ケンのブログ

日々の雑感や日記

和太鼓フェスティバル

2018年03月05日 | 日記
昨日は隣の町の劇場に和太鼓フェスティバルを見に行った。
隣の町は和太鼓が盛んな町で市内の九つの団体が
三時間くらいにわたって和太鼓を披露してくださった。
和太鼓と言えば男がするものというイメージがある。
というかオーケストラのティンパニーも女性奏者というのはあまり見たことがない。
ところが隣の町の和太鼓フェスティバルで演奏というか演技してくださる
人をみているとざっと7割くらいは女性であるように見える。
本当に吉野家の店員さんとかも女性が圧倒的に多いし
隣の町は女性パワーの町かと思ってしまう。
二階席で見た。なので舞台が遠く堂々と太鼓を打っているひとの
構えをみると男の人かと思ってしまう。
ところが双眼鏡で拡大してみると女性がうっているので驚いてしまう。
ボーイッシュな感じでかっこいいといえばかっこいいのだけれど。
男性が多い団体もあったけれど僕のあくまで個人的
感想では迫力はあるけれど演奏が大味になっていたような気がする。
ある高校の女子部員は演技のあとで
太鼓をしていると肩幅が広くなってしまって着る服がなくて困る
と言っていた。たしかに太鼓を叩いている人の腕をみると
二の腕が太くてきれいな筋肉がついている。
ただ、僕の個人的感想としてはそれが美しいと思うのだけれど。
口には出さなくてもそういうキリッとした姿にあこがれて
太鼓を始めた子もすくなからずいるかもしれない。
太鼓を叩く人はとにかく構えの姿勢がいい。
立ち姿も座った姿も。
立ち姿は基本腰を低く構えるのでそういうのは
和太鼓も相撲もある程度共通するものがあるのかもしれない。
あと、最近の子はダンスネイティブというかダンスの要素を
太鼓の演技に取り入れている団体も多い。
座って打つ姿もいくつかパターンがある。
正座に近い座り方で打つパターン。
ヨガのがっせきのポーズからちょっとあぐらのように
足をクロスさせるパターン。膝を床につけた相撲の蹲踞の姿勢のようなパターン。
どの座り方を見てもいかにもたんでんに力の入りそうな座り方で
見ていてとても参考になる。
普段からああいう姿勢を基本に座るように心がければ
きっと全身にインナーマッスルがきれいにつくような気がする。
ある高校の演技が終わったあと男子部員がアナウンサーのインタビューに応じた。
三年生の男の子だったのでアナウンサーが「しんろはどこになりましたか」と話をすると、
男の子は「きまってません、浪人です。でも今日は完全燃焼しました」と言ったあと
感極まって泣いてしまった。
泣くことそのものはリラックス効果があるので泣いたらいいと思うのだけれど
やはり、感極まって高校生の男の子が泣くのをみるといろいろ考えてしまう。
まずこの太鼓のフェスティバルに出場する高校はどの高校もレベルが高い。
僕は和太鼓の演技をそれほど見ているわけではないけれど
オーケストラはしょっちゅうきいているのであれだけの太鼓の演技を
しようと思えば並大抵の練習ではないであろうことは想像できる。
この男の子は去年のフェスティバルでもフェスの実行委員長をしていたので
きっとそれほど勉強する時間がなかったのだろう。
今時は本当に語弊を承知でいえば名前だけ書いて
あとは白紙で出すとか明らかに反抗的行為をしない限り
合格するという大学はすくなからずある。
それを浪人というのはいきたい大学があって
そこの一般入試での合格を目指すパターンと考えてまず間違いない。
目指すのは高校の学力ランクから考えて
私立大学である蓋然性が高い。
国立を目指すということはちょっと考えられない。
国立は数学も入試に課されることが圧倒的におおい。
大学入試の数学は中学、高校の集大成なので
高校に入る時点で上位20パーセント以内くらいの高校に入っておかないと
また、入る学習の到達度でないと国立の入試の数学で
ちょっと勝負できない。
となるとある程度の有名私大を目指すことになるのだけれど
これも現役の時に勉強をしていない子にはそれほど甘い道ではない。
部活の体力と勉強の体力はまた別物であるということもある。
そんなことを考えるとこの男の子にこれからどんな一年が待っているのだろうと
思ってしまう。
僕の時代だったら浪人する子はそこそこいたけれど
今は塾や予備校も現役生にシフトするほど浪人する子が少ない。
おまえも浪人か、まあがんばろなと励まし合える友達も僕の時代よりは
少なくなってしまう。
あと思うことは、同じ部活でも野球で活躍すれば
有名私大に推薦で入れることもあるけれど
和太鼓ではいくら頑張っても推薦の枠はないだろう。
スポーツ推薦というのは聞いたことがあるけれど
和太鼓推薦というのは聞いたことがない。
なんか同じ部活で頑張っても不公平だなと思ってしまう。
しかし、高校を和太鼓で頑張ったことは決して無駄にはならないだろうし
無駄にしてほしくないと思う。

太鼓のおとを聞いていると心になんとも言えない気合いが入ってきて
落ち着くのを感じる。
和太鼓は神事にも用いられるしそういう気合いの要素が
日本人にとってはあると思う。
というか神道のおさいせんをいれてどらをならして
柏手をうって二杯二拍手一杯で祈ること自体に気合い入れの要素がある。
その意味でもお祈りは効く。
女性が太鼓を横に肩からひもで下げてその左右を手首を
優雅に返しながら打つさまはやはりみていて美しい。
手首の赤いサポーターもきりっとしていておしゃれに決まっている。
この太鼓を肩からよこに吊って左右を叩く仕方は
現役高校生の団体、OGの団体両方やったけれど
手首を返すときの動きの優雅さにはOGの団体の方に一日の長があるようだ。
経験を積むことではじめて醸し出せる優雅さもあるということなのだろうか。
笛を用いた団体が2つほどあった。
オーケストラ的な表現をすれば二管編成の笛だったのだけれど
和声がとても美しい。和声は西洋的な和声だけれど
西洋楽器の醸し出す和声の美しさとはまた種類が異なるように思える。
ブレスの時の呼吸音がかなり深いのできっと練習で
肺活量がかなりのものになっていると思われる。
笛を吹くときの立ち姿もキリッと引き締まっている。
和風の衣装なのでみていると少年忍者のような感じに見える。
あと笛の奏者がダンスをしながら吹いている場面もあって
あれほど深いブレスが必要な笛をよくダンスをしながら吹けるなと
驚いてしまった。
最後に出てきた高校の中心的な女の子は
一人で五つの太鼓を同時にさばいていた。
どのくらい練習するとあのさばき方がマスターできるのだろう。
そんなことを考えてしまった。

ここのところ一週間くらいショスタコーヴィチの弦楽カルテットが
ポータブルCDプレーヤーで音楽を聴くときのヘビーローテーションに
なっている。
若い頃はショスタコーヴィチの音楽は暗くてわけがわからなかったけれど
30代半ばくらいからその暗さ、緊張感が魅力に思えるようになってきた。
ここ二年くらい逆にその暗さ、緊張感がネックになって
ショスタコーヴィチの音楽からちょっと遠ざかっていたけれど
また、聴けるようになったというか、聴きたくなったというのは
きっといいことなのだと思いたい。