木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

新年ご挨拶

2010年01月04日 | 日常雑感
新年
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年2009年は、自分にとって一文字で言い表すと「迷」であった。
いろいろな考えが自分の中で錯綜し、かつ、自分の力不足を思い知った一年だった。
年があけても、いまだに考えは混乱し、ポリシーはぶれにぶれ続けている。
信じているものは変わらないのだけれど、がむしゃらに信念だけを貫けばいいのかというと、そうもいかない。
池田清彦氏は「正しく生きるとはどういうことか」(新潮社)の中で、

「多くの人は、自分の才能の無さにどこかで納得し、自分なりの規範を作って生きることになる。そうしないと善く生きることは難しいからである。(中略)
自分固有の規範は自分で考える他ないのである。自分の生き方は自分で決めるしかない。いやだと駄々こねをしても仕方がない。他人の考えや、他人の教えは最終的には役に立たない。これは自由であることの代償なのだ。かけがえのない自分という、それが本当の意味である。」

とし、自分固有の規範として次の三種類を挙げている。

①日常生活を律する規範
②人生の目的や目標を決める規範
③他人との関係をどう構築するかという規範


結局、規範というのは個人個人が恣意的に考えるべき事柄であって世の中一般の道徳観とか常識によって作るべきではない、というのが氏の意見である。

そういえば、昔愛読したロバート・B・パーカーの一説にこういうのがあった。

「つまり、きみのお父さんは、たぶん、自分が立派な男であるのかどうか確信がもてないし、そうでないかもしれないという疑念を抱いているのだろう。そうでないとしたら、彼はそのことを人に知られたくない。しかし、彼はどうすれば立派な人間になれるのか、知らない、だから、誰かから聞いた単純なルールに従う。自分で考えるより容易だし、安全だ。さもないと、自分で判断しなければならない。自分の行動について何らかの結論を下さなければならないし、その場合、自分が守れないのに気づくかもしれない。だから、安全な道を選んだらいいじゃないか、と考える。世に受け入れられる回路に自分のプラグを差し込むだけですむ」
初秋(菊池光訳)早川書房


若いころに馬鹿げた夢を口にしていた人間は好意をもって迎えられることもあるが、中年過ぎになってもなお馬鹿げた夢を語っている者は単に馬鹿にされるだけである。

けれども、何年経っても、自分の規範というものを確立していかないと、所詮「誰のものでもない人生」を送ってしまうことになる。
今年は、自分なりのぶれない規範を確立したいと思っています。
そして、一年の一語は「明」にしたいと思う次第です。

「正しく人生を減らす。
くだらないことですり減らしてはならない。
そのためには、爆発も恐れない。
怖がって中途半端に、器用に生きようとして生きることを恐れなければならない」(謙)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アシュトン)
2010-01-05 14:08:48
拝見させていただきました。
応援ポチポチ!
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Unknown (木村謙之介)
2010-01-06 19:06:04
コメント有り難うございました。
本年もよろしくお願いします。
返信する

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