年賀状だが、昔は、自分で写真をポストカード用の印画紙に焼き付け、文字も重ね焼きして(場合によって覆い焼きして)、現像・定着・水洗・乾燥するとい
うかなりの作業をしていた。部屋中が乾かしているポストカードだらけになったものだ。また、今では、写真には遠く及ばないにしてもパソコンとプリンタで気
軽にオリジナルなカードを作ることができるようになった。
しかし、年賀状(正確に言うと「年賀葉書」)を出さなくなって何年にもなる。
この決断にはいくつかの要因が重なった。1つ目は喪中。2つ目は年末の多忙と帰省。3つ目は電子メールの発達である。
ただでさえ多忙な年末に帰省する訳で時間がないにもかかわらず、勤めが長くなるにつれて年賀状の枚数が確実に増加していく。そして、正月明けに自宅に 帰って郵便受けを覗くと年賀状を出していなかった人からのカードがドドッとあるのだが・・・このタイミングでは返信がけっこう遅くなってしまう。
で、来た分については、インターネットの電子年賀状サービスを活用することにした。綺麗な絵が動いたり音楽が付いていたりする。何より即座に届くのがい い。葉書だと下手をすると返信の前に顔を合わせたりする可能性がある(そもそも顔を合わせる距離なら年賀状など必要ないはずなのだが・・・悪い習慣であ る)。
親しい関係では、日頃からメールしているはずなので特別なことは必要ない。問題はそれ以外だが、出した人と出さない人が出てくるとこれはまずいということで、喪中を機会に一挙に年賀状を廃止した。
やめてみると、特段の不都合は生じないし、年末と正月をゆったりとした時間の中で過ごすことができるのが何より嬉しい。
70歳にもなる父親は相変わらず200枚もの年賀状を出している。少し減らしたらと言っても、前年に先方から来たところには必ず出すのだそうだ。儀礼的 な印刷だけのカードも多いのだが、見栄っ張りで世間体ばかりを気にする性格は変わらない。年末と正月は、父親は年賀状ばかり書いているので帰省しても あまり話をしたことがない。
しかし、年賀状(正確に言うと「年賀葉書」)を出さなくなって何年にもなる。
この決断にはいくつかの要因が重なった。1つ目は喪中。2つ目は年末の多忙と帰省。3つ目は電子メールの発達である。
ただでさえ多忙な年末に帰省する訳で時間がないにもかかわらず、勤めが長くなるにつれて年賀状の枚数が確実に増加していく。そして、正月明けに自宅に 帰って郵便受けを覗くと年賀状を出していなかった人からのカードがドドッとあるのだが・・・このタイミングでは返信がけっこう遅くなってしまう。
で、来た分については、インターネットの電子年賀状サービスを活用することにした。綺麗な絵が動いたり音楽が付いていたりする。何より即座に届くのがい い。葉書だと下手をすると返信の前に顔を合わせたりする可能性がある(そもそも顔を合わせる距離なら年賀状など必要ないはずなのだが・・・悪い習慣であ る)。
親しい関係では、日頃からメールしているはずなので特別なことは必要ない。問題はそれ以外だが、出した人と出さない人が出てくるとこれはまずいということで、喪中を機会に一挙に年賀状を廃止した。
やめてみると、特段の不都合は生じないし、年末と正月をゆったりとした時間の中で過ごすことができるのが何より嬉しい。
70歳にもなる父親は相変わらず200枚もの年賀状を出している。少し減らしたらと言っても、前年に先方から来たところには必ず出すのだそうだ。儀礼的 な印刷だけのカードも多いのだが、見栄っ張りで世間体ばかりを気にする性格は変わらない。年末と正月は、父親は年賀状ばかり書いているので帰省しても あまり話をしたことがない。