木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

江戸時代の温泉

2012年05月28日 | 江戸の風俗
江戸時代も温泉は今と同じで人気があった。
いや、旅行が気楽でなかっただけに、今以上の人気だったに違いない。
現代では秘湯への旅も比較的容易になり、驚くような数の温泉に入っている人がいるが、さすがに江戸にあっては多数の温泉に入っている人はごく少数で、多くの庶民は憧れに近い目で遠隔地の温泉を見ていたのだろう。
江戸時代には色んなものに番付を付けることが流行ったが、温泉番付も発行されている。
江戸後期に発行された「諸国温泉功能鑑」もその一例である。
この番付によると、行司役に「紀州 龍神の湯」「伊豆 熱海の湯」「上州 さわたりノ湯」(沢渡温泉)「津軽 大鰐の湯」が並び、勧進元は「紀州熊野 本宮の湯」、差配人(副主催者)として「同所 新宮の湯」とある。今の那智勝浦温泉である。
気になる番付であるが、東の大関は「瘡{そう}どく三病諸病ニよし 上州草津温泉」。瘡毒とは梅毒、三病とはハンセン病、てんかん、うつ病であるから万病に効くということである。
草津温泉は初夏から晩秋までの半年だけ営業し、寒い期間は旅館も閉鎖した。山中とはいえ、新鮮な川魚のあらいが食べられ、一流の芸人の芸が観られた。
関脇は「諸病ニよし 野州那須湯」。余談ではあるが、個人的に好きな湯である。
小結は「眼病ひつひぜんニよし 信州諏訪湯」。ひつとは、江戸訛りで「しつ」のこと。湿瘡である。ひぜんとは皮癬で、いずれも皮膚病である。
前頭「切り傷 打ち身ニよし 豆州湯河原」、前頭二枚目「しつひぜんによし 相州 足の湯」(箱根・芦ノ湯温泉)、三枚目「瘡毒諸病によし 陸奥嶽の湯」。
西を見ると、大関として「諸病ニよし 名泉あり 摂州有馬湯」。
関脇「万病ニよし 但馬城ノ崎湯」(兵庫県)。
小結「諸病ニよし 豫州 道後温泉」(愛媛県松山市)、前頭筆頭は「加州山中湯」(石川県)、二枚目に「しつひぜんニよし 肥後阿蘇湯」、三枚目には「諸病ニよし 肥後温泉湯」(長崎県・雲仙温泉)と続く。
皮膚病はともかくも、梅毒などに効くと宣伝しているのをみると、江戸時代はよほど梅毒患者が多かったのだろうか。
それはさておき、江戸時代の庶民はこのような番付を見ながら、まだ見ぬ温泉に思いを馳せたに違いない。



参考:大江戸番付づくし 石川英輔 (実業之日本社)

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