ケンのブログ

日々の雑感や日記

三月二十一日

2018年03月21日 | 日記
彼岸の中日だなとしみじみと思う。
二年前の彼岸、去年の彼岸、今年の彼岸と
それなりに自分としてもいろいろ変わってきているなと思う。
よい方向に変わっていると信じたい気持ちが強い。
二日ほど前からスーパーマーケットの花売り場は
ちょっと模様替えをしてお彼岸用の仏花のスペースが大きくなっている。
3週間ほど前にお花やさんの方から花屋の花とスーパーの花では
花のランクが違うと聞いた。
そういう知識を持った上で花を見ると確かに花屋の花の方が
スーパーの花よりもランクが高いということが実感としてだんだんわかってくる。
ものを見るのに知識がいきる場合も往々にしてあるのだなとしみじみと思う。
知識なしで漫然と見ているとわからないことが知識をもって見ることで
見えてくることがある。
さだまさしさんが最近書かれた本にやばいというかすごい
老人の条件として
圧倒的な知識
どんな痛みも共有してくれる
なにか飛び抜けたものをもっている
というような条件が示されていたともう。
この条件は記憶で書いているので細部は異なるかもしれないけれど
おおよそそういうことが書いてあった。
こんな条件にかなうひとは実際にはいないと思うのだけれど
まあ、理想像としてそういうことがかいてあるのだろうとは思う。
僕もちょっと立ち読みでパラパラっと見ただけなので
前後の文脈を読まずにこういう例をあげるのはさだまさしさんに
失礼かもしれないけれど。
ただ、こういうことがらは逆も真なりということがしばしばあって
知識などないほうが知らぬが仏で幸せということも往々にしてある。
なにごともほどほどということが肝要なのだと思う。
僕も自分の好きな分野に関してはしばしば知識を集めすぎてしまって
逆に迷ったり人と話があわなくなってしまうことがままある。
やはりなにごともほどほどか肝要ということなのだろう。
吉野家に入って注文した料理が出てくるのを待っていたら
僕の向かいに座っていたおじいさんがいきなり
「だから、最初にそれは言ったでしょ。ちゃんとしなさい」と若い女性の店員さんに
言った。
店員さんは「はい」と心のこもっていない返事をして
そのモーションで別のかたのお会計をしていた。
ひとつ人からなにか言われたからといっていちいち止まっていたら
この店での仕事はとても勤まらない。
でも、言われた店員のお姉さんも表面は気にも止めずに
別の客の会計をしてその客が座っていた場所を雑巾でふいて
次々仕事をしておられるように見えるけれど
こころのなかはどうなっているかそとからは見えない。
事実僕もその時は顔色ひとつ変えずに料理が出てくるのを待ち
もくもくと食べてお店をでたけれどあそこでおじいさんが言った言葉が
ずっと頭に残っている。だからこうしてブログのねたにもなっている。
お姉さんもひょっとしたら今日家に帰ってもおじいさんが言った言葉を
覚えているタイプかもしれない。
こればかりはお姉さんのこころのなかはお姉さんにしかわからない。
角田光代さんという女流作家の書いた小説で
子供ができたのをきっかけに勤めていた旅行代理店を
やめる女の主人公がいる。
しかし、子供をつれて公園にいってもその公園での
ママ友の間の派閥争いヒエラルキーの構造にたえられなくなって
また仕事を始める。
こんどは旅行代理店ではなく掃除代行業という肉体系の仕事だ。
しかし、掃除も極めれば面白くなってくる。
そんな面白くなってきた矢先に
女の主人公は旦那から
「最近、仕事が忙しくて子供に厳しく当たりすぎてないか?
掃除の仕事なんてお前が休んでも代わりがいる仕事なんだろ
それよりも今は子育てに集中して、もう少し子供が大きくなってから
今までの旅行代理店のように自分が計画をたててみんなを動かすような
ちゃんと意味のある仕事をしたらどうだ」と言われる。
それをきいて女主人公は「意味?」と言う。
ただ「意味?」と言っただけだ。
しかし、女主人公はそのとき旦那に言われた言葉が
しばしば頭から離れなくなる。
 
よくわかるリアルな話といえば話だ。
旦那は子供の性格は親との三歳までのかかわりでかなり形成されるという
理論をけっこう信じている。
女主人公は今やその説には懐疑的である。
夫婦の気持ちは噛み合わなくなってくる。
よくわかる話といえばよくわかる話だ。
※小説は引用したわけではなく僕の中にある小説の心象を大雑把に書きました。


誰がどこで何を根にもっているか誰にもわからない。
やはり、とらさんのように「思い起こせばはずかしきことの数々」という
気持ちをどこかでもっていることは意外と大切なような気がする。
神道の祝詞でももろもろのまがごと罪けがれあらんをば
というのは決まり文句になっている。
現代語に訳せばいろいろとまがこと、罪、けがれがあるでしょうからということになる。
やはりそういう気持ちが大切なのかなと思う。

お祈りは効くと村上春樹さんの小説に書いてあるのを読んだときには
なるほどそうだなと思った。
気になって仕方がないことがあるときは僕はできるだけ具体的に
祈るようにしている。
いま、これこれのことが私は気になっております。
この気になる気持ちを払い清めくださいという具合に。
速効性はないかわりにじわっとした効き目はあるようなきがする。
同じ具体的な祈りを一週間も続けていると
その具体性の中身が一週間でかなり変わっていることに
往々にして気づく。
お祈りがじわっとすこしずつ効いているということかなと思う。