かいつぶり 浮寐のひまも なかりけり
子規は水鳥を詠んだ句が意外に多い
明治34年だけでも掲句をはじめに次の句が残されている
かいつぶり浮寝のひまもなかりけり
浮寝鳥平入道の天下かな
水遠く渚曲りて浮寝鳥
徳川の夢や見るらん浮寝
鴛鴦の二つ並んで浮寝かな
居る程の小鴨動かぬ浮寝かな
いづれの句も水鳥の自由な振る舞いを切り取っている
子規は翌年9月36才で没している
この明治34年には病床で精力的に次の活動が記録されている
墨汁一滴』を「日本」に連載開始
『春夏秋冬』春の部刊
病状悪化。
俳談会を子規庵で開催、出席者20名
『仰臥漫録』を執筆し始める
母と妹の不在中に自殺を思い見る。 時々絶叫号泣する。
11.6漱石宛書簡に「僕ハモーダメニナツテシマツタ」と書く。
子規庵で義太夫会を催す
子規は水鳥を詠んだ句が意外に多い
明治34年だけでも掲句をはじめに次の句が残されている
かいつぶり浮寝のひまもなかりけり
浮寝鳥平入道の天下かな
水遠く渚曲りて浮寝鳥
徳川の夢や見るらん浮寝
鴛鴦の二つ並んで浮寝かな
居る程の小鴨動かぬ浮寝かな
いづれの句も水鳥の自由な振る舞いを切り取っている
子規は翌年9月36才で没している
この明治34年には病床で精力的に次の活動が記録されている
墨汁一滴』を「日本」に連載開始
『春夏秋冬』春の部刊
病状悪化。
俳談会を子規庵で開催、出席者20名
『仰臥漫録』を執筆し始める
母と妹の不在中に自殺を思い見る。 時々絶叫号泣する。
11.6漱石宛書簡に「僕ハモーダメニナツテシマツタ」と書く。
子規庵で義太夫会を催す