今日は新聞が休刊日だった。
僕はテレビをほとんど見ないので
新聞がお休みだとなんだかちょっと物足りないような気がする。
コンビニでスポーツ新聞を買ったのだけれど
僕は野球と相撲の欄しかほとんど読まないので
あっという間に読み終わってしまう。
スポーツ新聞の日付を見て今日は
9月11日だなと思う。
アメリカで同時多発テロが起きた日。
英語の報道では同時多発テロ事件は9.11と
記されることが一般なので9月11日は同時多発テロの日
というのが頭にしみついてしまう。
2001年の9月11日、僕は予備校の
広告を担当する部署に勤めていた。
その日は予備校に通う生徒がいる教室の
風景を撮影する日だった。
9月もあまり遅い日になるともう
半袖を着た生徒の撮影ができなくなってしまう。
半袖を着た生徒がいる風景を撮影するために
9月初旬から中旬のこの日を撮影日に選んだ。
半袖の生徒を撮影するためにはギリギリのタイミングだということで。
思えば当時の仕事は何事もギリギリのタイミングで
進んでいたような気がする。
写真は僕が撮影して訳ではなく専門のカメラマンが撮影した。
僕はいわばそのお手伝いのようなことを当日はしたと記憶している。
写真撮影のヘルプをする仕事を終えて夜、家に帰ってきて
テレビの画面を見ると上の方がだるまおとしのように
欠落したビルの映像が写っていた。
映像を見た瞬間にこれは人災だととっさに思った。
あれから、もう16年になるのかと思う。
今、僕の自宅マンションにはその同時多発テロの映像が
写っていたブラウン管のテレビがそのままおいてある。
もちろんそのテレビはまだ映るしそのテレビ以外には
テレビというものは僕の自宅にはない。
あの同時多発テロの映像を見た日が
ずいぶん昔のようなことにも思えるし
最近のことのようにも思える。
ただ、時間の感じかたというのは不思議なもので
1995年の阪神大震災は自分でその揺れを
体験したし、実際、直後には神戸の三宮まで
もっとも被害の大きかった地域を見に行ったので意外と
阪神大震災の方が記憶に新しいような気がすることもある。
僕は父が船乗りだったので神戸の三宮には
思いでのデパートがある。
そのデパートも無惨に壊れていた。
その前の年に母とロリンマゼール指揮、フィルハーモニア管弦楽団を
聴いた神戸国際会館も無惨に壊れていた。
交通が寸断されていたので大阪から神戸にいくときは
阪急とJRの動いている区間を乗り継いでいき
帰りは神戸港から大阪港まで船で来た。
帰りの船のなかではCDウォークマンでビルエバンスの
ワルツフォーデビーを聴いていた。
あのとき、ワルツフォーデビーを聴いているとなんだか眠くなってきたことを
記憶している。
なんだかつらつらと書いているうちに単なる思いで話に
なってしまったような気がするけれど、
阪神大震災からはもう22年、同時多発テロからは16年が
経過したことになる。
55才になると、22年、16年という時間も
そんなに天文学的なほど長い時間とは思わない。
昔のことと言えば昔のこと、最近のことと言えば最近のこととおもう。
そして僕は昭和20年に戦争が終わってから
17年後の昭和37年に生まれている。
当時の大人が戦争と言えば昔のことにも思えるし
最近のこととも思えるような時代に自分は生まれたんだな
とこの歳になって思う。
僕はテレビをほとんど見ないので
新聞がお休みだとなんだかちょっと物足りないような気がする。
コンビニでスポーツ新聞を買ったのだけれど
僕は野球と相撲の欄しかほとんど読まないので
あっという間に読み終わってしまう。
スポーツ新聞の日付を見て今日は
9月11日だなと思う。
アメリカで同時多発テロが起きた日。
英語の報道では同時多発テロ事件は9.11と
記されることが一般なので9月11日は同時多発テロの日
というのが頭にしみついてしまう。
2001年の9月11日、僕は予備校の
広告を担当する部署に勤めていた。
その日は予備校に通う生徒がいる教室の
風景を撮影する日だった。
9月もあまり遅い日になるともう
半袖を着た生徒の撮影ができなくなってしまう。
半袖を着た生徒がいる風景を撮影するために
9月初旬から中旬のこの日を撮影日に選んだ。
半袖の生徒を撮影するためにはギリギリのタイミングだということで。
思えば当時の仕事は何事もギリギリのタイミングで
進んでいたような気がする。
写真は僕が撮影して訳ではなく専門のカメラマンが撮影した。
僕はいわばそのお手伝いのようなことを当日はしたと記憶している。
写真撮影のヘルプをする仕事を終えて夜、家に帰ってきて
テレビの画面を見ると上の方がだるまおとしのように
欠落したビルの映像が写っていた。
映像を見た瞬間にこれは人災だととっさに思った。
あれから、もう16年になるのかと思う。
今、僕の自宅マンションにはその同時多発テロの映像が
写っていたブラウン管のテレビがそのままおいてある。
もちろんそのテレビはまだ映るしそのテレビ以外には
テレビというものは僕の自宅にはない。
あの同時多発テロの映像を見た日が
ずいぶん昔のようなことにも思えるし
最近のことのようにも思える。
ただ、時間の感じかたというのは不思議なもので
1995年の阪神大震災は自分でその揺れを
体験したし、実際、直後には神戸の三宮まで
もっとも被害の大きかった地域を見に行ったので意外と
阪神大震災の方が記憶に新しいような気がすることもある。
僕は父が船乗りだったので神戸の三宮には
思いでのデパートがある。
そのデパートも無惨に壊れていた。
その前の年に母とロリンマゼール指揮、フィルハーモニア管弦楽団を
聴いた神戸国際会館も無惨に壊れていた。
交通が寸断されていたので大阪から神戸にいくときは
阪急とJRの動いている区間を乗り継いでいき
帰りは神戸港から大阪港まで船で来た。
帰りの船のなかではCDウォークマンでビルエバンスの
ワルツフォーデビーを聴いていた。
あのとき、ワルツフォーデビーを聴いているとなんだか眠くなってきたことを
記憶している。
なんだかつらつらと書いているうちに単なる思いで話に
なってしまったような気がするけれど、
阪神大震災からはもう22年、同時多発テロからは16年が
経過したことになる。
55才になると、22年、16年という時間も
そんなに天文学的なほど長い時間とは思わない。
昔のことと言えば昔のこと、最近のことと言えば最近のこととおもう。
そして僕は昭和20年に戦争が終わってから
17年後の昭和37年に生まれている。
当時の大人が戦争と言えば昔のことにも思えるし
最近のこととも思えるような時代に自分は生まれたんだな
とこの歳になって思う。