時代が移り変わっても葬儀に関わる様式はそれほど変わるものではないのだろう。
コロナ禍でほとんどが家族葬で執り行われている中、我が家は両親が長年生業としてきた商売などの人縁もあって、
家族葬は逆に礼を失するのではないかと考え、参列の方には「流れ焼香」で会葬していただいた。
主治医からは、意識が戻る可能性はほぼないと丁寧な説明を受けてきて、
気持ちの整理はつけてきたつもりなので、気持ちが昂ることもなかったが、
認知症の進んだ父親が私に向かって「おかあちゃんは、このことを知っとるんかいな」と言ってきたときには、
切なさがピークに達した。
葬儀後の整理もあらかた済ませて、次なるは四十九日と納骨、初盆、彼岸、一回忌、三回忌・・・と法要が続く。
こうしたあれこれのことを考えると、自分の時には「戒名不要、葬式不要、法要不要」と遺言しとかにゃなと思う次第。
ついでに、大海原に散骨して「納骨不要」も。
家庭菜園の面倒を見れてなかったので、しばらくぶりに草取りや採り頃野菜を収穫、
きゅうり、茄子は千両なす、水なす、加茂なすの3種類、ミニトマトも一食分くらいが順繰りに熟れてくる。
先日、近所でタヌキを目撃、きゅうり泥棒はこいつの仕業かもしれず、どうしたもんかと思案中、
とっ捕まえて懲らしめちゃろうか、とも・・・
1週間の忌引き休みも終わり、明日から仕事に復帰、仕事が遅れていることに少々焦りと不安を覚えるが、
地道にコツコツと片づけていくしかない。
ガンバろ、っと。
ちょい悪さま:ありがとうございます。
主治医から丁寧な説明を受けていたので、意識回復は望むべくもないことでした。
しばらくは供養のあれこれが続きます。
ちゃちゃじい様:ありがとうございます。
コロナ禍で見舞いもままなりませんでしたが、最期の頃は病院の計らいで幾度も見舞えました。
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