Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

浪花の夏の大歌舞伎   ― 松竹座 昼の部・夜の部 ―

2012-07-27 | 歌舞伎

大阪・松竹座を見てきました。
それも昼・夜の部通しで、さすが見る側も疲れました。
このたびの昼・夜の部は、出し物といい、役者さんの顔ぶれといい、芝居好きにはたまらない大芝居。
どれもがいわゆる「濃~い芝居」で、これぞ大歌舞伎という、最近ではついぞ見られない面白さである。

それにくらべれば、恒例の12月南座での「京の顔見世」だって、これだけの役者が揃ったことはない。
いつも上方勢が大半で、東京から実力派の名題が3人ほど加わる程度である。
それでいて、チケット代がべらぼうに高い。

今回は襲名公演であるにせよ吉右衛門、新又五郎、梅玉、魁春、染五郎、東蔵、芝雀、歌六、上方から仁左衛門、我当、孝太郎が加わっている。
さらに、新歌昇、種之助、米吉、隼人ら次世代の歌舞伎を担う、平成生まれの若手が大役に挑んでいるから芝居が新鮮に見えてくる。

われわれは歌舞伎を何故見にいくのか?
ストーリーの面白さではないだろう。役者さんの芸を見に行くのだ。
芸に深みのない芝居だと、見る側の心を打たない。
深みがなければ「お芝居」を堪能することが出来ないのである。
先に「濃~い芝居」だと云ったのはここにある。

前置きが長~くなった。以下順を追って感想を書きとめておきたい。
     

      ● 「引窓」
                   


 義太夫狂言『引窓』はいまそつさらながら名作だと思う。
登場人物四人の人間関係、人情の機敏が実によく描かれているからである。ことに、どの人物も互いに何かを隠しているところにこそ、この狂言の主題があり、義太夫のノリで役者の仕どころが豊富にある。

梅玉の与兵衛は、時代にこってりでなく、サラサラと淡彩に芝居を運ぶ。
すべてが、行き方が控え目で、ソツなくリアルにやる。
それでいて芝居のリアリティに手応えがあるのも事実である。

「狐川を左に取り」から「あの長五郎はいずれにある」・・・ここだけはこの人らしい名調子を聞かせてくれるのだが、幕切れでも,ピシャンと戸を閉めても
きまったりしない。それでいて形はきちんとしている。思わず胸が熱くなる一幕であった。
これも梅玉らしいうまさである。

東蔵の母お幸がいい。
わが子濡髪をいとおしむ具合、与兵衛への義理、嫁お早へのあしらい、すべてが申し分がない。
ただすべてが仮名手本六段目のおかやとたいして違いがないのは、この人の芸質なのだろうか。

我当の濡髪もしっとりと味わい深く、心持ちが手に取るようにわかるうまさである。
「未来の十次兵衛どのへ、すみますまいがな」の突っ込みも十分。
ただこのところ足がご不自由。歩き方が気の毒なくらいたどたどしいが、それでもめいっぱい動いて感動的でもあった。

孝太郎のお早は八回目らしいが、少々演技過剰が目立った。
今回は「はいどうどう」などカットしてるのに、花街上がりらしい色香すら見えてこない。
芝居が段取りだけになってしまってるのが惜しい。

松江の三原伝造と進之介の平岡丹平の二人侍はそれなりにやっているが、どこか物足りない。
どちらも兄弟が濡髪に殺されているのである。
もっと突っ込むのかと思いのほか、意外に淡白。人相書を持ってきただけの役に終わっている。
少なくとも一人は適役にしたほうが芝居の伽がはっきりすると思ったりした。

 

                   ●  棒しばり 


大阪・松竹座でははじめてという『棒しばり』は、新又五郎の襲名披露演目。

次郎冠者(新又五郎)と太郎冠者(染五郎)が縛られたまま巧みに酒を飲み交わし、さらには不自由な状態で存分に踊るという歌舞伎舞踊の傑作の
一つ。
共に踊りの名手と謳われたふたりが、テンポといい、リズムといい、足と躰の芯を使って踊る難しい踊りだが、二人のイキがピタリとあっていたのはさすが。
明快で、賑やかなフンイキが、観客にいちばん受けていた。
それでいて松羽目物の品格をきっちり見せていた。

今月の昼夜通しでいちばんの出来である。
長唄の立三味線は栄津三郎、後見は種之助。温かくて、ほほえましい一幕であった。


            ● 「荒川の佐吉」


「荒川の佐吉」を見るのは今年になってからでも二度目。
前回の佐吉は染五郎(←詳しくはコチラ。今度は佐吉を当たり芸にしている仁左衛門だが、やはり格別にうまい。
つまり一人の三下奴が一人前の男として人間として成長していく過程を適確にとらえていることである。

たとえば大詰で、相政(吉右衛門)と丸総のお新(芝雀)を前にして述懐する場面での語り芸のうまさ。
大芝居をするでなく、淡々と出来事を語って、しかも憎悪だの、口淋しさ、愛情がうずまいているのに、しっとりと語るところなどは名人芸である。
その一つひとつが手にとるようにわかるし、また感動させられるところである。

対する吉右衛門の相政は、じっと聞き入るのみ。
時には目を閉じ、腕組みをして聞いているが、そこに「聞く芝居」をしているのである。
しかも貫禄十分。
こんどは佐吉を説得する件になると、言葉の一つひとつに重みがある。
それは言葉だけでなく、人を説得するというハラがあるからであろう。

梅玉の成川、歌六の鍾馗の仁兵衛、その娘のお八重に孝太郎。いずれも手堅い。
大工の辰五郎には新又五郎。歌昇時代からの持ち役。
「荒川の佐吉」は子別れのお涙頂戴劇ではないが、この人のうまさで観客は思わず嗚咽してしまうのである。

 

            ●     渡海屋 大物浦       


夜の部の最初が『渡海屋 大物浦』。
この大時代な「義太夫狂言」は、"チンプンカンプンわからない芝居”になるか、”意外にわかり易い芝居”になるかは、それを演じる役者の技量によることが思い知らされる狂言でもある。

まず最初の傘をさしての吉右衛門の銀平の出は、颯爽と、その大きさに驚いたが、いかんせんその後の芝居がぞんざいになる。
この銀平が大物浦では、知盛に一変してからが俄然よくなる。
血染めの装束、水入りの鬘。
なにもしないでも「この世から悪霊の相」に見えるところだが、いかんせん形容だけで、期待にたがわぬ出来であるのは惜しい。
いつものような湧き上がる力、意気込みが足りず見劣りがする。

入江丹蔵には新歌昇。大阪松竹座では初御目見得らしい。
前半と後半では柄が全く変わる役で、ことに後半はご注進という難役。
父の又五郎も歌昇時代に何度も演じてきた役でもある。
ことに見せ場である殺陣も、そして自害のところも段取りだけになってしまった。
まだ23歳。これからの人である。大いに奮起してほしい歌昇くん!!

弁慶の歌六が不出来。義経に梅玉錦之助の相模五郎。

 

                      ● 「吉野山」 


口上を挟んで清元の舞踊劇『吉野山』。
芝雀の静御前、新又五郎の忠信である。

芝雀の静御前は父雀右衛門バリの古風でたっぷりとゆたかな大きさ。
踊りもうまく忠信とのイキもぴったり。

新又五郎の踊りも味が出てきた。
誠にそれよ越方をからは、義太夫が入って「物語」になる。
異なった人物を踊りで表現して、その変わり身があざやか。

襲名狂言とあって早見藤太が仁左衛門。ご馳走役である。
今回の出演者を折り込んだ”役者づくし”と、長~い所作立。

ですから肝心の道行が、この三枚目のために希薄になった。
仁左衛門のうまさが、舞台をさらっていった感じである。

          
                         ● 「河内山」



新歌昇の松江出雲守
 


切狂言は染五郎の『河内山』。松江出雲守には新歌昇である。

本役の梅玉がいるのに、この大役を新歌昇に回したのも、襲名のご祝儀の采配だろう。
てっとり早くいって、この役をやるのは10年早く、新歌昇にはいささか荷が重すぎる。

少なくても梅玉の松江候は、出てきただけで、その癇癪、そのわがままさ、その品位、さすがに十八万石のお大名であった。

しかし新歌昇はいささか生硬すぎる。おそらくこの役には手も足も出なかったのではないだろうか。

余談になるが、そもそもモデルになった松江候は遊蕩に耽ったり、女性にはだらしのないことで有名。
強制的に隠居させられた人物である。

お芝居でも腰元の浪路を妾にしようとするが、宮崎数馬という許嫁がいると断られると逆上して、押し込める。
その浪路には米吉。あまりにも”おぼこ娘”すぎる。これでは殿様が手をつけるような腰元には見えない。

対する許嫁の近習頭の宮崎数馬に隼人。こちらはそれらしく将来が楽しみな成長株である。

最後に一つ。
私は子供のころから『河内山』の芝居は知らなかったが、「とんだところで北村大膳のせりふと「バカめ」はよく覚えていた。
しかも幕切れの「バカめ」のせりふは松江候に云うのだとばかり思っていた。
ところがこれは北村大膳に云うせりふらしい。それが松江候にもかかるという具合だとか、最近になって知ったのである。

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本日の一品 アスパラガスの豚肉巻梅肉マヨソース

2012-07-21 | 本日の○○




今日の晩ごはんは何ですか?

カレーライスも、だし巻きも、冷奴も、冷製パスタ―も、ソーメンも

すべて飽きちゃった

そこで

簡単にできて、栄養価の高い一品を紹介しま~す。

まずさっぱりしたソース作りからはじめましょう。

ボウルに梅肉とマヨネーズと味醂、薄口醤油少々を混ぜよく撹拌してください。

新鮮なアスパラ3本程度、熱湯で数秒茹でておき、根っこの部分を切り落とします。

10センチほどに切ったアスパラに、しゃぶしゃぶ用の豚肉をまきあげます。

フライパンに胡麻油をおとし、中火で炒めると出来上がりです。

白ワインのアテにも、もってこいのメニューだと思いますよ

 

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芦屋「ツマガリ」の梅薫子パイ

2012-07-17 | 本日の○○

     

     兵庫県は芦屋、詳しくは本山(もとやま) にある洋菓子店
         「ツマガリ(津曲)」をご存知でしょうか。
         全国的にも有名なお店です。

    このお店が夏季限定で販売してる「梅薫子パイ」がとても美味しくて毎年
         買っています。
    和歌山産の南高梅の実を一つひとつパイ生地に包むことにより、梅の
         爽やかな香りを封じ込め、パイ生地のボリュムが増して抜群のバランス。

    左の画像でおわかりと思いますが、種付の梅がまるごと入っています。
    パイ生地は、ツマガリさん特製の風味のよい発酵バターを使って手づくり
    しているとか。

    

 

 われわれは簡単に「梅パイ」か!といいますが、パイと南高梅のバランスを求めて、商品化
 されるまで相当な苦労があったようです。
     
 断面の画像をもう一度ご覧ください。梅のすぐ外枠,まぐろでいえば中オチの部分です。
 パイ生地ではクレームダマンドとよばれてますが、アーモンドを封じ込めるため、ここだけは
 しっとり生地になっています。梅のすぐ下にアーモンドが覗いてますよね。

    

 やわらかなアーモンドと梅の実が合わさる高貴な味に、甘酸っぱい夏の香りが口の中で広がります。
 珈琲よりも紅茶のほうがよく合います。

 今夏は”冷やし系”の商品が出まわってますが、冷房のよく効いた部屋で、温かい紅茶に「ツマガリ」の梅薫子パイはいかがですか
 わたしなんか一度に3個たべちゃいます。マジです!!

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関東風ぶっかけ冷やしうどん

2012-07-14 | 本日の○○

 

毎日の暑いのはまだしも、梅雨どきのじめじめ感だけはやりきれませんね
いつになれば梅雨明けになるのでしょうか

なにかスカッとしたものはないのでしょうか?
そこで考えついたのが、関東風のぶっかけおろしうどん
冷蔵庫の残り物だけで、わずか10分程度でつくれます。

じつは一昨年でしたか、東京・京王線の明大前のとある「うどん屋」さんでたべたぶっかけの美味しかったこと!!
あえて関東風と名乗ったのにはワケがあります。
「ぶっかけうどん」で上方と東京で違っているのは2点あります。
まず海苔です。関西では通常きざみのりをつかいますが、東京は大判の焼のりを手でぶっちぎります。
そう。東京のは豪快です!!

つぎに盛り合わせにつかう花かつおです。
なんでも鰹節専門の卸店が飯田橋近くに昔から軒をつらねているそうです。

かけざるとではめんつゆがちがいます。そばうどんでもめんつゆが異なります。
そのめんつゆの素になるのが鰹節なんです。

     【主な材料 2人前】
     
     ゆでうどん2玉 大根 トマト半個 貝割れ ちりめんじゃこ 花カツオ  焼き海苔 卵黄 わさび少々

     【 作り方 】

     大根は皮をむいておろし、軽く水をきります。トマトはヘタを除き小さめの角切りに、貝割れ菜は根を切り落とします。
     ちりめんじゃこは軽く炒ります。

     鍋に熱湯を沸かし、ゆでうどんを入れて温め、ザルにあげてから、冷水でもみ洗いし水気をきります。
     器にうどんを盛り、具を盛り合わせ、めんつゆをかければ出来上がりです。

     ごめんなさい!!  トマトを盛りつけるのを忘れて写真撮っちゃいました!!  不覚

 

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宇崎竜童の音楽で『男の花道』    ―大阪・新歌舞伎座―

2012-07-06 | 演劇

 
   
   
   

   『男の花道』を初めて見たのは、昭和44年、大阪のコマ劇場だった。
   当代藤十郎、そのころは扇雀の加賀屋歌右衛門、島田正吾の土生玄碩でした。

   そもそも『男の花道』は戦時中、マキノ雅弘監督によって、長谷川一夫の歌右衛門、古川ロッパの玄碩
   で映画化され大ヒットしたそうである。ちなみに原作は『名医と名優』という講談だったという。

   以来藤十郎が舞台で度々手がけ、今では歌舞伎の演目のひとつにもなっている。
   最近では、藤十郎の加賀屋歌右衛門、我当の土生玄碩、料亭の女将には秀太郎で大阪松竹座でみた。
   ついでにいわせてもらうなら、宴席に花をそえたのはりき彌、千壽郎らの上方塾出身の芸者たちである

   今回は”歌舞伎”ではなく”現在劇”として、加賀屋歌右衛門に歌舞伎の福助、玄碩に前進座の梅雀の顔
   ぶれ。それにマキノ雅彦(←津川雅彦)の演出、宇崎竜童の音楽というユニットで、この7月1日に
   大阪・新歌舞伎座で初日をあけた。   


たしかに盛り付けは、いかにも美味しそうである。
だが食べてみると、ちっとも美味しくなかった。「チケット代金を返してよ!!」といいたいくらいの不出来な仕上がりである。

その原因は何だろう。
今回の『男の花道』は、歌舞伎ではない、現代劇でもない、さりとて商業演劇でもない。
加えて映像畑の津川雅彦の演出。どちらかというと”舞台的”でなく、映像センスで押し切ろうとする。いわばそれがスタートラインだった。

照明にしろ、音楽にしろ、そのジレンマの中で仕上げた不完全燃焼の作品になってしまっている。
初日3日目の所見で、とやかくいうのは酷かもしれないが、これでは松井 誠なる大衆演劇役者が演ずる『男の花道』のほうがよっぽど面白い。
何故ならむずかしい理屈はなく、かれらは大衆を楽しませることだけに徹しているからである。 

 

             


ストーリーは略すが、主人公の加賀屋歌右衛門(←中村福助・画像/左)が実はひそかに失明の危機を抱えているが、それを隠しながら舞台に出ているのだが、それが見えてこない。これがこのドラマの発端である。お「金谷

蘭方医の土生玄碩(←中村梅雀・画像/右)は、その症状を客席で見破る。
たまたま、一座が東下りの途上の「金谷宿」で再会。玄碩は眼の手術を敢行。歌右衛門は役者生命の危機を救われる。『仮名手本
序幕の「金谷宿」では、屏風だけの簡素なセット。ここで手術を決心させ、いとも簡単に眼が治るというあまりのご都合主義でお粗末である。

『男の花道』の主人公加賀屋歌右衛門は、なまなかな役者が手に負える役ではない。
加賀屋歌右衛門とは三世中村歌右衛門をモデルにしているという。初代は上方歌舞伎の重鎮であり、三世は江戸でも人気を博し、類稀な名優だったそうだ。
今回の福助はその子孫のひとりである。

その福助には立女形としての品位がなく、火の玉のように己を燃やす歌右衛門の情熱は台詞ばかりで、体から発散してくるものが一向に伝わらなかった。
この芝居の名場面といえば、劇中劇の『櫓のお七』である。そのお七の人形ぶりは、ひとつの見せ場にもなっているが、これが又お粗末。
衣の人形遣いはまるで素人並み。福助丈の部屋子である福太郎、福緒の両君。文楽を一度見に行けよ!!

梅雀は天真爛漫な玄碩を持ち前のチャーミングさで憎めないキャラクターをうまく発揮していた。
いささかの渋さがほしいが、この人に期待するのは無理だろう。それでいて蘭方医に見えるから大したものだ。

松也の中村勘三郎が意外に拾い物。
まだ年齢が若いという欠点はあるが、声柄といい、座元という大きさもある。音羽屋大健闘

徳松の春庵がさすがベテランの味。
梅雀の玄碩が切腹するという場面で、徳松の騒ぎかたが愉快である。しかも仮名手本忠臣蔵の四段目まがいで面白かった。

最後に深川の料亭女将の一色菜子。女将というより仲居か小間使いにしか見えないのは困る。
歌舞伎でいえば”花車方”という重要な役割 。中村座に出ている歌右衛門を呼び寄せるために玄碩がしたためた大切な手紙。
その手紙を託されるというこのドラマのポイント役でもある。
片岡秀太郎を出せとはいわないが、もっと適当な役者がいなかったのか。
昨今の若い女優さんでは荷が重すぎるとおもうのだが・・・・・・。

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