つい先日、蜷川幸雄さんの『冬物語』を観てきました。
どんな駄作、愚作でも蜷川さんの手にかかれば、一級の作品に仕上げてくれます。
早い話が蜷川演出だと、チケット料金が他の演劇よりも3割程度のアップが当たり前です。それでもお客がわんさと集まる。出演者ならともかく、”演出”で客を呼べるのは、日本では蜷川さんだけでしょう。なにしろ”世界のニナガワ”ですから。
ところで『冬物語』は数多いシェイクスピア劇の中でも駄作中の駄作で、やたらご都合主義や不合理な部分があって、煮ても焼いても食えそうにない晩年のヒドイ作品なのです。
この”破天荒”な作品をどう処理するか? そこが蜷川さんです。
ご都合主義極まる物語は、とうてい整合化された芝居や心理主義では追いかけられないと考えたのでしょう。
そこでグリム童話のように、つまり神話的な時間と空間の中に物語を置き換えているのです。
たとえば、シチリア宮殿の場で飛び交う紙飛行機が、失われた時間といったさまざまなことをメルヘンチックに象徴しています。
「えっ? 田中裕子が16才の役? アノおばさんが? 無理、無理、絶対無理!!」
観客席でガヤガヤと女性陣。
あらすじは省きますが、田中裕子が二役を演じています。
シチリア王(唐沢寿明)の妃と、二人の間に生まれた娘役です。
・・・実は嫉妬に狂ったシチリア王は生まれたばかりの娘児を他国に捨ててくるよう、家臣に命ずるのです。
娘児は羊飼い(六平直政)に拾われ、美しい娘に成長していました。
そして、16年後のボヘミアの場面(←前場の妃役では自害します)では、物語のもっている無理な部分をソツなく埋めて、溌剌とした可憐な少女を演じたのにはオドロキでした。
それと、蜷川組初出演の藤田弓子が抜群の出来栄え。
どちらかといえば小柄な女優さんですが、不思議な存在感と説得力があり、強さと温かさがとてもよかったです。
助演の横田栄司、長谷川博己は蜷川カンパニーの常連だけに手堅く上出来でした。
明るいニュースなど何もない、これだけ世の中が混沌として”お寒い”時代に、この物語のように次々と奇跡が起こり、信じることの力を育み、人生を肯定できるような作品に仕上がったことに拍手を送りたいのです。
とは言え、これも蜷川マジックにまんまと乗せられたのかもしれません(笑)。