帝政末期のロシアを舞台に没落貴族の悲喜劇、つまりは時代に取り残された貴族階級への挽歌だといえよう。
今回は格調高い神西 清の翻訳で、感情の機敏を綿密に描かれたこの戯曲を鵜山 仁が演出。島 次郎の美術、沢田 裕二の照明
など巨匠スタッフが顔を揃えた。
小劇場の効用、そして花道 が…
小劇場のよさは、細かな表情までよく見えることだが、ことにチエホフ劇のような微妙な表情の変化が重要な場合は有効である。
今回の「桜の園」は、ラネーフスカヤ一座の旅興業に見立てて、小劇場という空間を見事にうまくつかった好例ではないだろうか。
さらに感心したのは、客席のど真ん中を貫く通路をこさえた。時にはそれがエプロンステージに、時には花道になり、俳優は通路を通
って、舞台へ登場し、退場するので、その都度俳優の表情がアップで見られる。
さらにえば、劇場の空間と、『桜の園』という虚構の空間とが交錯する空気感をうまく出していて、みごとであった。
『桜の園』は喜劇か悲劇なのか
チエホフの『桜の園』がなぜこれほどまでに人気があるのだろうか。
滅びるものの”あわれ”を女性が一身に背負い、時代の移ろいを映し出したこの作品が日本人の感性にドンピシャなのではな
いだろうか。
それと、いつも『桜の園”で問題にされるのが、喜劇なのか、それとも悲劇なのかということだ。
演出の鵜山仁さんは「ぼくは意識してません。登場人物がみんな、得手勝手に別のことを考えているけど、同じ時間を生きて
いるなんて状態は,自ずから喜劇的、せつなくもあり、面白いことだと思いますよ」と。
田中裕子の名演が光る
ラネーフスカヤ夫人の田中裕子はまさに適役。
ことに終幕、桜の園が落札された話を、舞台の中央で後ろ姿で立ち尽くし、怒りや哀しみなどない交ぜになった感情を背で表現したの
は圧巻であった。
難をいえば、浮浪人や食堂のボーイにまで多額のチップをやる。借金で苦しいはずなのに、散財して悔いることがない一面があまり見
えてこないのが欠点といえる。
はじめは訥々とした態度のロバーヒン(柄本 佑)だが、しだいに下卑ていく。農奴の家に生まれながら、金の力でのし上がってきた思い
をぶちまけるあたりから、テンションが最高潮になる。つまりいろんなグラデーションがあって見ていて面白い。計算された演技術でない
のがこの人の持ち味なのだ。余談だがNHKの朝ドラ「あさが来た」にも出演しており、柄本佑の出番の日は見るようにしている。
万年大学生の木村 了。思ってた以上にしっかりしていたのはオドロキとしか言いようがない。とはいうもののこの一座にハミダシてはい
なかった。
特筆すべきは、家庭教師の宮本裕子。道化役として抜群。チエホフ劇の濃淡を際立たせた。
ハイレベルの芝居を一人でも多く見てほしい
今回の出演者のみんなが、これは”チエホフ”だからとか、世界一の名作だからと構えることなく、捉えるべく瞬間瞬間を,衒うことなく
具現化していった。その一つひとつが万華鏡のように広がっていく。それがチエホフの世界なのかもしれない。
これだけハイレベルのお芝居を僅か半月足らずで終わってしまうのは残念である。
チケットは完売。キャンセル待ちをしている長蛇の列をわたしは目にした。
追加公演をして、ひとりでも多くの方に見ていただきたいと思うのは私だけでしょうか。
(2015 11 19 東京初台新国立劇場で所見)