歌舞伎界では巡業を含めて、各地で「夏の勉強会」たけなわである。
ことしの「上方歌舞伎会」は例年より1週間早く、『封印切』 『新口村』 所作事の3本立。
たぶん出演者の配分を考えてか『封印切』では忠兵衛に名題の仁三郎、梅川にりき彌。これが『新口村』になると忠兵衛に千志郎、梅川に純弥となる。
新口村
亀治郎じゃなかった新猿之助のパクリではないが、このどクソお暑いなか、雪の芝居『新口村』の演目にはうんざりしたが、これが本公演中でいちばんの出来栄え。
浄瑠璃のオキがあって、浅黄幕がとぶと、いつもの藁屋根百姓家の横面道具がなく、一面の雪の大和路である。
糸立てをかむった忠兵衛と梅川の絵面になる。清元の『道行旅路の花聟』の幕開きを思わせる。
千志郎の忠兵衛は、芝居がいささか浮いてはいるが、この若さ、この上方らしい柔らかさ。精一杯の力演である。
彼は兵庫県生野高校の出身。余談ですが私も高校の頃、卓球の試合で生野高校に行った事がある。
彼はこの10年ですばらしく成長した。これからが楽しみである。
純弥の梅川は、最近実力をつけてきたが、前回の『野崎村』のお光より格段いい。こなしに工夫がある。
欲をいえば、<めんない千鳥>の件(くだり)で、手ぬぐいを外してから後がぞんざいなのが気になる。
『新口村』の梅川は忠兵衛の父親孫右衛門への申し訳ないという気持ちが、梅川の”性根”ではないだろうか。
遊女の色気や甘えがもう少し出ればと惜しまれる。
父親孫右衛門には佑次郎。
まだお若いのに、フケは気の毒だが、メンバーではこの人しかいないのが現状。
芝居が平板になったことは是非もないが、精一杯やっていた。その真摯な演技に拍手。
千壽郎の忠三郎女房が傑作である。
まず出てきたとき、カオのつくりが『女殺油地獄』の秀太郎丈の”おさわ”にそっくりなのにおどろいた。
もう少しチャリめいた”おかしみ”があってもよいが、嫌味がなく及第点である。
最後に一つ。
最近は子役による忠兵衛、梅川の遠見をはぶくが、追手を逃れて行く忠兵衛・梅川両人があたかも子役の遠見のような、死しかない道行を絵面で見せた演出は秀逸で、感動的であった。
封印切
前後するが、その前の『封印切』は全体的にバランス に欠いている。
その中で當史弥の”おえん”が一頭地を抜いている。
ことに塀外で「はじめて逢ったその時は・・」といいかけて、世話にくだけて「オオ てれくさ」あたりも、上方の味が出て絶品である。
りき彌の梅川。この作品ではいちばんのニンだが、全体的に影がうすい。
対する仁三郎の忠兵衛。花道の出で「梶原源太はおれかしらん」の軽さがなく、芝居が浮いてしまっている。
八右衛門は松次郎。十分突っ込んで忠兵衛に対抗しているが、ねばっこい上方の味にまでいたらなかった。
それに花道の出がよくない。もっといやらしく走って出るべきだろう。
実力のある人だけに惜しい。
● 秀太郎さんの本『上方のをんな』にサインしてもらいました!!
昨年末に上梓された片岡 秀太郎さんの『上方のをんな』。
幕間に秀太郎さんにサインをもらって来ました。
私はもともと役者さんの「芸談」を読むのが好きなんです。
でも最近は”タレント本”的なものばかりで、ことに上方歌舞伎の芸談などはほとんどありませんでした。
『上方のをんな』の出版はまさに快挙といえましょう。
この本がいい理由は三つあります。
まずゴーストライターの坂東亜矢子さんの文章が簡潔で、とても読みやすいことです。
次に秀太郎さんの「語り」が、上方の役者さんらしく”はんなり”しています。
三番目に、父仁左衛門からの舞台写真は勿論ですが、道頓堀にあった昔の文楽座などの貴重な写真がふんだんに併載されています。
戦後の上方歌舞伎不振のころのエピソードが興味深い。
父・仁左衛門と私(←秀太郎)は公演のチケット売りに奔走したこと。
故・松下幸之助さんの別荘まで押しかけ、松下幸之助さんが公演を一日貸切にしてくれたこと、そればかりかシャープの早川社長に電話して200枚の切符を強引に買ってもらったことなど、芝居ばなしばかりでなく、数々の思い出話も尽きないのです。
以上「上方歌舞伎会」番外編でした。