スレ違いと溝を残して、後味の悪い北京五輪の終焉となった。
4度目の五輪で男子サッカー日本代表は全敗。はたまた指揮官の”安全策指令”無視の造反劇。
指揮官は勝ち点1でも欲しい。
選手は最終戦を思い切りやりたいと言う。
反町監督の指示を無視して、さらにチームメイトに呼びかけて「思い切りやりたい」なんて主張する本田(圭)は自己チユー過ぎるのか!
それとも反町監督 に采配の能力が無いのか!
どちらにしても「日本男子チーム」は弱いだけなのか!
本題に戻そう。
メキシコ大会以来28年ぶりにオリンピック出場を果たした日本オリンピック代表。
96年7月21日、日本オリンピック代表は強豪ブラジルを倒した。
これは疑いのない奇跡だった。
”恐るべく集中力と団結力”
しかし、世界中を嵐のような騒ぎに巻き込んだチームとはうらはらに、日本オリンピック代表の知らざる物語があった。
それが、金子達仁さんの『28年目のハーフタイム』です。
本書は生身の人間たちが激しくぶつかり合う、選手の内面を心憎いまでに描いたルポルタージュ。
さらに付け加えるならば、当時(アトランタ五輪)の選手たちの内情を、スリリングに、仮面を引き剥がし、素顔を白日のもとに曝したと言おうか、画家が泥絵具をキャンバスに叩きつけたようにと言うべきか、まさしく稀有の名著といえます。
事件の発端は、”ハーフタイム”という時間に。
ハーフタイムとは、前半に生じた戦術的なズレを少しでも元へ戻すための時間。と同時に、精神的なリフレッシュをはかる時間でもあるわけです。
しかし、ハーフタイムのロッカールームで、選手らは戦術的な指示を与えられることもなく、精神的なリフレッシュをするでなく、ただチームが崩壊したという苦い事実があった。
内情をかいつまんで言えば
アトランタ五輪では、当時19歳の最年少で出場していた中田英は、西野監督に攻撃的にいくように直訴した。そのうえで、西野監督は中田英をはずした。
一方北京では、本田圭は監督に言わず、数名の選手に呼びかけて造反行為に及んだ・・・・。
勝敗にこだわる気持ちは分かるけど
結果がすべてだと言うけれど
ハーフタイム事件だって、すべてが綿々と連なった結果として生まれた失点だったけれど
勝っても、たとえ負けたとしても、その試合が素晴らしい”戦い”であるならば、夢を、感動を、確実にあたえてくれます。
素晴らしい試合とは、選手の卓越した技術だけではない。たとえ技術がなくても、選手一人ひとりのその試合に賭ける思いというか、また、背負っているものが大きければ大きいほど、命を削る熱い戦いを生み出すはずだから・・・。
こうした試合を創り出すことが、歴史にも刻みこまれることだと思うから・・・。
オリンピックって、そんなトーンであってほしい。