ケンのブログ

日々の雑感や日記

文化の日

2018年11月03日 | 日記
もう十一月に入って3日たち文化の日、祝日になった。
文化の日というと僕はつい明治天皇誕生日と思ってしまう。
きっと明治天皇誕生日を文化の日としたということなのだろうけれど、、、。
昨日、新聞を読んでいたら野田聖子さんが衆院予算委員会で
女性初の衆院予算委員長として本格デビューした
と書いてあった。
そして野田さんは委員長は国会議員を男女問わず
君づけで呼ぶ慣習を破って全員をさんづけで呼んだ
という内容の記事が出ていた。
理由はその方が自然という聖子さんの説明だったという。
僕の感覚から考えて言われてみればその通りだなあと思う。
とても野田聖子さんらしい話だなと思った。
ちょっとさわやかな話であるように思えた。
 
村上春樹さんのことを仏教的と指摘する人がいる。
ずいぶん以前にそういう指摘が新聞に書いてあるのを
読んだ記憶がある。
それを読んだときに言えている面があるなと思った。
ブッダの言葉にこんな趣旨のものがある。

だた誉められるだけの人はいない
またただけなされるだけの人もいない
現在にもいない過去にもいなかった
未来にもいないであろう

という言葉だ。

この言葉に関してちょっと考え事をしていたときに
村上春樹さんのこんな趣旨の指摘が心に浮かんだ。

それは村上春樹さんが作家になる前にジャズバーを
経営していたときの基本的な考え方でこんな内容だ。

店に来た10人のうち3人が気に入ってくれればいい。
そのうちの一人が「また来よう」と思ってくれればいい。
それで店は成り立つんです。
みんなにいい顔はできない。
その代わりにその気に入ってくれた一人のために
努力を惜しまない。

とおよそこんな内容の指摘だ。
この趣旨の指摘を村上春樹さんは複数の書物でしておられ
それを僕が記憶で繋いで書いた。

僕はことあるごとにこの村上春樹さんの考え方に
目を通して、いい考え方だなあと思ってきた。
なんか科学的に算出された経営理論より
僕の場合こういう考え方の方が説得力があるように思える。
当たり前の話だけれどみんなにいい顔はできない。
その通りだと思う。

ただ誉められるだけの人もいないし
けなされるだけの人もいない
過去にも現在にも未来にも。

こういう仏陀の言葉に照らし合わせると
春樹さんの考え方はとても理にかなった考え方に思えるし
とても救いにもなる。
十人のうち三人がいいと言ってくれればいいのだから、、、。

僕(村上春樹)がそんな話をすると村上龍は「そうか、俺なんか
10人が10人いいと言わなければ気がすまないもんな」と言っていた
というようなことをその昔春樹さんは書いておられた。

だから春樹さんが仏教的かというと
そうとも言えないと思うのだけれど、、、。
ただ、共通する要素があるとは言えるように思える。

朝、ラジオを聴いていたら女性のDJが
今日は二十四節気の霜降、七十二候の
もみじつたきばむだと言っていた。

もみじやつたがきばむ 言われてみるとその通りだなと思う。
今日自宅の最寄り駅前を通ったら確かに桜の葉が
かなり黄色や紅に染まってきている。
ここ数日、朝晩ずいぶん寒くなったから急に
色づいた葉の割合が高まったように思える。
HK電鉄の改札口の近くには沿線の紅葉の名所の
見ごろがいつかを示すポスターが貼ってある。
もう紅葉のシーズンは間近だなと思う。