雨の日曜日、朝はゆっくりと起き出してどこにも出かけずに家の中で過ごす。
先週土日は、実家に帰省していたので更新をさぼってしまった。 屋久島の海
普通なら屋久島なんぞに遊びに行かず連休に帰省するだろ、とつっこみを入れるところかもしれない。
5月3日に親父が体調不良を訴えて入院したが、その連絡を受けたのは旅に出発した後だった。
入院してしばらくはけっこうヤバイ状況だったらしいのに直ぐに連絡がなかったのである。それをとやかく言ってもしょうがない。
旅から帰って、家族と連絡をとりながら様子を見ていたが、結局、親父は帰省した土曜日に退院したのだった。
退院はしたものの肺機能の低下を主因として体力も全体的に衰えている。それにも増して、脳機能が急激に衰えているのが心配を増やしている。
本人はそれにあまり気付いていない。
入院中、家業である商売のことばかり気にして、ベッドの上でも病院内でもじっとしておらず、付き添いのお袋や弟、伯母らを相当に困らせたらしい。
そのことも本人はあまり覚えていない。
退院した日の晩は、車の運転も危なっかしいし、記憶力の低下は仕事にも支障をきたしていることなどを言って聞かせ、
本人のやる気にかかわらず事実上の「引退勧告」を納得させねばならなかった。
かれこれ50年前、始めたときには小さな商売だったのを夫婦二人、働きづめに働き、徐々に大きくしてきた親父の自負、
まだまだ、やる気・体力・記憶力などの健全さを信じて疑わない親父に引導を渡すのは正直つらかった。
仕事一筋でこれといった趣味や楽しみもなく、近所の年寄りが集まってやる遊びにも加わってこず、
完全に引退して何をしたらよいのか分からず、日々をどう過ごしてもらったらよいのか、考えもまとまらない。
ありがたいことに、祖母が残した田畑があるので、百姓仕事に専念するのが身体にも一番よいということで商売仕事からは身を引くことを納得してくれた。
翌日、実家から広島への帰路、いろいろな想いが去来する。
いつかはこういう時が来るだろうとは思っていたが、それまで考えていた想定は実際に来てみた現実とは違っている。
親が歳を重ねているのと同じだけ自分も歳を重ねて、いずれは親父のように衰えていくのだ。
そんなことを考えるのは早いとは思うものの「何をしてきたのか」ももちろん大事だけど、直載な言い方になるが「どう衰えていくのか」も大事なことだと思わされる。
自分でもどうにならない衰えの影響は当然あるが、今後の自分の過ごし方でどうにかできる部分もあるとすれば、ちょっとは気にしてみる必要もあると思ったりする。
もしかしたら、この土日にも帰省して何事か相談したり親父の面倒をみたりせにゃいかんかとも思ったけれど、幸いかな弟からのSOSはなかった。
それでも、当分は気がかりがとれそうもない。
辛気臭い記事になってしまいました。ご容赦のほどを。
ねこまる様:樹齢なん千年の大樹から岩にびっしりと張り付く小さな苔まで島全体で命を感じさせるところです。
何度行っても飽きのこない島です。
ちょい悪様:屋久杉工芸品は太古の息吹を現代人に伝え、感じさせる一品です。
生きている樹は切り出せないので倒木からしか作れません。
そのうち入手できなくなるかもしれませんね。