。

かなり前のはなしだが、郡上踊りで有名な郡上八幡の料理旅館「吉田屋」に泊ったことがある。吉田屋の元は、地元では有名なうなぎ専

問の料理屋だった。夕食には、案の定うなぎのかば焼きが膳に貌をみせた。こげ焦げの蒲焼である。

お目当ては鮎だったせいもあるが、だれも蒲焼には箸をつけなかった。

 

            

 

「魚冶」のメニューには、うなぎの蒲焼、うな重(梅)3,500円、(竹)2、400円。

ほかに、うなぎ丼、うざく、う巻き、白焼き、きも焼きなど。持ち帰りもできる。

ちなみに、その日わたしが注文したのは、うな重の(梅)≪上掲の画像≫、これにきも吸と香の物が付く。

さらに、つけ加えれば、脂もほど良く、やわらかく、すっきりした本来の江戸前とは言い難い。とはいえ自宅から電車で15分程度で行け

るお店ができたことはありがたい。 

 

あの小津安二郎監督もうなぎが大好物だった

小津監督は、気に入った食について記した手帖、通称「小津のグルメ手帖」なるものをつけていた。

革表紙の手帖で、中には、うなぎ、天ぷら、とんかつ、とり鍋など、小津が大好きだった食と店名、さらには地図入りで

場所が記されている。手作りの味がある。しかも、これが小津映画の食シーンの原点ともいえる。

 

 小津のグルメ手帖の一部

(わたしがよく行く小網町のうなぎ「喜代川」は2番目に載っている)

 

 

 小津監督のうなぎ好きは有名だが、このグルメ手帖に出てくるだけでも32軒もあったそうだ。

しかも、いちばんよく訪れたのが、麻布飯倉の『野田岩』本店。

今日では考えられないが、小津監督は天然うなぎにこだわったという。

当時の「野田岩」は、天然うなぎにこだわり非漁期には、店を休んだ江戸前うなぎの名店だった。

しかも、うなぎ蒲焼は時価。ゼイタクな時代であった。

小津監督の舌もとことん磨きがかかった筈だ。

しかし、昭和36年あたりから天然うなぎが獲れなくなった。現在では、養殖物すら厳しい状況にある。

小津監督が活躍したころは、昭和は輝いていた、良き時代であった。 

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