ケンのブログ

日々の雑感や日記

三月十九日

2018年03月19日 | 日記
昨日は隣の町の劇場で催された市民茶会に行った。
先生も僕の顔を覚えてくださったようでいくとこんにちわ
とおっしゃってくださる。
M神宮の茶券を間違えて出すと笑いながらそれは違う
と言ってくださる。
すこしずつ覚えてくださるとありがたいことだと思う。
昨日のことでメモもとってないので記憶も少し薄れたけれど
春らしくお手前の方は薄い桃色や緑色の置物の方が多かった。
主菓子の器が横に長くてなんだか川の流れのようだった。
「この器、川の流れのようですね」と僕が言うと
隣にいた方がそうですねそんな風にも見えますねと言ってくださった。
ご亭主の方が主菓子は三人官女と五人囃子で五つと三つに盛り分けてあるんですよ
とおっしゃった。
時すでにおそく、僕と隣の方がすでに二つお菓子をとってしまった
あとだったけれど、お菓子をとる前の位置を想像して
数えると本当に三つと五つだった。
「ほんまですね、数えると三つと五つですね」と僕は言った。
炉の上のやかんは天井から吊ってあるものだった。
例年この季節はやかんを天井から吊るとのこと。
やかんときいて
郡上節のやかんかけるとて魚籠(びく)かけた という歌詞を思い出したけれど
それは言わなかった。
やかんのかわりにびくをかけたらえらいことになってしまう。
そこが郡上節の歌詞の面白いところだけれど。
茶室の床の花は椿ともうひとつはなにか忘れてしまった。
椿ともうひとつのはなの組み合わせだった。
先日M神宮に椿らしきものが咲いていて宮司さんの息子さんに
確認したら赤が椿、白が榊の花とのこと
思わず「榊も花が咲くんですか、榊は葉っぱと思ってました」と言ったら
宮司さんの息子さん笑っておられた。
でも考えてみれば榊も花が咲かなければ子孫を残すことができない。
そんなあたりまえのことも忘れていた。
榊は葉っぱという思い込みにすっかりやられてしまっていた。
人間、思い込みにやられることっていろいろとあると思う。
昨日は受付をしてすぐに茶室に案内されたので
待ち合いの床にある目録を最後に復習の意味で見るという順番になった。
僕の他にもそのような人が二三人おられるようだった。
本当に市民茶会やお宮のお茶会はタイミング次第で
いろんなことが起こりうる。
待ち合いの床を見ると、小さい屏風がおかれていてそこに
色即是空と般若心経の一節が書かれてあり
空とはとらわれない心
空とはこだわらない心
とかいろいろ標語のようなものが三つほど添えられたいた。
標語にして解説してしまったらすでに空が空ではなくなってしまうと
思ったけれど、そんな風に文句をたれている時点でこれも
すでに空ではないので本当に空っていったいなんだろうと思ってしまう。
まあ、なにもないというのが空なので空とはとらわれない心でいいのかもしれない。
あまり、こういうことをブログに書くべきではないのかもしれないけれど
ここ一年くらい音に関するトラブルにけっこう遭遇している。
といっても僕もそれなりに辛抱するのでトラブルというほどの
トラブルではないのだけれど。
いつか、コンサートホールでメモをとりながらモーツァルトの交響曲を
聞いていたら第一楽章と第二楽章の間で
急に二つ向こう隣の人から急に「静かにしてください」と言われた。
たぶんメモをとる時のペーパーノイズが気になったのだと思う。
すみませんと言ってメモをとるのをやめたけれど
僕も集中して次の楽章を待っているときに急に
「静かにしてください」と言われるとドキッとしてしまう。
こういうのって注意する方もされる方も被害者なんだなと思ったりする。
そんな話をコンサートホールの係りの方にすると
「音に神経質な人はいます。コンサートホールでもどちらの
お客さんの肩を持つわけにもいきません。
ただ、そういうときはしっこの方の席にするという対応もありますよ」と
教えていただいたので先日ショスタコーヴィチを聞いたとき
はしっこの席にしたら確かにホールのはしっこにはコンサートホールの
係員が演奏の間中たっている。
安心感は確かにあるなと思う。
もちろんメモをとるときにペーパーノイズがでないように最近は
よりいっそう注意を払っているけれど。
カラオケで初期設定のボリュームで歌っていたら
急に店員が入ってきて「音が響きますのでボリュームを下げます」と言って
下げていかれたことがある。
だから初期設定からボリュームをいじってないのにと言いたいけれど
それも辛抱している。
先日なんか初期設定が22のボリュームを6まで下げられてしまった。
こんなに低いボリュームだとスピーカーから出る音と
地声の区別がつかなくなりのどを壊しそうだ。
でもそれも言わずに辛抱していた。
辛抱がたりなくておかげを逃す人が多いという金光さんの言葉を
基本的には信じていたいなと思う自分がいる。
あと慎みを忘れないということも大切なような気がする。