このGW中のもうひとつの”いろいろ”は、妻の両親が高齢のため自宅での生活が困難となって、
高齢者用賃貸住宅に移ることになった対応であった。
GW前までは、世羅に花を見に行く日の前か後かに京都に行こうか、鳥取に帰省しようか、
などと考えていたのだが、直前になって、義父母が自宅で生活するのに様子が思わしくないということで、
世羅町に花を見に行った日以外、妻は実家に行って両親の身の回りの世話をしていたのである。
その間、小生は自宅にて単身生活となったが、そこは慣れたもので世話ぁなく、
家の周囲の草抜きに、去年収穫した玄そばを洗って天日干しして、製粉用の石臼を磨いたり、
畑作業などもせっせとこなし、掃除・洗濯・自炊と働いてたのである。
そして、この土日、自宅から賃貸施設へと身の回りの品々を運びこんで、一応の対応を終えた。
ただ、義父母のことは、いつかは…と思ってはいたが、こんなにも早くこうなるとは意外であった。
我が両親にもそうした心配はつきまとう。
思えば、小生の親父が祖母を施設に託した頃、年齢的には今の自分と同じくらいだったか。
どんな気持ちで施設に送り出して、自分の行く先を考えていたのたのだろうか。
いずれ衰えて仕事から身を引くことや、そうなったらどうするか、など考えたのだろうか。
自分の両親、妻の両親を見ていて「これから先、自分はどう生きていくべきか」を考えてしまう。
長生きしたいとか死にたくないとか「生」にしがみつく気はないが、心身健康でいるためにはどうするか、
息子たちの世話になるつもりもないし…
そう言えば、親父も五十代の頃は「お前らの世話にはならん」とか言ってたな~、
おそらく今も、世話になってるとか、面倒かけてる、という意識はないだろうと思う。
見方によれば「幸せな人生」である。
これを契機ではなく、いつかのためにと少し前に「親の看取り方」特集の雑誌を買ってはいた。
だけど、まだ先のことだろうと真剣には見てなかった。
全部を読んだわけではないが、詰まるところ「自分の看取られ方」を自分で考えておくこと、
自分で今のうちに用意できることはできるだけ用意しておくこと、だと思い気付かされる。
妻にとっては激動の連休が終わった。
が、これから先もちーと気苦労が続く、と思われる。
私にできることは、自立して自律して、妻や子供に面倒や心配をかけないことなのだろうと思う。
ちょい悪さま:酒飲みは酒肴を選ばす…と言います。
酒を酌み交わす友がいて、 美味いと思える…幸せなことと思うのです。