ケンのブログ

日々の雑感や日記

コンビニのお姉さん

2017年09月05日 | 日記
先日、コンビニで紙パックのコーヒー牛乳を買った時、
「袋なしでお願いします」と言ったら
袋はなしでそれはよかったのだけれど
ストローがついていなかった。
ストローはあった方がいいなと思って
今日コンビニでコーヒー牛乳を買った時
「ストローあり、袋なしでお願いします」と言った。
するとコンビニのお姉さんは
「ストローあり、袋なし」と隣のお姉さんに
言って二人で笑っておられた。
僕はどう反応していいのかわからなかったので
黙って微妙な顔をしていた。
しかし、ちゃんと袋なしでストローは
紙パックにテープで張り付けてくださったので
言葉の意味は通じたと言うことだ。
こういうときに気の利いた言葉をお姉さんにかけられると
いいのかも知れないけれど僕は昔からそういうのが苦手だ。
まあ、笑っていただけたのでとりあえずよしとしよう。

夜空の月

2017年09月05日 | 日記
僕は今テレビのない生活をしていて情報はもっぱら
新聞から得ているのでテレビがある生活に比べて
一日情報が遅れることになる。
昨日、新聞で皇族M子様とKさんの婚約会見の
全文を読んだ。
こんな言葉が書いてあった。
「ある日夜空にきれいな月を見つけそのとき思わず
宮さまに電話いたしました。その後もきれいな
月を見つけますとうれしくなり宮さまにお電話を
おかけしています」
その言葉を読んで僕の頭のなかが月でいっぱいになってしまった。
午後7時頃自宅の近所のスーパーマーケットでの買い物を
終えると僕はさっそく夜空に月を探した。
最近は日が短くなって午後7時にはすっかり夜空になっている。
ところが月は空には見当たらなかった。
8月の末にはこの時間に月が見えていたのに
おかしいなと僕は思った。
空もそれほど曇っている訳でもなかった。
ビルの死角に月が隠れているのだろうか。
少しだけ出ている雲に隠れているのだろうか。
それもと月の出入りの時間の関係?
いろいろ考えたけれど月の出入りの時間まで
日々チェックしているわけではないのでよくわからなかった。
まあなんしか今は月は見えない、と思ってあきらめた。
ところが深夜になって寝る前にもう一度ベランダから
外を見てみると満月に近い月が出ていた。
ああ、月が出ている。僕は思った。
しばらく月を眺めてそれから僕はその状態で
心のなかでベートーベンの月光ソナタの
第一楽章を歌ってみた。
月光というタイトルはベートーベンがつけたタイトルでは
ないということは知ってるけれどなんか月光ソナタの
第一楽章は月にマッチするなと思った。
ついでに第二楽章も心で歌ってみた。
第一楽章ほどではないけれどこれも
テンポの遅めの軽いタッチの演奏をイメージすれば
かなりマッチするなとおもった。
このソナタに月光という名をつけた方は素晴らしいなとおもった。
僕自身ベートーベンの音楽を安易なサブタイトルで呼ぶことは
そんなに好きなわけではないのだけれどやはり月光という名は
このソナタの愛称としてそんなに違和感はないなとおもった。
勢いで第三楽章も心のなかで歌ってみたけれど
これはさすがに音楽に疾走する緊張感がありすぎて
マッチしないなとおもった。
そんなことを考えたついでにベートーベンの月光ソナタについての
楽曲解説を読んでみた。
バックハウスのベートーベンピアノソナタ全集についている
解説を読んだ。
第一楽章アダージョとなっている。
アダージョかと思った。
モーツァルトのピアノソナタが一部の例外を除けば
第一楽章はアレグロで始まることを思えば
この月光ソナタの終始三連符で構成されたアダージョは
やはりこの曲の作曲年代ということを考えれば
革新的なことなのだなと思った。
第二楽章は普段はあまり意識しないけれど
心のなかで歌ったときにはメヌエットかなと思った。
三拍子の3拍目から始まるしトリオもあるし
メヌエットの条件は満たしているように素人目には思える。
ところが楽曲解説をみると第二楽章は
メヌエットではなくアレグレットと書いてある。
あれ、メヌエットじゃないのと思って楽曲解説を読むと
メヌエットともスケルツォとも言われない曲で
リストは「二つの深淵の間の一輪の花」
と形容したと書いてある。
うーん、そういうことだったのかとなんだかとても感心してしまった。
そういわれてみるとこの第二楽章は古典音楽的な意味で
メヌエットと感じてしまうにはあまりに高貴で優雅すぎるような気がする。
ベートーベンの音楽って何かのおりに立ち止まって
考えるたびに新しい発見があるような気がする。
つまり、それだけ偉大な方と言うことなのだろう。