恋文の起承転転さくらんぼ 池田澄子
自分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)
さくらんぼ】 さくらんぼ
◇「桜桃の実」(おうとうのみ) ◇「桜桃」
一般にいう「さくらんぼ」は西洋実桜の実のこと。「桜桃の実」ともいう。木はバラ科の落葉高木で、桜に似た白い花をつける。「桜桃」は本来中国原産のシナミザクラの漢名で別種である。この実も食用になるが栽培はされていない。ほのかな酸味を伴った甘さと愛らしい形を持つさくらんぼは夏の果物として人気が高い。
例句 作者
桜桃のこの美しきもの梅雨の夜に 森 澄雄
硝子器の底はや見えてさくらんぼ 藤南桂子
さくらんぼ赤子に一語生まれけり 曽根澄子