蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

春の彼岸に…

2017年03月20日 22時45分46秒 | Weblog

春のお彼岸、子供の頃は墓参りに行き、祖母がぼたもち(おはぎ)を作って仏壇にお供えしていた。
そのぼたもち作りを手伝ってたので、一応の作り方は記憶にある。
実家を遠く離れ、墓参のために帰省することもなく、おはぎはスーパーで買って食べるという生活。
親の私らがそうなんだから、息子世代は3世代同居で墓が近くにでもない限り彼岸の墓参なぞ思いもつかんだろう。
おはぎくらいは買い物に行った先で、彼岸の売り出しで山盛りとなっているのを見て買って食べるかもしれんが。
習俗や習慣の薄れを感じながらも、昔どおりを復活、維持しようとの行動もとらんままじゃ嘆く資格はないよな~と思う。

義父母のことはこれまで何回か書いたと思うが、2人ともサ高住に入り、とりあえずは食べることや生活の心配はない。
しか~し、朝目覚めてから夜寝るまでの過ごし方は、誰かと交わることもほとんどなく夫婦二人だけで過ごすという生活で、
気持ちの張りとか保てるのかどうかといった心配もある。
身体も思うままにならん状態だと、自宅に戻って生活することは難しい。
妻とは、両親のことやらこの先自宅をどうするか、墓をどうするか、といった話をする中で、
たまに自分たちのことに話が及ぶこともある。
墓があると誰が守りするのか、離れて暮らす息子にその面倒をかけることになるがどうか。
じゃ墓はなしで、どっかに散骨してくれりゃええ、わたしゃ樹木葬がええわ、葬式は宴会形式で…
などと好きなことを言うとるが、果たして現実になったらどうするのやら…。

家制度やら戸籍やら墓やら、、庶民にはたかだかここ100年くらいの歴史のもの、曽祖父より昔の先祖様のことは知らんしなぁ。
彼岸の墓参り自体よりも、気持ちの中でご先祖様に思いを馳せることのほうがより大事じゃろと思うたり、
一方で、墓参りに帰省すりゃ、両親も鬼籍にいる祖父母、曾祖父母、その前の先祖もたぶん喜んではくれるだろうとも思う。
そう考えると、息子や孫がわしらを思い返す何か形あるもんがあったほうがええのかのう、とも思うたりする。
まぁ、まだ時間はたっぷりある、ゆっくり考えよぅ。

 

ちょい悪さま:そうですね~、いったいどうなっているのやら…
       あれだけ次々と出てくるというのは、何かあるとしか思えない。
       果たして、23日は何が飛び出すのでしょうか。

コメント (1)
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