Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

勘太郎の奮闘『磯異人館』   -博多座3月歌舞伎公演ー

2011-03-31 | 演劇

                   


昼の部の第1は『磯異人館』。
20年前に現勘三郎 が初演した幕末物である。
平成20年にこんどは勘太郎で再演され、今回の公演で3度目となる。

幕末の薩摩藩を舞台に描いたこの作品は、維新という暁を目前にしながらまだ夜空が暗いなかを、その暁を予感しながら死んでゆく若い主人公と、彼の弟や恋人が、藩の都合によって翻弄される若者の姿を描いた清新な舞台であった。

とはいうものの作劇の手法が常套的で、生麦事件の犯人として切腹した岡野新之助の遺児精之介(勘太郎)と周三郎(松也)の兄弟の悲恋と運命を描いた異色作だが、人間関係がいずれも類型的で面白くない。

「西郷隆盛のような明治の元勲たちの偉業を支えた名もない人々を描きたい」
という作者の思いがあるようだ。
だが維新史の一コマを新歌舞伎の一演目にするのは、そう簡単なことではない。
観客の歴史への感覚や関心が、作者が期待しているほど一様ではないからだ。
そこをいかに突き破るかが、作品の成否の分かれ目になるのではないだろうか。  

 

                                        

 
精之介(勘太郎)というこの劇の主人公は、生麦事件で英国人を斬った罪を負って切腹した父をもつ。
彼の仕える薩摩藩はこの事件を契機として、近代化に転じ、彼はその象徴ともいえる集成館のガラス工房での薩摩切子の生産に、生きる道を見出そうとしている。
作者はそんな歴史の狭間に落ちた父と子の在り方に作意を得たのではなかろうか。

勘太郎は、そうした主人公の内面の屈折を的確にとらえ、演じきっている。
優柔とも見えるほどの穏和に振る舞うことの陰にあるものを、観る者に感得させるのである。
さらにどことなく寂しさのある清潔感がとてもいい。

対する七之助の瑠璃は、健闘しているものの冷たく見えるのは、精之介への気持ちが足りないためである。
世話物や時代物の通常の歌舞伎とちがって、新歌舞伎では比較的にリアルさが要求される。
ただ柄が役に合っているから適役というだけでない。
演技による肉付けがもっとほしい。  

 

                                                

 
精之介の弟周三郎は松也(←画像/左)である。
兄とは対照的に血気盛んな若者を演じて、前半は上々だったのが、上司を斬り殺して脱藩になる後半から怪しくなる。
役目を忠実に果たしながら、非業の最期を遂げた亡き父と我が身を重ね合わせるところなど、その無念さが伝わってこない。
役の掘り下げが、充分でなく、甘いのである。
それに途中大阪へ逃げたり、また薩摩に戻ってきたり。ご都合主義が目立つ。

そんな周三郎に想いを寄せる加代に新悟(←画像/右)。
しょせん刺身のツマ的存在。気の毒だが彩だけのお役。
花道の出で、『十六夜清心』の恋塚求女かと思わせる演技。
清純さにも乏しく、色気がなさすぎる。

 

 

                     

 

切狂言は『俊寛』。
俊寛役の勘三郎の代役は橋之助である。
正直言って『俊寛』という義太夫狂言に橋之助は不向きだと思っていた。
ところが意外に出来がいい。年譜を見ると、平成14年に国立、同15年に御園座、今回で3度目の”俊寛”である。

どうしたことか、最近は心理主義といおうか新劇のような『俊寛』が多い。
その主役がイトに乗ろうが乗らないでなく、竹本にのって大芝居をしてくれなければこの作品は面白くない。
橋之助の『俊寛』はまさしく理屈抜きに愉しめた。
つまりは形容本位、芸本位の『俊寛』を見せてくれた。

ことに幕切れは、少々クドさはあるが、「オーイ、オーイ」とただ叫ぶだけでなく、抑制された段階がついていて、キッチリしているのに感心した。

他に橋之助の佐藤忠信、扇雀の静御前で清元『吉野山』が中狂言にある

                                   (2011年3月25日 博多座昼の部所見) 

 

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ふたたび うなぎの『吉塚』に行ってきました!!

2011-03-29 | グルメ


 

昨年2月に引き続いて、二度目のうなぎの『吉塚』に行ってきました。詳しくはこちら

「博多に行けば、うなぎの『吉塚』に行ってらっしゃい!!」

口を開けば、友人、知人に吹聴しております。

『吉塚』のうなぎをいちどでも口にした人はかならず云います。

「ほかのお店のうなぎはたべられない」と。

この旨さはなんと表現したらよいか。

言葉に表しても拙い表現力では及びません。

うなぎの『吉塚』が人気メニューを調査したところ、№1は「きも焼き」。
次いで、子供に人気の「うまき」、3位は「うだく」だったらしい。

お酒では、1位が「西の関 天狗舞」だったとか。
ちなみに日本酒は秋田杉の徳利とおちょこが供されます。 
 

 

    

 

いつもの朱塗りの器に特上うな重(¥2650)。それに肝吸いと香の物が付く。
待ち時間は約20分。その間ビールで咽を潤すには丁度よい間合いでした。 

もちろんタレがかかってなく、画像のようにタレは別皿に入って出てきます。
小倉に住む友人の話だと、このようにご飯とタレが別になっているのは、九州では珍しいことでないと云う。
まさに九州スタイルというべきか。

何といっても、蒲焼のふっくらした焼き上がり。鰻の味を最上限に引き出しています。
それにタレは甘すぎず、それでいて濃い目のタレはまさに絶品といえましょう。

 

                 


二度目に訪れたときは夕食にはまだはやく、店内は閑散としていて、窓際の席に案内してくれました。

中州の中心部を流れる博多川。

川岸の柳並木を眺めりながらの食事はまた格別でした。

博多は中州に行かれた折には、『吉塚』に行かれましたら、私がかくかくブログで書いたことが決して「大げさ」でないことをご体験されると思います。

きっと・・・・・・。 

 


 博多名代「吉塚うなぎ屋」
福岡市博多区中洲2丁目8番27号
☎:092-271-0700
営業:11:00~21:00(O/S-20:30)
定休:毎週水曜
最寄:地下鉄中洲川端駅徒歩5分

 

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わたしの好きなティールーム ⑤  -ホテルオークラ福岡 「カメリア」-

2011-03-27 | 喫茶店めぐり

  

ティールームというよりホテルオークラ直営のカフェテラス。

大きな窓と高い吹き抜けのある開放的な空間です。

昼は窓からの自然光が降り注ぎ、夜は天井からの柔らかな光がやさしい。

ホテルにあるラウンジだけに、バイキング形式の朝食から、深夜まで香り高いコーヒーと食事が楽しめます。

画像は、モカコーヒーと抹茶ケーキ。

でもひとりっきりでゆっくり過ごせるスペースではない。

 
        

 

ホテルオークラ福岡は、博多座から徒歩で2分。

これは以前に、博多座に勤めていたNさんからきいた話ですが・・・・・

じつは博多座からホテルオークラまでヒミツの地下道があるんですって。

この地下道を利用したのは、博多座出演中だった大地真央さん市川海老蔵さんの二人だけとか。

朝6時半から営業している和食の『山里』、昼間の3時から飲める風格漂う上質なバー『バロン オークラバー』。

JR博多駅から地下鉄で3分。しかも歓楽街中州のど真ん中。

ぜひ一度は泊まってみたい!!

                                                                    

                                   

博多座のなかにも、ホテルオークラ直営の『コーヒーラウンジ』があります。

幕間のひととき、コーヒーを飲んだり、ときにスパークリングワインを飲んだり・・・・

基本的には禁煙ですが、おもむろにシガレットケースを出すとボーイが煙草盆をそっとテーブルに。

不思議な空間です(笑)。

野菜カレー、サンドイッチ、それに公演の演目にちなんだ博多座ケーキもあるんですよ。

観劇前、待ち合わせに最適のラウンジです。

 



      営業 時間:10:00~17:30   定休日:博多座休演日及び12月          

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博多座でも出演俳優が義援金協力を呼びかけ!!

2011-03-26 | 本日の○○

                                  

 

 

 博多座3月公演の劇場ロビーで出演者らが東日本大震災の義援金の協力を呼びかけました。

 昼の部『義経千本桜 吉野山』で静御前を勤めた中村扇雀さんが舞台衣裳のまま、笹野高史さんと共にロビーに立って観客に募金

  活動。

 扇雀さんは「皆様のお気持ちが被災された方々に届く事を祈っております」と語っています。

 勘太郎丈、七之助丈、橋之助丈は昼の部の切狂言『俊寛』の支度中です。

 なお本来ならば座頭の中村勘三郎丈は過労のため入院加療中のため、本公演は代役の皆様が頑張っておられました。

 ※博多座歌舞伎公演・昼の部の感想は、近いうちにエントリーさせていただきます。詳しくはこちら。 

 

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3月です!!  雛祭りです!!

2011-03-02 | わたしの歳時記

 

 

3月3日は「上巳(じょうし)」 つまり「桃の節句」です。
雛の節句」ともよばれています。

女の子が産まれてはじめてのの節句を「初節句」。
雛人形には、厄除けとなる「桃の花」、体の邪気を祓うための「白酒」。
よもぎの香気が、これも邪気を祓うといわれる「草もち」が供えられます。
最近はあまり見かけませんが、正確なことも知りませんが、大正のころには、自分のかたわれでなければ絶対に合わないことから、「蛤(はまぐり)」を、桃の花とともに雛段に供えるしきたりがあったようです。

それとよく見かけるのが雛あられ」(画像/右)。

白、赤、桃の3色はそれぞれ、雪の大地()、木々の芽生え()、生命()を表しており、この3色の”雛あられ”を食べることで自然のエネルギーを授かり、健やかに生長できるという意味がこめられているようです。




ところで、舞台に雛壇の飾ってあるお芝居は、思い出すかぎりでは、ことごとく悲劇なんですね。
(※ お芝居に興味のない方は、これからの記事はパスしてください) 

もともと和製ロミオとジュリエットといわれた歌舞伎『妹背山』の山の段
義太夫狂言でも王朝物の傑作で、客席を吉野川に見立て両花道を使った演出は有名です。

定高が手にとった内裏の女雛の首がコロリと落ちて、のちの娘雛菊の死の予兆となるのです。
もちろん妹山側の大宰の御殿には豪華な雛壇が飾ってありました。

「井伊大老」(北条秀司・作)では、雪がふるというふしぎな桃の節句の朝。
雛壇の前で、直弼とお静の方が白酒を酌み交わす場面があります。
それが、さりげなく、直弼夫婦の別れのさかづきになっているのです。


上巳の節句の雛壇にさざえと蛤を供えるしきたりがあったことは、すでに書きました。
これが、みごとに、泉 鏡花の『日本橋』の舞台につかわれました。


   


「雛の節句のあくる晩、春で、朧で、お縁日・・・・・」

序幕「一石橋の朧月」(画像/上)」で、有名な芸者お孝のせりふです。

葛木晋三という医学士が、延命地蔵の縁日である3月4日の夜、大学病院の宿舎に飾っていた雛壇から、さざえと蛤を持ち出して、橋のたもとから川へ流すのを、通りかかった巡査に怪しまれるという場面です。
芸者のお孝がやはり小皿にさざえと蛤を持って出て来て、やっと誤解をとく、というストーリーです。

私が新橋演舞場でみた『日本橋』は、晋三に片岡孝夫(←現片岡仁左衛門)、芸者お孝は玉三郎でした。

お芝居がはねて、劇場を出たとき、外は雪だった。春の雪です。
そのあくる日、『日本橋』で、同じくお孝を演じた花柳章太郎さんが永眠したのである。

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