「うな重」のお重を開けたときに匂う、あのいい香り。
艶やかなかば焼きの色……。
うなぎ、大好き人間である。
今年の「土用の丑」は、7月20日(金)だが、それまで待てそうにない。
思い立ったら吉日。
近隣の姫路のうなぎ屋「魚冶」へ誰も誘わずにひとりで行く。
「魚冶」の創業は50年余りらしいが、姫路のデパートの地下売場の一区画に出店を構えてから、5~6年にもなるだろうか。
「魚冶」は、関西では珍しく江戸前のうなぎを食べさせてくれる。
浜名湖育ちの活うなぎを直送して、水槽に1週間ほど生かし、うなぎ独特の臭みを取り除くのである。
身を引き締めてから、背開きで調理し、まず蒸してから特製のタレをくぐらせ、備長炭で丁寧に焼いていく。
(この「焼き」が”火鉢一生”といわれるくらい難しい。)
つまり蒸すことによって、ふっくらとろける食感、皮までお箸で切れる軟らかさ。
これが江戸前の流儀なのだ。
関西では、本格的な江戸前のうなぎを食べさせる店は数少ない。おしなべて、うなぎをコゲ焦げに焼くのである。これは岐阜県などが
そうである。
かなり前のはなしだが、郡上踊りで有名な郡上八幡の料理旅館「吉田屋」に泊ったことがある。吉田屋の元は、地元では有名なうなぎ専
問の料理屋だった。夕食には、案の定うなぎのかば焼きが膳に貌をみせた。こげ焦げの蒲焼である。
お目当ては鮎だったせいもあるが、だれも蒲焼には箸をつけなかった。
「魚冶」のメニューには、うなぎの蒲焼、うな重(梅)3,500円、(竹)2、400円。
ほかに、うなぎ丼、うざく、う巻き、白焼き、きも焼きなど。持ち帰りもできる。
ちなみに、その日わたしが注文したのは、うな重の(梅)≪上掲の画像≫、これにきも吸と香の物が付く。
さらに、つけ加えれば、脂もほど良く、やわらかく、すっきりした本来の江戸前とは言い難い。とはいえ自宅から電車で15分程度で行け
るお店ができたことはありがたい。
あの小津安二郎監督もうなぎが大好物だった
小津監督は、気に入った食について記した手帖、通称「小津のグルメ手帖」なるものをつけていた。
革表紙の手帖で、中には、うなぎ、天ぷら、とんかつ、とり鍋など、小津が大好きだった食と店名、さらには地図入りで
場所が記されている。手作りの味がある。しかも、これが小津映画の食シーンの原点ともいえる。
小津のグルメ手帖の一部
(わたしがよく行く小網町のうなぎ「喜代川」は2番目に載っている)
小津監督のうなぎ好きは有名だが、このグルメ手帖に出てくるだけでも32軒もあったそうだ。
しかも、いちばんよく訪れたのが、麻布飯倉の『野田岩』本店。
今日では考えられないが、小津監督は天然うなぎにこだわったという。
当時の「野田岩」は、天然うなぎにこだわり非漁期には、店を休んだ江戸前うなぎの名店だった。
しかも、うなぎ蒲焼は時価。ゼイタクな時代であった。
小津監督の舌もとことん磨きがかかった筈だ。
しかし、昭和36年あたりから天然うなぎが獲れなくなった。現在では、養殖物すら厳しい状況にある。
小津監督が活躍したころは、昭和は輝いていた、良き時代であった。