久しぶりに「演劇」らしい「演劇」に出合った。
しかも現在演劇の本丸といわれる新国立劇場で、感銘の深さという点でこれは屈指の舞台だった。
「フランス古典劇」という高いハードルに意欲的に取り組み、有史以来、人類が絶えず直面してきたであろう問題を改めて考えさせられ
る骨太な舞台だ。
作者ジャン・ジロドゥは、この地上から「戦争」がなくなることのない人間歴史の愚かさを、怜悧にそして詩的に描き出している。
紀元前1200年頃に起こった「トロイ戦争」。といえば「トロイ」対「ギリシャ」の戦争を想定するだろうが、開戦直前のわずか一日に絞って
ジロドゥはこれを劇化した。
ギリシャ神話『イリアス』をモチーフにしながら、何よりも現代に呼応する舞台を創りあげた栗山民也の演出の功を多としなければなら
ない。
岩切正一郎の翻訳は、台詞にテンポがあり、何ら現代劇と変わらない。「古典劇」だからと敬遠される向きもあろうが、非常にわかり易く
かつ明晰である。
「戦争への憎しみが増すにつれ、殺したいという欲望が沸いてくる」
二村周平の舞台美術が出色だ。
いつの頃からか、ギリシャ劇、古典劇になると、ドームとか階段の装置が定番だった。
今回は回廊を思わせる半円形のセットがシンプルであり、歴史の渦を連想させた。
また、衣装や装飾(例えば王冠など)にも、ギリシャ劇特有の重々しいロープなど時代感のあるものはいっさい排除し、用いる
つもりは、さらさらなかったらしい。
音楽は、一人だけの生演奏。金子飛鳥のバイオリン独特のスリリングな音色が、不穏な空気とうまくマッチングしていた。
画像左から、鈴木亮平、一路真輝、鈴木杏、谷田歩 らの演技陣も魅力にあふれていた。
エクトールの鈴木亮平は、かつて好きだったものが今ではもう好きでないという苦い意識。平和への希求。
徹底的に開戦を避けようとする姿を真摯に演じた。
誠実に吐く彼の台詞は観客の胸をうつ。前作『籟王のテラス』(赤坂ACTシアター)よりもかなりの進歩である。
「戦争は終わった。でも次のが待っている」
「今まで好きだったものをどうやって嫌いになるの? 聞かせて」
対するエクトールの妻アンドロマックを演じる鈴木杏はエクトールの子を身ごもり、つねに戦争の予感におびえている。
明瞭な台詞、それに切迫感があり、本作いちばんの出来。
「鏡を割っても、そこに映っていたものはやっぱりそのまま残るんじゃない?」
絶世の美女といわれたギリシャ王妃エレーヌの一路真輝の超然とし佇まいには圧倒される。
宝塚調をむしろ逆手にとって、洗練された長台詞、"美しい言葉”を朗々と演じたのはさすが。
ギリシャの知将オデュッセウスの谷田 歩が、本来はシエイクスピア役者だが、今回は冷徹さ一辺倒で舞台の緊張感を高める。
緊張感といえば、終幕近く、鈴木亮平のエクトールが谷田 歩とのはじめての対面。名目は話し合いだが、実は対決である。
「戦いだ、そこから戦争になるか ならないか」
真っ赤な太陽を背に、二人だけのシーンは迫力があり、息詰まる瞬間である。
画像左 福山康平(トロイ王子) 右 江口のりこ(カッサンドル)
終幕には、トロイ王子の福山康平とギリシャ王妃(一路真輝)のラブシーンが印象に残る。
戦争の門がゆっくり開いて、エレーヌがトロイリュスとキスするのが露に……。妖しくも美しい精妙な「なぞ」で私たちを魅惑したのである。
それは、あたかも歌舞伎の遠見を思わせた。
劇詩人ジロドゥの鮮やかな≪舞台幻想≫というべきだろう。
エピローグで、エクトールの妹で予言者の江口のりこが、さめた口調で語る……。
「トロイの詩人は死んだ……これからはギリシャの詩人が語る」
じつに苦い感動にあふれた終幕だった。
(2017・10・19 初台・新国立劇場で所見)