木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ぼんくら

2009年09月12日 | 江戸の風俗
小さい子供に「ぼんくら」と言っても意味が通じない。
この言葉も段々と廃れていく語なのであろうか。

しかし、辞書を引いてみるとちゃんと載っていて、語源も記されている。

ぼんやりとしていて、物事の見通しがきかないこと。また、そういう人。
もとばくち用語。さいころを伏せた盆の中が見通せない意、からという。(岩波国語辞典)


「ぼんくら」の「ぼん」は「ぼんやり」の「ぼん」のような気もするのだが、この語は博打用語から来ている

次に、「江戸ことば 東京ことば辞典」を見てみる。

さいころを伏せた盆の中が見通せず、目が暗いの意で、この語はできたのである。

この解釈によると、ぼんくらは、賭けに参加している博徒ということになる。
インターネットを見ても「よく賭けに負ける人」と説明しているものもある。
以上は語源としてどれも正確ではない。
まず、「さいころを伏せた盆」とは何だろうか?
映画などを見ても、さいころは壷に入れられて振られるもので、盆=トレーに入れて振られるなど、見たこともない。
博打に負けたからと言って「ぼんくら」と呼ばれてもかなわない。

実は、盆とは「盆茣蓙」《ぼんござ》のことである。
博徒はこの盆ゴザを前にして、丁座、半座のいずれかに座り、博打を行う。
その真ん中には「振方」こと壷振りが位置し、その横か正面に「中盆」が座る。
この中盆というのは、時代映画で「丁方揃いました。半方ないか、半方ないか」と濁声を張り上げている、あの人である。

賭場において、親分は場を提供して「寺銭」を稼いでいるのであって、客と勝負しているのではない
あくまでも「勝ったり」「負けたり」しているのは客同士であり、勝負が成立すれば、親分には、寺銭が入る仕組みであった。
その点が、カジノなどとは違う。
半方と丁方は同数でないと、親が不足分を補填しなければならなくなるケースも発生する。そうすると、親が損をするリスクが生じるから、寺銭による安定した収入確保のため、中盆はうまく客を煽って丁半同数になるよう調整する
中盆は、盆ゴザに集まった賭け金を瞬時のうちに計算し、同じ金額になるよう客を誘導する大事な役割を担っており、しかも博徒がテンポよく遊べるように、小気味よくゲームを進行させなければならなかった。
ときには、ハンデを与えたり、細かく追加徴収を行い、ぴたりと丁半の賭け金が一致するようにする。
この作業は言うほど簡単ではなく、ゲームがすんなりと進行するかどうかは、中盆の能力にかかっていた。

この作業の下手な中盆が「ぼんくら」と呼ばれた
盆ゴザの上の勘定が遅い中盆をぼんくら、と言ったのである。
確かに「ぼんくら」な中盆では、博徒はイライラしたことであろう。

田村栄太郎 「江戸やくざ研究」 雄山閣 
坂本太郎監修 「風俗辞典」 東京堂
松村明 「江戸ことば 東京ことば」 講談社
西尾実 「岩波国語辞典」 岩波書店

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