初孫誕生に多くの方々から、いろいろと祝福していただいて嬉しい。
孫の養育に爺ぃじや婆ぁやは責任がないからな~、などとちまた言われている。
確かに、直接の責任は親が負うということで、一面を突いているとは思うが、
この子がこれから先、成長し、大人になっていくまでの健全な社会の有り様を作っていくという点では、
間接的になのか直接的になのか、その両方でなのか、いずれにしても責任を背負ったような気分を感じている。
そういう気持ちでいるなかで、フランスの出版社への襲撃テロ、それに関連して後続的な出来事のあれこれ、
一連の報道の中で、広く先進国に対するイスラムからの更なる脅威の危険が、もしや巡り巡って日本にも・・・?
などという可能性、危険性があるとすれば、単に杞憂では済まないかもしれない。
ただ、
出版社の襲撃からの報道を見ていて、ちょっち気になるのは、暴力は断じて許されないが、
「過激な風刺」を「表現の自由だ」というのは、本当にそうなのか、と思う。
「過激な風刺」はフランスやイギリスなど、「風刺は高尚で全うな文化であり、自由に表現されるべきだ」というのは、
一部の国や国民性が共有しているユーモアとか考え方に過ぎないものなんじゃないか、と思うのである。
そういう表現の有り様を共有している者の中でしか通用しないものだ、という感覚や配慮に欠けていたから、
こういう事態を招いたんじゃないの、と思ってしまう。
だからといって、武力や殺害は、許されないと思うが、
それすらも、「宗教教義に照らせば問題ないとする教義に従っただけだ」と言われたならば、
異種格闘技どころの勝負ではない。
9.11以降、そういう宗教観や政治観、考え方が根本的に違うのに、自分の感覚だけでしか相手を見ない、
という風潮がそれまでにも増して強まっているように、多くの人が感じていることではないか。
世界は、かくも訳がわからない状態で、日本もその一員で、しかもアメリカの属国のような立ち位置にいるとなれば、
立ち居振る舞い方によっては、アブナイかもしれないのである。
そういう観点で、
安倍さん、エジプトに行って、3000億円の援助申し出となったのか、と穿った見方にもなるのである。
とりあえずは「お金」だとしても、「お金」以外のものも必要なんじゃないかと思う。
といったよな観点で、ジジイとしての責任を全うせんにゃいけんのだと感じた次第。
ちょい悪さま:ありがとうございます。
大丈夫ですよ、倅様も、ご両親の背中をちゃんと見て育っておられるご様子ですし。
そのためにも、仕事、革との格闘、美しい景色や美味しい食べ物の写真などなど、
これからも元気に楽しまれることを祈念しております。
ちゃちゃじい様:ありがとうございます。
そういうめぐり合わせというか、なんというか、そういうことに相成りました。
顔、性格などなど、親やその親、またその親などのどこかを引いているのでしょうね。
toricoさま:ありがとうございます。
確かに長生きするものではあります。ま、正直、そのような感慨を持つほどの歳ではないですが。
これが、曽孫でもできれば、そういう感慨や実感もひとしおでしょうね。