木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ウイ・アー・ザ・ワールド2010に思う

2010年04月13日 | 日常雑感
今年になって、名曲「ウイ・アー・ザ・ワールド」がリメイクされていたのを昨日まで知らなかった。
オリジナルが作られたのが、もう25年前。
えー!という感じ。
それでは、歳もとるはずだ。

この2010年版は、売り上げをハイチ震災への救援資金に充てるという。
ビッグなスターたちによるビッグな寄付金である。
一概に著名人は話したことが注目され、一般人より発言力が格段に上であるのも事実。
だが、一般人でも壮大な発言をしてもいいのである。
世界平和を唱えたっていいし、核廃絶を声高に主張してもいい。
理想論だと笑う人もいるかも知れない。
青いと嘲る人もいるかも知れない。
それでも、いい。

理想も夢も想像力の産物である。
現実という狭い世界で、目に見えるものしか信じず、欲望は肯定するが、理想を否定するような生き方をしていると、即物的になる。
利害関係を第一に考える世界では、極端に想像力が不足する。
誰もが自分だけを最優先すると、自分が利益を得ることによって、痛みを被る人間が現れることに考えが及ばなくなる。極端な例が戦争である。
理想を追って戦争に至ったケースもある。けれど、戦争とは、結局、誰かの得を力で納得させようとするゴリ押しに過ぎないのではないだろうか。戦争では、想像力を理屈で押さえ込んで、大量殺人も正当化する。

非常時、自分が死ぬほど空腹で、隣には食べ物を持った幼児がいる。力では、絶対に自分が勝つような相手である。
その際、幼児を殴りつけて食物を奪わない自信があるだろうか。
世界の平和というのは、力を持った者が、安定し、満足している状態でのみ存続できる危うい状態である。
先日亡くなった井上ひさしが言っていた。
「食べ物をよこせ。そうしたら、守ってやる。これが大人の理論」、と。

そんな世界にあって、一人一人が夢や理想を持って生きることによって、世の中は少しづつよくなっていくのではないだろうか。
勿論、ナチスのような糾弾すべき理想もあるし、誰かの夢と誰かの夢が対立することもあるに違いない。
しかし、規模が大きい理想や夢になるほど、人類共通のものとなっていく。
世界平和、といった理想の前に、誰が表立って反対できるだろうか。

一人一人の力は弱い。一般人はなおさらかも知れない。
けれども、私たちだって、著名人のように、大きな理想を発言してもいいのだし、逆に発言するべきだと考える。

ウイ・アー・ザ・ワールド2010


ウイ・アー・ザ・ワールド

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