ケンのブログ

日々の雑感や日記

大阪フィルハーモニー交響楽団第516回定期演奏会

2018年03月11日 | 音楽
昨日三月十日はフェスティバルホールに大阪フィルハーモニー交響楽団
第516回定期演奏会を聴きに行った。
指揮は井上道義さん。
最初に演奏されたのはバーバーのピアノ協奏曲作品38
ピアノ独奏はアレクサンデルガジェブさん。
第一楽章
ジャズの要素が感じられるピアノによる演奏の開始。
オケは鋭く雄大になる。やはり道義さんは
音楽のメリハリのつけかたがすごいなと思う。
中間部では現代音楽特有の混沌とした世界が展開される。
音楽には独特の不安感も漂っている。カデンツァもしかりだった。
楽章の後半緊張感のあるところ不安なところと音楽がすこし弛緩するところの
コントラストがよく出ていると思った。
コーダの盛り上がりもよかった。
第二楽章
すこしだけラヴェルのなき王女のためのパバーヌあるいは
ラベルの音楽全般を演奏を聴きながら連想した。
甘くゆったりとした音楽のなかにもそこはかとない不安が漂っている。
音楽が進むにつれてだんだん表情が濃く深くなってくる。
第三楽章
はやく鋭い音楽。やはりどことなくラベルの雰囲気が
あるような気がする。
ここでも音楽には不安が漂っている。
ところどころでそれが弛緩する。
そういうところの表現は道義さんうまいなと思う。
他の関西のオケを聴いていてたまに大阪フィルを聴くとうまいなと思う。
道義さんの指揮がすばらしいせいもあると思うけれど。
これと言ったコーダーっぽいものがなくフッと音楽が終わる。
よかった。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがショスタコーヴィチの交響曲
第2番ロ長調作品14「十月革命に捧げる」
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
大太鼓の響きから不気味に音楽が始まる。
道義さんは最初は舞台のそでの客席からは見えないところからオケの
チューニングと思われるような音が聴こえてくる演出をされている。
ブラスの響きで音楽が高揚しまた沈む。
それから音楽は行進曲風になる。
怒りなのか闘志なのか不安なのか判別のつかない感情が音楽を支配する。
細かい音が弦や管からでてきてだんだん感情が高まっていくところは
一見混沌としているようで実は整然としている。
ショスタコーヴィチの音楽のレベルの高さに驚いてしまう。
出てくる旋律に音楽後半との兼ね合いなどでいろいろな伏線がはってあるところも
ちょっとすごいなと思う。
合唱が出てきても金管が光明を思わせるフレーズを吹いたりして
音楽の表情が多層に彩られる。
音楽が後半に進むと光明の要素の気配がだんだん濃くなってくる。
もちろんそこに不安の漂うフレーズも出てくるけれど
最後は音楽は光明のうちに終わるかのように聴こえる。
すばらしい演奏だった。

次に演奏されたのがショスタコーヴィチの交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」
引き続き合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
木管のメロディーで音楽が始まる。
ショスタコーヴィチ交響曲第7番第一楽章の
オスティナートクレッシェンドのところをちょっと連想する。
金管のすこしおどけたメロディーが出るけれど
おどけた雰囲気はまた緊張感に打ち消され
しかし、その緊張感の中にもおどけた要素もちりばめられている。
ショスタコーヴィチの音楽としか言いようのない展開。
かなりの持続性をもってそういう感情が音楽を支配する。
天才的としか表現できない音楽の展開。
ふと気づくと道義さんは指揮棒なしでオーケストラに細かいサインを
送っておられる。
音楽がかなり展開してくると光明と狂気の入り交じったような楽想も随所に出てくる。
かと思うと音楽は深く沈み、そこには少し平安への思いも漂う。
さらに音楽が進むと弦楽合奏で物思いに沈んだような表情が醸し出される。
その表情も切り刻むような音楽の展開でまた失われる。
オーケストラが様々な感情を表出したのち合唱が出てくる。
音楽は盛り上がるがそこに表れているものは光か怒りか不安か闘志か
判別がつかない。
最後は光明のうちに音楽が終わるようにみえるが最後のティンパニの連打は
必ずしも光明ではないところにさまざまな思いがよぎる。
余韻の残るすばらしい演奏だった。
ショスタコーヴィチの交響曲2番、3番は滅多に演奏されない曲だけれど
井上道義さんと大阪フィルハーモニーのおかげで
目の黒いうちにこの2曲の生演奏がきけてよかった。
2、3年前にショスタコーヴィチの交響曲第4番を聴く機会にも
恵まれたけれどあれも道義さんがとりあげてくださった
おかげだと思う。
道義さんがここ何年か大阪フィルハーモニーを頻繁に指揮され
ショスタコーヴィチの今まで聴いたことのない曲の
生演奏を聴くことができて本当によかった。
道義さんのショスタコーヴィチはどれも素晴らしかったと思う。