竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

初時雨 猿も小蓑を ほしげなり

2016-12-15 | 芭蕉鑑賞
初時雨 猿も小蓑を ほしげなり





三重県阿山郡大山田村長野峠にあった句碑。
「この句碑に出会った時は嬉しかった」と森田武さんの添え書きがありました。
旅人には不案内な伊賀の山中で、迷いまよいようやく発見したもののようです。



元禄2年9月下旬の作。作者46歳。『猿蓑』撰集の冒頭句に掲出した句。
『猿蓑』の其角の序には;
「只俳諧に魂の入りたらむにこそとて、我が翁行脚の頃、
伊賀越えしける山中にて、
猿に小蓑を着せて、俳諧の神を入れたまひければ、
たちまち断腸のおもひを叫びけむ、あたに懼るべき幻術なり。
これを元として此の集をつくりたて、猿蓑とは名付け申されける。」とある。
 また、芭蕉真蹟では、
「五百里の旅路を経て、暑かりし夏も過ぎ、
悲しかりし秋も暮れて、
古里に冬を迎え、山家の時雨にあへば」と前詞がある。
『奥の細道』の旅を終えて帰郷の折、伊賀越えの山中に初時雨にあって
詠まれたものとされている。芭蕉最高傑作の一つ。



 伊賀越えの山の中で初時雨に遭遇した。
自分はさっそく蓑を腰に巻いたが、
寒さの中で樹上の猿たちも小蓑をほしそうな気振りに見えることだ。
 この一句、決して動物愛護の精神から
猿にも防寒用の蓑をやりたいものだと言っているのではない。
初時雨や哀猿は、古来日本文学のキータームであった。
芭蕉はこれを俳諧化して「小蓑を欲しげなり」としたのである。
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木枯に 岩吹きとがる 杉間かな 芭蕉

2016-12-10 | 芭蕉鑑賞
木枯に 岩吹きとがる 杉間かな




 元禄4年10月。
最後の東下の旅の途中、三河の蓬莱寺山にて。

 冷たい木枯しが杉の木の間を吹き通ってゆく。
樹間から見え隠れしている岩が尖って見える風の強さである。
蓬莱寺山には岩場が多い。
 なお、ここでは「夜着ひとつ祈り出だして旅寝かな」がある。
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いざ子ども 走りありかん 玉霰   芭蕉

2016-12-09 | 芭蕉鑑賞
いざ子ども 走りありかん 玉霰




元禄2年11月1日、良品<りょうぼん>亭にて。
良品は伊賀上野藩士友田角左衛門。
後に、町奉行などをつとめた。
彼の妻智周は、伊賀蕉門の小川風麦の娘で俳号梢風。
この歌仙には、良品夫婦、山岸半残、服部土芳が連なった。
当時みな若くはつらつとしていたのである。


 霰が降ってきた。さあ子供たちよ外に出て走ろう。
はずむような健康的で明るい句である。
この子供は良品の子供たちではなくて、
一座に連なった若い弟子たち を指しているのだといわれている。

:芭蕉のこの句は不知であった
一茶か良寛か 
句材の間口はほとんど無制限に広いのだとつくづく思う

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馬をさえ ながむる雪の あしたかな

2016-12-07 | 芭蕉鑑賞
馬をさえ ながむる雪の あしたかな


愛知県東加茂郡足助町馬頭観世音の句碑



嘱目吟。
予期せぬ雪の朝、
一面の白銀の世界では、
いつもは見慣れた馬の過ぎ行く姿も
新鮮なものとして目に入ってくる。
野ざらし紀行貞享元年熱田での作
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箱根こす 人もあるらし けさの雪 芭蕉

2016-12-06 | 芭蕉鑑賞
箱根こす 人もあるらし けさの雪






12月4日、蓬左の門人聴雪の亭に招かれての半歌仙の発句。
ここ名古屋でも雪が降って寒い。
されば雪の箱根を難渋しながら越えている人もいるというのに、わたしは温かいもてなしを受けている。

山口誓子は、この句について書いている。

 「今朝の雪」に「箱根越す人もあるらし」と想像したのだ。
この句は、箱根山に近い地点で詠われたと、誰も思うだろう。
「箱根越す人もあるらし」は、箱根山を近くにして、
箱根山に思いをやった趣があるからである。ところがそうではない。
「芳野紀行」に出て来るこの句は、名古屋で作られた。
この句を読む者は誰しも、大磯か小田原の句と思うのに、
名古屋の作と聞けば、唖然たらざるを得ない。

 この句碑は安永9年の建立。樹てたひとは大礒にふさわしいと思ったにちがいない。
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ふるさとや 臍の緒に泣く 年の暮 芭蕉

2016-12-05 | 芭蕉鑑賞
ふるさとや 臍の緒に泣く 年の暮





貞享四年(一六八七)芭蕉四十四歳の作。季語「年の暮」で冬。
『笈の小文』の旅で故郷伊賀上野に帰郷した折の歳暮吟。
『千鳥掛』(知足編)に歳暮と題し、
「代々の賢き人々も、古郷は忘れがたきものにおもほへ侍るよし。
・・・」と芭蕉のその折りの感慨が収められている。
臍の緒は子供の生誕の日付などを記し、大切に保存しておく風習がある。
母親が死去したとき棺に納め葬るが、
このとき兄松尾半左衛門から大切に保存されていた自らの臍の緒を見せられ、
芭蕉の胸中には今は亡き父母を偲び慈愛の情が込みあげてきたのだろう。
「古里や」に、今故郷の地を踏みしめている感慨が表れ、
「臍のをに泣く」の語に、切実な親子の情を言い得ている感がする。
なお、「臍」の読みは芭蕉真蹟懐紙のかな書き「へそ」に従う。
句意は、「年の暮に年老いた兄妹のいる故郷の生家に帰り、
自分のへその緒をふと手に取ってみた。
今は亡き父母の面影が偲ばれ、懐旧の情に堪えかね涙にくれるばかりである。」
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年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら   芭蕉

2016-12-04 | 芭蕉鑑賞
年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら




蕪村は、
「笠着て草鞋はきながら、芭蕉去てそののちいまだ年暮れず」との句を詠んでいる。
芭蕉も良いが蕪村も良い。
それほどにこの句は良い
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から鮭も 空也の痩も 寒の内

2016-12-03 | 芭蕉鑑賞
から鮭も 空也の痩も 寒の内





乾鮭は、痩せ細ったものの象徴。
しかも、乾鮭は寒中に作られ市中に出回る。
一方、空也は空也上人だが、ここでは空也僧のこと。
空也僧は、11月13日の空也忌から48日間寒中修業に入る。
修業中には毎夜未明に腰に瓢箪を巻きつけて念仏を唱え、
鉢を叩き、和讃を唱えつつ踊りながら街中をデモンストレーションした。
空也僧は念仏宗の優婆塞であったから在家の信者たちであった。ゆえに、
「弥兵衛とは知れどあわれや鉢叩き」(蟻道『句兄弟』)というような具合でもあった。
 
さて、一句はK、K、Kの引き締まった音感が寒中の引き締まった空気を
連想させて実に清潔の印象を与える。
「乾鮭」と「空也」とは「痩せ」と「寒の中」で連結されているだけで、
それ以上の意味はないにもかかわらず、
大きなスケールを感じさせる句ではある。
芭蕉最高傑作のひとつ。


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/karasake.htm
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月白き 師走は子路が 寝覚め哉

2016-12-02 | 芭蕉鑑賞
月白き 師走は子路が 寝覚め哉



師走の月は凛<リン>として冴えわたる。
その一点の曇りもない白く澄みわたった師走の月は、
あの孔子の弟子子路の心にも似た
真っ直ぐな想いを表しているような気がすることだ。

子路<しろ>(543~481)は、孔門十哲の一人。
姓は仲、名は由、子路は字(あざな)。
勇を好み、孔子に献身的に師事した孔子門下中
最も清廉実直な人物として描かれたいる人 。
後に衛の内乱に遭遇して死去。
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水鳥や枯木の中に駕二挺  蕪村

2016-12-01 | 蕪村鑑賞
水鳥や枯木の中に駕二挺




冷たい水面に、水鳥たちが泳いでいる。
対岸の冬木立の中には、
かごが二挺乗り捨てられていて、
辺りには誰もいない。〔季語〕水鳥

冬木立に乗り捨てられたかの籠が二挺
川には水鳥がただ静かに泳いでいる
一幅の絵画のようだ
人の営み そして自然の営み
音のない静寂の中にある動きは読者の感性しだいということなのだろう
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