大阪・松竹座での「團菊祭大歌舞伎」は関西初お目見得。
ご承知のように歌舞伎座の建て替えで、平たく云えば「引越し興行」。
今回は江戸の團菊に、上方の籐十郎が昼の部『勧進帳』で義経を付き合う。
本来、「團菊祭」といえば、70年余りの歴史を重ねてきた東京・歌舞伎座の吉例行事。
同時に、歌舞伎座が閉場して、倉庫に入るかも知れなかった2体の胸像が、松竹座の3階ロビーに移像、展示された。
(画像左が五代目菊五郎 右が九代目團十郎の胸像)
夜の部は『十種香』、『京人形』。
キリが黙阿弥の世話物『髪結新三』。
観客がお目当ての團菊顔合わせの演目である。
ところが意外に盛り上がらない。
まず、序幕「白子屋の店先」。
菊五郎の新三が、悪党だが、やんちゃな可憐さを醸し出す。
髪をすきながらの手順も細かい。それでいて愛嬌がある。
下手からの出にも眼光鋭く凄味があるのがいい。
それと、門口で忠七、お熊の話に聞き耳をたて「どんな話か一番聞いてみよう」というセリフが原作にあるが、今回はカットしたのがよかった。
こういうセリフは説明的だし、現代調で耳に立つ。
白子屋の娘お熊に梅枝(←画像)。輝くような美しさである。
もともと菊之助の持ち役だが、今回菊之助は勝奴にまわっている。
梅枝のお熊は驕慢の中に無邪気な愚かさが透ける。
この芝居は若い二人の無分別というところから起こる事件だけに、それが事件をよりリアルにしている。
後家のお常に家橘。芝居も大きく、安心して見られるが、少々芝居が上すべりしている。
どうしても見せかけだけの情、やればやるほど後家根性に見えてしまう。
故人源之助の名演を見ているだけに、やはり物足りない。
菊三呂の女中お菊はミスキャスト。
とても車力善八の姪には見えない。
まだ気持ちと形が離れるのは勉強会程度にとどまる。
これも小山三の名舞台がある。
次に「永代橋」。
時蔵の忠七がうまい。
しっとりと大きく、何よりもこの役のニュアンスがよく出ている。
菊五郎が花道から忠七と相合傘の出がすぐれている。
はじめから無愛想なのではなく、除々に冷たくなっていって、チラリと見せる凄味がいい。
傘づくしは味わいが乏しいが、「ざまあみやがれ」で傘を廻してポンと開くイキ。
なんでもないようだが、手馴れたうまさで際立つ。
三幕目「新三内」。
いつも思うことだが、この場だけは、たとえば新派『婦系図』の「めの惣」のように、じつによく出来た一幕である。
人間描写の細緻さ、「カツオは半分貰ったよ」のユーモラス、江戸下町の風情、そして季節感。
季節感といえば、まず花道から湯上りの新三が出てくると、そのうしろから、かつおを盤台に入れた魚屋がついてくる。
舞台では竹笛で聞かせるほととぎすの啼き声。
目に青葉 山ほととぎす初がつお
この句は江戸っ子の口の端にのって、一般の常識にさえなっている。
黙阿弥は、深川冨吉町の長屋の一角に住む、このたちのよくない廻りの髪結の生活の季節感に、うまく、ほととぎすとかつおを、とり入れたのである。
その鰹売りの菊十郎がイキがよくて出色の出来栄え。
「かっ、かっ、かつお!!」
この甲高い声を得意にして、ついに持ち役になった。
三津五郎の家主長兵衛は意外にドッシリとした存在感。
突っこむところは突っ込んで、その強欲ぶりには感心した。
対する萬太郎の家主の女房はやり過ぎ、目立ちすぎである。
ベテランにしてクサイ芝居にはビックリした。
菊之助(←画像)は今月4役中下剃勝奴がいちばんの立派な出来。
本来は女方だから、立役は久し振り。
海老蔵バリで、いなせな江戸っ子を見せた。
團十郎の源七に「ヤキの廻ったおじさんだ!!」という捨てゼリフがじつにうまい。
客席から笑いがもれるが、これは菊之助のセリフではなく、團十郎の源七親分が立派すぎて、そう見えないからの”笑い”である。
その團十郎は貫禄充分。
「おらぁ 弥太五郎源七だ!」
口を開けば、そう言うところなど、いかに親分風を吹かせても、それゆえに哀愁際立つ落ち目の親分をきっちり見せたのはさすが。
非常時にこそ芽吹く好機もある、という。
この「團菊祭」が大阪の地に根付くとよいのだが・・・。
【2010年5月20日 大阪・松竹座 夜の部所見】