蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

葉月1

2013年08月04日 23時03分27秒 | Weblog

目まぐるしく変わる天候ではある。

生まれ育った街で職住空間を過ごしていると、当然に、記憶にある幼少の頃も思い出したりする。
通勤途上に、ここでこんな悪戯した、道草食って帰りが遅うなって叱られた、とか。
空き地に放置してあったスレート板を棒きれでバンバン叩き割って遊んでおった。
当時、アスベストなんぞ、まったく知らんかったし…今、考えたらぞーっとするかも。
ま、この歳まで発病もせずにおるんだし、仮に発病しても、ほぼ大丈夫だし・・・

両親が働いておったので、保育園に通っていた。
もっとも、保育園以外に幼稚園なるものがあるなんちゅうこたぁ知らんかったし。
5歳前後の頃のことなのに、よう思い出すもんだと感心するんだけど、
保育園時代、母親から、昼飯にと持たされたパンが味も素っけもない「食パン」だったことがある。
先生に「パンにつけるもんをちょうだい」と頼みに行ったところ、
「そんなもんはない」とあっさりと言われて、とっても悲しかった記憶がある。
その味も素っけもない「食パン」を食べた記憶は薄れている。
でも、弱虫泣き虫の自分のことだから、泣きながら食パンを食べたのだろうと思う。
某パン会社のCMで某有名女優が「う~ん、もっちり」と美味そうにかぶりつくのを見ても
食パンを美味しいとは思えないし感じないのは、当時の刷り込みなのかもしれない。
今、土日に買い物に行ったスーパーで、保育園当時に友達が食べておった
地元パン屋が作っているイチゴジャムサンドとピーナッツバターサンドの当時と変わらぬ袋を見ると、
ついつい手を出すことがある。
正直云うと、他をさておいて、とか、とびっきり美味いわけでもない。
それを買う心理状態を突き詰めるほどのことでない、子供の頃の哀しさの反動なのかもしれない。
な~んてなこともあったな~と思いだす昭和40年頃の話。

そうしたことは、誰だって山ほど記憶の中にあるだろう。
父にも母にもある幼少の頃のこと、長男である私が生まれ育ち、家族の将来に希望を持ち、
弟たちも生まれ、、子供たち3人がいろいろなことがありながら育っていった記憶も。

でも、ボクは両親に敢えてそういう昔の話をしない。
お袋が始める昔話、話題に乗ってきて欲しい素ぶりをビシビシ感じる。けど、乗らない。
「可愛いげのない息子」だと思う、親の楽しみにちょっとぐらい付き合ってやりゃええもんを、、
と自分の中の半分の自分がなじる。
でも、今とこれからを考えて欲しいから、敢えて乗らない。
これからというのは、もちろん、既に老後ではあるが、これからの老後のことである。

お互い、もうちょっとお互いの考えとることを腹を割って話すべき時にきとると思うのだけど、
素直になりきれない自分・・・がいる。

 

ちょい悪さま:そうですな~。
        自然の恵み、へんちくりんな天気、金麦の影響?
        いろんなことを考えながら、自分なりの最善を探して生きる、っちゅうことでしょうかね。

ねこまる様:それぞれの夏・・・なんとなく暑いなかに酸っぱいような響き
        誰に聞いても、ちょっと変だぞ、この天気、この豪雨は、とおっしゃる。
        ひょっとしたら、自然を人工的に変え過ぎてしまったツケではないのか、、
        と思うたり、もし、そうだっとしても、アベノミクスでも、どうにもならんかのぅ。

コメント (2)
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