[感想:★★★--:平均レベル(見所あり)]
テレビの日曜洋画劇場で淀川長治氏 が行った解説ばかりを抜き出して集めたDVDである。2006年12月20日に発売になったばかりだ。淀川長治氏が亡くなったのは、1998年11月11 日のことなので、若い方だと知らない人もいるかもしれない。最後の解説となった「ラストマン・スタンディング」も収録されている。私も当時自分のホーム ページで取り上げたが、その書き込みを以下に再掲したい。
【最期の解説】
昨日、書いたよう に今日の日曜洋画劇場「ラストマン・スタンディング」で淀川長治氏最期の解説が放映された。たった今終わったところだ。亡くなる前日の東大病院での収録で ある。ご覧になられただろうか。体をささえられてカメラの前に座り、すっかり痩せ、かすれる声で解説する姿は痛々しい。以前の余裕のある姿はなく、話しか けるのもやっとのようである。これが最期と思っておられたのではなかろうか。テレビ朝日があと3本を幻の解説として未放映としたのは仕方ないことかもしれ ない。また、映画の前に特集で30分間淀川氏自身の紹介が行なわれたが、入院しても車椅子で講演を続ける姿には涙が溢れた。正に一生を映画に捧げた方と言 えよう。(98.11.15)
【淀川長治氏】
神戸市出身。神戸三中(現兵庫県立長田高)を 卒業後上京。1933年にユナイト映画大阪支社宣伝部入社、東宝を経て、1948年に「映画之友」の編集長に就任。1960年からNETテレビで「ララ ミー牧場」の解説、1966年からテレビ朝日の「土曜洋画劇場」(後に「日曜洋画劇場」となる)の解説を担当。以後、同番組の解説を続け、今年の9月25 日に東大病院に入院してからも病院で解説を撮影しており、亡くなる前日にも収録を行なっていた。姪の美代子さんへの最後の言葉は「もっと映画を見なさい」 だったという。死因は当初、心不全と伝えられていたが、癌に侵されており、正式には腹部大動脈瘤破裂。
淀川氏は、小さい頃から映画を見て育ち、 チャップリンが好きで大きな影響を受けた。1936年には神戸でチャップリンに初めて会っている。一般の人にはどのような映画もやさしく解説することを心 がけるが、映画監督・記者など「プロ」に対しては非常に厳しい方だったようである。棺には、チャプリンの写真、前日の日曜洋画劇場の収録で使用したネクタ イなどが収められ、黒澤監督愛用のひざ掛けがかけられたという。
テレビ朝日では日曜洋画劇場で、淀川氏の最後の解説として11月15日に「ラス トマン・スタンディング」を流す。なお、「X-ファイル」、「フリー・ウィリー2」、「アンタッチャブル」の3本の解説も収録済みだがこれについては解説 放映を行なわない。残念。(98.11.14)
【淀川長治氏逝去】
映画の解説で知られてい る淀川長治氏が11日の午後8時に心不全で亡くなったという。89歳だった。残念でならない。淀川氏は「私には嫌いな映画がない」という。10年以上も前 に聞いた言葉だが、いい言葉だといまだに覚えている。正直なところ、いろいろな(時には退屈するような)映画があるのだそうだ。しかし、どのような映画で も何かよいところはあるはずだ・・という気持ちで見ているという。どれほど映画を愛されていたか・・、映画の歴史がまた一つ失われたような気持ちである。 (98.11.12)
テレビの日曜洋画劇場で淀川長治氏 が行った解説ばかりを抜き出して集めたDVDである。2006年12月20日に発売になったばかりだ。淀川長治氏が亡くなったのは、1998年11月11 日のことなので、若い方だと知らない人もいるかもしれない。最後の解説となった「ラストマン・スタンディング」も収録されている。私も当時自分のホーム ページで取り上げたが、その書き込みを以下に再掲したい。
【最期の解説】
昨日、書いたよう に今日の日曜洋画劇場「ラストマン・スタンディング」で淀川長治氏最期の解説が放映された。たった今終わったところだ。亡くなる前日の東大病院での収録で ある。ご覧になられただろうか。体をささえられてカメラの前に座り、すっかり痩せ、かすれる声で解説する姿は痛々しい。以前の余裕のある姿はなく、話しか けるのもやっとのようである。これが最期と思っておられたのではなかろうか。テレビ朝日があと3本を幻の解説として未放映としたのは仕方ないことかもしれ ない。また、映画の前に特集で30分間淀川氏自身の紹介が行なわれたが、入院しても車椅子で講演を続ける姿には涙が溢れた。正に一生を映画に捧げた方と言 えよう。(98.11.15)
【淀川長治氏】
神戸市出身。神戸三中(現兵庫県立長田高)を 卒業後上京。1933年にユナイト映画大阪支社宣伝部入社、東宝を経て、1948年に「映画之友」の編集長に就任。1960年からNETテレビで「ララ ミー牧場」の解説、1966年からテレビ朝日の「土曜洋画劇場」(後に「日曜洋画劇場」となる)の解説を担当。以後、同番組の解説を続け、今年の9月25 日に東大病院に入院してからも病院で解説を撮影しており、亡くなる前日にも収録を行なっていた。姪の美代子さんへの最後の言葉は「もっと映画を見なさい」 だったという。死因は当初、心不全と伝えられていたが、癌に侵されており、正式には腹部大動脈瘤破裂。
淀川氏は、小さい頃から映画を見て育ち、 チャップリンが好きで大きな影響を受けた。1936年には神戸でチャップリンに初めて会っている。一般の人にはどのような映画もやさしく解説することを心 がけるが、映画監督・記者など「プロ」に対しては非常に厳しい方だったようである。棺には、チャプリンの写真、前日の日曜洋画劇場の収録で使用したネクタ イなどが収められ、黒澤監督愛用のひざ掛けがかけられたという。
テレビ朝日では日曜洋画劇場で、淀川氏の最後の解説として11月15日に「ラス トマン・スタンディング」を流す。なお、「X-ファイル」、「フリー・ウィリー2」、「アンタッチャブル」の3本の解説も収録済みだがこれについては解説 放映を行なわない。残念。(98.11.14)
【淀川長治氏逝去】
映画の解説で知られてい る淀川長治氏が11日の午後8時に心不全で亡くなったという。89歳だった。残念でならない。淀川氏は「私には嫌いな映画がない」という。10年以上も前 に聞いた言葉だが、いい言葉だといまだに覚えている。正直なところ、いろいろな(時には退屈するような)映画があるのだそうだ。しかし、どのような映画で も何かよいところはあるはずだ・・という気持ちで見ているという。どれほど映画を愛されていたか・・、映画の歴史がまた一つ失われたような気持ちである。 (98.11.12)
ぽすれん・レビュー | Amazon・レビュー |
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監督:- 出演者:淀川長治 Story: テレビ朝日の「日曜洋画劇場」放映40周年を記念した、昭和を象徴する映画評論家・淀川長治の解説コメント傑作選。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフで親しまれた故・淀川長治が残した解説コメントの中から、テレビ朝日とキネマ旬報が50本を厳選。 | |